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60年代のNaomi & The Boysのアジアのサウンドの周辺

60年代のNaomi & The Boysのアジアのサウンドの周辺を省みる・・

Naomi & The Boys (Singapore)
1960年代にシンガポールとマレーシアで最も人気があり、そして、アジア圏で成功したバンドの1つだ。
シンガポールの1960年代の音楽史を振り返ると、「Naomi & The Boys」(ナオミ&ザ・ボーイズ)はフィリップス・レコードの最初のオリジナルヒット曲「It's All Over」(イッツ・オール・オーバー)でラジオで非常に人気があった。 彼らをシンガポールとマレーシアのテレビとラジオの「チャートのトップ」に導いたのは、彼らの音楽への情熱と愛情と、その時代を振り返って、当時のリスナーからは言われている。
彼らの目的は、ただ、唯一、リスナーを楽しませることであり、彼らはアジア圏で、そして、当時のオランダに至るまで、彼らのファンを見つけることが出来ると言われる。(マレーシアは、以前は、イギリス・オランダの植民地だった、そして、インドネシアもオランダの植民地だった)

It's All Over(画像クリックで動画にリンクされています)

その構成の経緯は、ロバート・チュア(ショー・プロモーター)による。

ザ・ボーイズのメンバーは、イギリス軍のエンターテインメント会場で演奏し、そして、時にはナイトクラブで演奏していた。
そして、ナオミ・スリヤ(Naomi Suriya)は、シンガポールのテレビで注目に値する歌の才能として認められているのだ。ナオミは、タレントコンペティションで、まず、オーディションを通過して、その日の夜の決勝戦でナオミは勝利した。それは、その夜のニュースになった。それは、ナオミ・スリヤは、一夜にしてスターになったと言うことだ、その時は16歳だった。
そこから、ナオミがバンドにとって最も尊敬される歌手であると決定し、「ナオミ&ザ・ボーイズ」と名付けることなった。

そして、ロバーツの作曲「It's All Over」は、シンガポールとマレーシアでナンバーワンのヒットとなった。その間に、The Boysも再構成されている。

ラジオが、アジア圏では、主流の時代だったが、カバー曲「Happy Happy Birthday Baby」、ロバーツの作曲「I Know」は、シンガポール、インドネシア、マレーシアのヒットチャートで1位を獲得した。それは、なんと、当時のオランダのラジオ局でも放送された。
1965年の最高の曲として、アジア圏のメディアによって選ばれている。

それらは、当時から、香港在住の番組プロデューサー/ディレクターであるロバートチュア(ショー・プロモーター)によって組織され、実に多くプロデュースされている。 
実力が産んだサウンドと地位だろう・・・
イキリス領の香港でのプロデュースもあり、ローリング・ストーンズ(作詞・作曲)のAs Tears Go By (Marianne Faithfull Cover)もあるのだろう・・
その民主化されていた香港と言う舞台では、以前のコラムの凌雲(Rita Chao/シンガポールの歌手)の歌う「As Tears Go By 」のようだ。

Naomi And The Boys - As Tears Go By (Marianne Faithfull Cover)

ナオミ・スリヤさんには、いつまでもご健在で歌ってほしいものだ・・
Naomi & The Boys (Singapore) - Happy, Happy Birthday, Baby

画像1

Naomi Suriya - 2007

Happy, Happy Birthday, Baby(←クリックで動画にリンク)

(註)シンガポール・マレーシアについては、第二次大戦時に、長期間、植民地化していたイギリスが降伏を行い、日本の統治のもとで、マレーシアに自治が戻った。そして、1945年 戦争の終結に伴い、マラヤ・北ボルネオがイギリスの支配下に復帰した。1946年にマラヤ連合が発足する。また、インドネシアはオランダの植民地から、日本の統治を経て、オランダ支配下で迫害されていたイスラム教も認められ、敗戦近くなると、日本はインドネシアの独立を認める方針に変更する、インドネシアは、1945年8月17日に独立宣言をおこなった。(インドネシアのスディルマン将軍の尽力と、当時の日本とのジョイントも大きいと言われる- 防衛省市ヶ谷にスディルマン将軍のプロンズ像もある)
1963年 シンガポール、イギリス保護国北ボルネオ、イギリス領サラワクがマラヤ連邦と統合して、マレーシアが成立した。
そして、複雑にも、Naomi & The Boysが、インドネシアのヒットチャートNo.1になった時代は、まだ、インドネシアとマレーシアの対立(1962-1966年)していた時代だ。

1965年 シンガポールがマレーシアから分離独立している。このバンドの背景にも複雑な歴史があるようだ・・
(この記事は、戦争を美化するものではありません事をご了承下さい)

(追記)人は、その生まれた状況(時代や地理や環境)の中で、最善の方法を思考しながら、逆境や失意の中でも生きて行くしかない・・
Happy, Happy Birthday, Babyを、声量もあり、淡々と歌う、ご年配になられたナオミ・スリヤさんを見ると、なんだか、目頭が熱くなりそうだ・・・


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