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家政婦は見た!それは女性写真家ヴィヴィアン・マイヤーだ。

ヴィヴィアン・マイヤー(ビビアン・ドロシー・マイヤー/Vivian Dorothy Maier,1926 -2009/US)
アメリカの女性フォトグラファー。
優れたストリート写真の作品を、実に15万枚以上の写真を撮影していたが、その作品を一切、世に発表しなかった謎の写真家。それがヴィヴィアン・マイヤーだ。
2009年4月21日、シカゴで、氷に滑り転倒し、頭を強く打血、ハイランドパーク(イリノイ州)の病院で亡くなった、83歳だった。

ベビーシッターや家政婦(メイド)を行いつつ、ノースショア(シカゴ)で約40年間働きながら、その空いた時間に写真の撮影、そして、その研究を行っていた。写真は理論構成されている、そして、ニューヨークやロサンゼルス等も含めて、全世界の写真を生涯に渡り、撮り続けていた。被写体は、人物と建物がメインだが、ゴミ箱の中まで、いわゆるストリートフォトグラファーだ。ただ、その裏側で、政治的、また、社会的弱者の視点持つ。(例えば、犯罪新聞記事等のコレクション)
そして、「生きている事の、いわゆる不条理さのようなもの」を、いつも追いかけている、そしてのその間に家政婦(ベビーシッター)をしていたのかも知れない。
そのストリートフォトグラファーという視点は、リゼット・モデル(Lisette Model、1901-1983/US)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson 1908 - 2004 /仏)、ロバート・フランク(Robert Frank, 1924-2019/US)や、ウォーカー・エヴァンス(Walker Evans, 1903-1975/US)そして、ウィリアム・エグルストン(William Eggleston, 1939- /US)、そして、ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923-1971/US)等に、近いもを感じるが、しかし、どこか違う・・それは、以前のnoteにも記述したが、ロラン・バルトの「写真:それはかつてあった」、写真という表象は、その存在とカメラマンの視点が重なった時に記録されるからだ。

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(c)Vivian Dorothy Maier

そして、その大量のネガが見つかったのは彼女の亡くなった後に認知された。(正確には、死の直前)そして、その死によって彼女は伝説の女性写真家となった。そのネガの多くは、一度もプリントされていない物だった。
そのあたりの詳細は、ジョン・マルーフの写真が初めて一般公開されたのは、2008年7月。
コレクターのジョン・マルーフ(John Maloof/オークションで入手)によってインターネットにアップされた。しかし、当初の反応はほとんどなかった。
2009年10月にマルーフが、Flicker(写真共有サイト)に共有したマイヤーの写真をブログで紹介すると、今度は、多くのユーザーが関心を示し、一気に彼女の名前は世界中に広まっていった。それは、マイヤー作品への評価と関心がグローバルに広がり、ヴィヴィアン・マイヤーの写真は、北アメリカ、ヨーロッパ、アジア圏、南アメリカで展示された。
そして、彼女の生涯を描いたドキュメンタリー映画(ジョン・マルーフ監督)や写真作品集「Street Photographer」が、刊行されるまでになったと言う事だ。

(追記)Vivian Maierの写真集は、Amazonから購入、また、Amazonサイトから内容の一部を見る事ができます。次回は、女性写真家ヴィヴィアン・マイヤーの視点の私的な推測として、同時期の作家ヘンリー・ダーガーや、ローライフレックス、当時の16mmフィルムの周辺、そして、映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」等のランダムなエッセイを予定しております。


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