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ヴァルター・ベンヤミン著作集 I「暴力批判論」 解釈

ヴァルター・ベンヤミン著作集 I「暴力批判論」 解釈

Whether violence is ethical in principle as a rule, whether it is a means for justice's law or not?

この論文の目的

この論文の目的は、「たとえ正義の法のための手段にもせよ、一般に暴力が原理として倫理的であるか?」ということだろう。

それには、ベンヤミンは否定的だ。
正しい法のためなら、暴力という手段は正当化される。(註*1)
だが、暴力-この目的(法)は、それ自体を作ったり修正してしまう力を持っているということだ。
それは、暴力は、手段としての自らの正当性を主張することができない。
では何が目的(法)の正しさを決めるのか。
そこで、飛躍的だが、ベンヤミンは、それは神の正しさを主張する。

人間が行使する暴力は、自らを正しい手段であると強弁する神話的暴力である。
この神話的暴力を廃棄し、神の正しさに還れと、ベンヤミンは論ずる。
(註*2)
この暴力批判論の問題として、思想の飛躍が挙げられる。
近代哲学では、何が「神の正しさ」であるかの解釈は難解であるだろう。

人間が行使する暴力は


(註*1)勝てば官軍、負ければ賊軍
(註*2)暴力批判論の課題は、暴力と法、及び正義との関係を描くこと。
ストライキを暴力とする国家、死刑から見る法の暴力の矛盾、警察の法維持的な暴力と、法的目的を自ら設定する権限、逮捕権などについて説明がある。
民主制における警察は絶対君主制よりも有害な精神を持つとすら言えること・・・。
抗争でどんなに非暴力的な法的協定が行われようと、結局、暴力の可能性に繋がること。

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