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マルセル・デュシャン 世界の見方を変えた男 5

前回までのお話

さて、これまで4回にわたって、マルセル・デュシャンの半生を振り返ってきましたが、今回で一旦、筆を置こうと思います。理由は単に、このままだと終わりなく延々と続けてしまいそうだからです。それほどまでにこの人の話題は尽きることなく、関連文献の際限ないことを改めて思い知りました。

ここまでの半生の中でも伝えきれていない点は多くあり、また人生の後半に関しても、彼の試行錯誤はさらに幅を広げて多様化します。それに関しては、また別の機会にお伝えできれば、と思います。

ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。これまでの文章に関するいくつかの但し書きをもって、あとがきと変えさせていただきます。

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まずは「噴水」というタイトルに関して、補足します。これはマルセル・デュシャンがリチャード・マットの名前で出品した男性用小便器のタイトルでした。

文章を読んでくださった方の中には、少なくともその「噴水」というタイトルに違和感を持たれた方もいらっしゃったかと思います。それは私も同感です。(自分で書いておきながら)。だって日本では長らく「泉」というタイトルで親しまれてきましたから。

オリジナルの作品タイトルは「Fountain ファウンテン」。この単語は西洋においては「噴水」という意味で使われており、デュシャンの母国語であるフランス語でも「Fontaine」。同じ語です。そして一方、「泉」という意味で使われる語は、フランスでは「La Source」、英語「The Source」であり、例えばパリのオルセー美術館にあるドミニク・アングルの有名な絵画のタイトルにもなっている「泉」は、原題ではこの「La Source」が使われています。つまり、日本でもよく知られたデュシャンの「泉」とアングルの「泉」は、原題ではまったく異なる単語がつかわれています。

ともなれば、小便器への「泉」という翻訳は誤り、と言われてしまいそうですが、日本で最初にデュシャンの小便器に「泉」と命名した翻訳者が、それを知らなかったとは思えません。ゆえにそれなりの思いがあったのではないか、と察します。

まず日本における「噴水」と「泉」、それぞれの意味は、西洋におけるそれとは若干の違いがあるように思います。

ヨーロッパの街を歩いていると、道の小脇に小さな水汲み場があるのをよく見かけます。時にそれは石壁から無造作に突き出た古い簡素な筒状の金具で、その先からちょろちょろと水が流れ落ちているだけであったりもしますが、それでもそうした一角は、その地域に住む人々にとって小さな憩いの場となっています。

そしてこれらも同じく「Fountain ファウンテン」のひとつと呼ばれます。つまり西洋における「Fountain ファウンテン」という語の持つイメージには、日本人が思う「湧き水」や「泉」というような意味も内包しているように思います。

ひるがえって、日本における「噴水」はいわゆる西洋的に装飾された人工的な噴水であって、そこに「湧き水」や「泉」という語が持つような親しみはあまりありません。ゆえに日本で「泉」と訳した方は、原題に忠実であるよりもイメージの想起力を優先し、「泉」と訳したのではないか、と思われます。

それでも私が今回「噴水」という訳を使わせていただいたのには個人的に気になる点がありました。日本の権威ある専門家の方の中には「デュシャンは小便器をそのまま大きな女性器に見立て、(男性器が向かう先として)水が湧き出る「泉」と名付けた」というような説を唱えてらっしゃる方もいますが、私はあまりピンときませんでした。それどころかデュシャンにしてはずいぶんマッチョな思考だな、と感じます。

マルセル・デュシャンの作品制作の特徴の一つは、作品の主題に両義性を与えることで、イメージの跳躍を図るところにあります。おそらくデュシャンは噴水に関しても、筒から噴出する水とそれを受け止めるかたちとを同時に意識し、そこに男性性と女性性を同時に(そして人工と自然の対比も同時に)見ていたと私には思えました。そうした理由から「泉」では片手落ちと感じ、「噴水」という訳語を使わせていただきました。

きっと私の言っていることにピンとこない方もいらっしゃると思いますが、便器一つでそれだけ多様な意見を生む点だけをとってみても、やっぱりおもしろいな、と感じます。

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それからもうひとつ留意点、現在ではこの男性用小便器の作者(選択者)はデュシャンではない、という説があります。

20世紀で最も影響力のあるアート作品にも選ばれた便器の作者がデュシャンではない。ではこの作品の作者はいったい誰なのか、というと、エルザ・フォン・フライターク-ローリングホーフェン、通称バロネスと呼ばれる女性です。(三度目の結婚相手がドイツ人男爵であったため、事実、彼女はバロネス(男爵夫人)でした。)

エルザ・バロネスはドイツ人のアーティストで、画家であり、彫刻家、詩人、パフォーマーでもあった女性です。1913年から23年までの10年間をニューヨークで過ごし、デュシャンとも親しい間柄でありました。実際にデュシャンは1921年、マン・レイとともにバロネスを主演に短編映画「陰毛を剃るエルザ男爵夫人」を作っています。(残念ながらフィルムは現存していません)。

デュシャンとバロネスとの間に親しい交流があったのは間違いないと思われます。またバロネスがなんらかのかたちで小便器の購入や出品に関わっていた可能性は大いにあります。しかし個人的には確かな裏付けと感じられる文献を見つけることはできませんでした。

しかし21世紀になってから、それまでの男たちの美術史は、裏に追いやられていた女性作家たちの歴史に大きく塗り替えられてきています。これから先に史実がどう書き換わるかは興味深いところです。
 
ちなみに実際の便器の製作者はすでに明らかになっています。当時のニューヨークにあったJ.L.モットー・アイアン・ワークス。ホーロー製品や配管設備も専門とする鉄鋼工房です。

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また、パリ時代の車輪やボトルラック、また便器などの初期レディメイドは基本的にほぼすべて廃棄されています。そしてそれをデュシャンは良しとしていました。それだけでなくレプリカの制作も許可しています。つまりレディメイドにとって、そのオリジナル性は意味をなさなかったようです。

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今回デュシャンを取り上げさせていただいたのは、身近な知人友人から、よく「現代美術がわからない」や「現代アートの何がおもしろいの?」といった質問をされることが多かったことから、なにか伝えられることがあるかな、と思い書きました。

私はアートを見るのが好きで、おもしろいな、と思ってよく見ています。古典美術も現代美術も日本美術も西洋美術も見ます。また世界中にある遺跡や博物館をまわるのも好きです。その時代、その地域で生まれた人が、自分の見た世界を後世に伝え残してくれているからです。それを見て、今を生きる私が、「世界をこんな風に見てたんだ」と思ったり、「こんな風に世界って捉えられるのか」と発見できることがとても楽しく感じます。
そしてそれは、今、自分の前に広がる世界の見方を少し変えるきっかけになったりします。

マルセル・デュシャンはよく現代美術の父と呼ばれることがあり、それまでの視覚的な芸術に抗ったコンセプチュアル・アート(概念芸術)の創始者として崇められることがあります。しかし私はデュシャンが単に視覚性に対して否定的だったとは思いません。むしろデュシャンは積極的に視覚的だったと考えています。

デュシャンははっきりと「網膜的」な美術を批判しています。それは視覚的であることを否定するという意味ではなく、ただ受動的に網膜に映る世界を前にして、世界を見た気になっていることを批判していたのだと思います。つまりデュシャンは「作品」を問い直し、「芸術」を問い直し、そして「見ること」それ自体を問い直しました。

あるものをどう見るか、という、その人の「ものの見方」は、その人の意見や思想、感情や時代背景と結びついています。作品を見る人のものの見方は、作品を作った人のものの見方と同じく重要であり、見る人がいなければ芸術も生まれません。

コペルニクスが天動説をくつがえして地動説を説いた時、そしてそれが後世に認められた時、人々の世界の見方は180度変わりましたが、太陽の位置も地球の周り方も、実はなにひとつ変わっていませんでした。

「世界なんて自分次第でどう見たっていいんだよ」という自由と権利、
それがマルセル・デュシャンが私たちに伝えたかったことなんじゃないかな、と思います。

おわり

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