ながら/Nagara

ベルリンで美術に関わっています。

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パリの光 パリの森

ふらりとパリへいってきました。 ベルリンよりも、ずっと光がまぶしく驚きました。 街を歩いても、森を歩いても、日差しがあたたかくあざやかで、冬の間、ちぢこまっていた神経が、ゆっくりほどかれ、ひらかれていくようでした。 クロード・モネとジョアン・ミッチェルの展覧会を見ました。とても素晴らしいものでした。ゆっくり歩いたり、立ち止まったり、行ったり来たりしながら、半日ほど眺めていました。 The exhibitions "Monet - Mitchell" ジョアン・ミッチェ

    • ぬめりうねりくねりするり 泉太郎

      あっという間に新年、かと思っていたら、時すでに1月も後半。 過ぎ去ってしまった一年を振り返るのに「あ」の一文字だけではとても足りはしませんが、年末から新年にかけては、本当に「あ」っと言う間でこと足りるので驚きます。 実際には「あ」という一文字すらつけ入る隙間もないほどに、年の終わりに次の始まりがぴったり食いついてやってきます。せわしない師走の先にはすでに新年の謹みが見え隠れし、年末の大掃除の内にはまるで元旦の晴れやかさがあらかじめ潜んでいるようです。 一年の始まりも、一

      • 朗読していただきました 

        お知らせです。 noteを始めてからあっと言う間に8か月ほどが経ちました。と言っても時間のスキマで不定期きままに書かせていただいているだけなのですが。 数も少ない未熟な拙稿を眺めながら、ふと、自分の文章をどなたか朗読してくださる方はいないものだろうか、もしいたらそれはどれだけ素晴らしいだろうか、と、なんとも身勝手な願望が頭に湧いて出ました。 たまたま You Tube で耳にしていた素敵なお声の持ち主を note で偶然お見かけしたので、行き当たりばったりで、身の程もわ

        • スープとアートと価値のはなし

          最近は、すっかり外に出るのが億劫な寒さになってきました。 バタバタしているうちに、暦を見ればすでに師走。先週なんて外へ出たらあたり一面に雪が舞っていて、開けた扉を思わずパタンと閉めてから心の中で「今年も、冬が、、冬がやって来たのだな」とつぶやいてから、上着とマフラーをさらに着込んで出かけ直しました。 私が住んでいるベルリンでは、12月の日の出は朝8時過ぎ。そして夕方16時前には日が沈むものですから、24時間ある一日のなかでも、お日様が出ている時間は計8時間もありません。

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        パリの光 パリの森

        マガジン

        • ドクメンタ15
          6本
        • フェリックス・ゴンザレス=トレス
          2本
        • マルセル・デュシャン 半生
          5本
        • フィンセント・ファン・ゴッホ
          5本

        記事

          『川っぺりムコリッタ』 読んで

          物語の始まりは母親から告げられた一言。 いつもの調子で眉間に皺を寄せ、邪魔なほど長い爪のついた指先で金色の財布のジッパーをおろして抜き出された一万円札二枚とともに冷たく差し出されたその言葉は当時まだ高校生だった僕に、なにがいま自分の身に起こっているのかを容易に理解させた。 + 半年前に30歳の誕生日を刑務所で迎えた僕は二年の刑期を無事に終え、更生施設でお世話になった職員のつてを頼って、川があるこの北陸の街にやってきた。港のすぐそばに建つ、イカの塩辛を作る工場で雇ってもら

          『川っぺりムコリッタ』 読んで

          ドクメンタ15 世界で今起こっていること

          ⑥  ① ② ③ ④ ⑤ カッセルという街へ行ってきました。 ドクメンタを見るために。 朝いちばんに飛び乗った列車は、夏の休暇の真っ最中だったこともあって、車内はなんだか楽しそうに弾んだ空気と大勢の人。ここいる人みんなそれぞれが旅の目的地を持って散っていくんだなぁ、と、しばし同席した彼らの笑顔をぼんやりと眺めているうちに、いつも通りの多少の遅延はご愛嬌としつつも列車はなんとかカッセルへと無事に滑り込みました。 過去の歴史の傷にその起源を持ち、常に現代における表現の可能性

          ドクメンタ15 世界で今起こっていること

          ドクメンタ15 地球をいくつか並べてみる

          ⑤ カッセルという街へ行ってきました。 ドクメンタを見るために。 前回までのお話。 ① ② ③ ④ 先の戦争の時代に現在を失ってしまったこの国で、常に「芸術が今を語ることの意味」を問い続けてきたドクメンタ。 2022年の今日、芸術の名において語るべきこと、ってなんでしょう。 ドクメンタ15の最初の公式声明で、総合ディレクターのアーティスト集団ルアンルパは次のように言っています。 (一部抜き出し) 平たく言えば、持続可能な国際的知的財産の共同基盤を作りたい、そして、社

          ドクメンタ15 地球をいくつか並べてみる

          ドクメンタ15 ルアンルパのルンブンとノンクロン

          ④ カッセルという街へ行ってきました。 ドクメンタを見るために。 と書き始めていいかげん4度目。 やっと現在のドクメンタの話に。 前回までのお話はこちらです。 ① ② ③ 「世界でもっとも重要な現代アートの国際展」と呼ばれることもあるドクメンタは1955年、戦争によって失われてしまった現在を取り戻すために開催され、時に賛否両論を巻き起こしながらも、今日まで同時代における芸術の意味を問い続けてきました。 2022年、15回目となる今年のドクメンタでは、全体のテーマと方向

          ドクメンタ15 ルアンルパのルンブンとノンクロン

          ドクメンタ15 ありとあらゆる人のいみ

          ③ カッセルという街へ行ってきました。 ドクメンタを見るために。 と書いておいてすでに三度目。 前回までのお話はこちらです。① ② 1955年に始まったドクメンタ、およそ5年ごとに開催を続けて、今年でもう15回目となりました。戦後、瓦礫の山から復興を遂げたカッセルも、今では「ドクメンタの街」として世界中から観光客が訪れ愛される街となりました。 第一回目が開かれたころのカッセルとは比べものにならないほどに景色は変わり、広大な緑地と立ち並んだたくさんの木々が印象的で、街を訪

          ドクメンタ15 ありとあらゆる人のいみ

          ドクメンタ15 失くした現在のリアル

          ② カッセルという街へ行ってきました。 ドクメンタを見るために。 前回までのお話。 今では、世界で最も重要な現代アートの展覧会、と呼ばれるまでになったドクメンタの歴史は1955年、まだ戦後の復興もままならないカッセルの街から始まります。 街の損壊が激しかったカッセルは、戦後10年を経てもなお仮設住宅が立ち並び、状況としてはいまだ復興の最中にありました。そんな街の再生を後押しするために企画されたのが「ドイツ庭園博覧会」。 これは戦前にドイツ各都市を巡回し開催されていた博

          ドクメンタ15 失くした現在のリアル

          ドクメンタ15 われわれの国のはて

          ① カッセルという街へ行ってきました。 ドクメンタを見るために。 ドクメンタ、とはドイツのカッセルという街で、5年に一度、100日間だけ開かれている大きなアートの展覧会です。世界中から集められたたくさんの作品や演目が、街中の建物や屋外に展示され、来場者は街の地図を片手に数日がかりでそれらを見て回って楽しみます。 いわゆる国際芸術祭、と呼ばれるタイプの展覧会、ドクメンタはその最初期のもののひとつで、もう70年ほど前からずっと今日まで定期的に開催されてきました。 このドクメ

          ドクメンタ15 われわれの国のはて

          シンバという男の子 韓国との間にあるまる

          ずいぶんと昔の話ですが、私がベルリンに住み始めた頃はちょうど気持ちの良い新緑の季節で、木々の芽吹きに後押しされるようにワクワクしながら真新しい気持ちで、語学学校の入学手続きに出かけたときのことを今でもはっきり覚えています。 初めての海外生活、新しい言語。 クラスにはいろいろな国から集まった10名ほどの生徒がいて、若い方なら10代半ばから上は50代まで。初心者クラスと銘打っていましたから、誰もがドイツ語を喋れない、という前提であるはずが、やはりそこは個人差、というよりも、地

          シンバという男の子 韓国との間にあるまる

          水無月 始まり 道徳 カント

          早いもので今年の暦もその半分を折り返してから幾週間が過ぎました。 今年の梅雨明けは例年にないほどの早さだったようで、つまりは夏の訪れもずいぶんと早いようで、なんだかめぐる季節をゆっくり楽しむ暇もなく、年々せかされているような気がしないでもないですが、遅かろうが早かろうがせっかく来てくれた季節を通年同じく楽しむほかはありません。 少し気になるのは、あまりの梅雨の短さから懸念される水不足くらいなものでしょうか。 もし水がない、なんてことになれば一大事だと思うのですが、日本で

          水無月 始まり 道徳 カント

          夏の日のカミカゼエ

          私はそこに居合わせた唯一のアジア人でした。出身の違いは多少あれども、その多くはドイツで育った人たちでしょう。下は1歳から上は16歳くらいまでの子供たちが10人ほど、大人たちはそれ以上、おじいちゃんおばあちゃんと呼べる年齢の人たちまで、少なく見積もったとしても30人くらいの人たちがそこにはいました。 ことの次第の始まりは、サマーハウスへの招待でした。 友人の友人がベルリンの郊外に小さなサマーハウスを持っており、年に一度の大がかりなサマーパーティーを開くというので君も来ないか

          夏の日のカミカゼエ

          フェリックス・ゴンザレス=トレス 2 キャンディーの山

          前回までのお話 さて、1990年代初頭のニューヨーク、移民、エイズ、同性愛。差別や偏見と向き合いながらフェリックスはアーティストとして自分なりの表現を模索していました。 そしてその渦中、恋人ロスがエイズでそっと息を引き取ります。 +++++ 1991年、ロスを失ったフェリックスは美術館の部屋の片隅に、色とりどりのセロファンに包まれたたくさんのキャンディーを山高く積み上げます。 作品「無題(ロスの肖像 L.A.にて)」です。 大量のキャンディーが、美術館の隅に山積み

          フェリックス・ゴンザレス=トレス 2 キャンディーの山

          フェリックス・ゴンザレス=トレス 1 ただの時計

          なんの変哲もない、隣り合ったふたつの時計。 ただの時計。 ただの、って何でしょう。 フェリックス・ゴンザレス=トレスという人のお話です。 +++++ フェリックス・ゴンザレス=トレスは、1957年にキューバのグアイマロという小さな町に、4人兄妹の3番目の子として生まれます。 フェリックスが生まれた時代のキューバはまさに激動のその最中。1959年のキューバ革命によって、アメリカからの事実上の独立を果たし、社会主義国へと転換。また第三次世界大戦の危機、核戦争の瀬戸

          フェリックス・ゴンザレス=トレス 1 ただの時計