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西原珉プロジェクトレポート&インタビュー 「話を打ち明けても、表現しても、安全な場所」トナリバ

トナリバーはこちら2


西原珉(にしはら・みん)の肩書は、アーティスト+ソーシャルワーカー+メンタルヘルスセラピスト。「東京ビエンナーレ2020/2021」参加作家の中でもひときわ目を惹く。作品も、アートセラピーやソーシャル・ワークとしてのアートプロジェクトの視点から、フリースペース「トナリバ」を開設するという他に類がないもの。

心理の基礎からセラピーの対処方法まで、~トナリファシリテーター養成講座


「トナリバ」オープンに向けて、ファシリテーター養成講座が開講された。一日4時間の講座を4日間受講し修了証書を授与された受講生は、晴れてトナリファシリテーターとなる。会場で来場者を迎え、作品の共同創作者となる。

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オンラインファシリテーター養成講座と西原珉氏


アートセラピーとは、アートの手法を使って、メンタルヘルスと精神障害に対処する方法である。創作的な表現を、癒しと精神衛生向上に役立てる。1940年代から発達し、欧米では専門資格があるという。アートセラピーは、制作の過程で何を作っているか、何を感じているかの自己分析や、考えや行動に影響を与えているテーマと葛藤する機会が得られる。受講生は、私を含めアートや心理に興味がある、さまざまなバックグラウンドを持った人たちだ。

講座ではボランティアの倫理、社会問題としてのメンタルヘルス、表現と癒しの方法、アートセラピーの初歩など、基礎から実践まで幅広く取り上げられた。後述する箱庭セラピーやロールプレイングなど実技も行われた。4日間を通して西原から伝えられたのは、トナリバは「話を打ち明けても、表現しても、安全な場所」であるということだ。「心理的安全性」の重要さが説かれる現代社会に一番必要な場所である。

いよいよ「トナリバ」会場


トナリで行うアートセラピューティックアプローチは、箱庭体験、禅タングル、タッチストーン、コラージュ、ドローイング、粘土、塗り絵の他、豊富なメニューが用意されている。来場者はメニューから選んで取り組んでもよし、何もしなくてもよし。ファシリテーターは来場者に寄り添い、時間を過ごしてもらう。

メニュー

トナリバメニュー


入口で目を惹くのは「箱庭体験」。箱庭には、その時々の自分の内面、問題、課題、無意識が反映していると考えられている。来場者はそれぞれミニチュアのオブジェを使いながら、自分の過ごしたい世界を作ったり、オブジェを規則正しく配置したり、砂でお城を作ったり、たくさんの箱庭を作った。

箱庭_禅タングル

左/箱庭体験 右/禅タングル


禅タングルは、同じパターンを繰り返し描くことで集中力が高まり、無心の境地に至ることができる。手を動かしている最中も会話が続く不思議な体験もあった。

兄弟の特徴を見事にとらえたドローイングを描くお父さん、教科書顔負けの折り紙を作る高校生、ただ40分間お話ししていく新入社員など、トナリバには多様な来場者が集まった。来場者は思い思いの体験をし、作品を残し、ゆったりとしたときを過ごしていた。この場を作った西原にプロジェクトの背景を尋ねた。

──なぜ日本でのアーティストとしてのキャリアを中断し、渡米して臨床心理士になったのですか?

1999年に渡米したのは主人(彫刻家・曽根裕氏)の仕事の都合でした。その時、周りのアーティストが精神的につらい状況にいるとき、何か自分にできないかと考えたんです。セカンドキャリアとして臨床心理を勉強してみたいと思い、2004年に大学院に入学しました。

東京にいたときはコンセプチュアルアートが好きでした。当時は現代美術の最前線が自分に一番共鳴できたんです。80年代にキュレーターを志した背景には、ヤン・フートの影響があります。

彼が館長を務めたゲント現代美術館で1989年に開催された「オープン・マインド」展が精神医学に興味をもったもう一つのきっかけです。精神的に病んでいる兆候があるアーティストと、それ以外のアーティストを対比し接続した展示で、自分は十分に理解できていなかった。ヤン・フートのお父さんは精神科医であることを知りました。その後も自分でアールブリュットに関する文章を読むなど、理解したい気持ちを持った90年代に、精神医学に触れてみたいという気持ちが高まっていきました。臨床心理士の資格取得後、2010年頃、ボランティアからソーシャルワーカーの仕事を開始しました。

──当時アメリカでアートの世界で活躍したいという想いはなかった?

なかったですね。2008年くらいはチャイナバブルでアートは商業的だったんです。そこには乗れなくて、何人か共鳴しているアーティストの活動を見守っていました。

──人を応援したいという想いが根底にあるように感じますが、何かきっかけがあったのですか?

もともと応援したいんだと思う。クリエーションをしていたときも、キュレーターとして確固たるビジョンがあって、このテーマが今社会で重要だから発表したい、展覧会を作りたいというよりは、まず発表したいアーティストがいて、それを実現することを仕事にしたいと思っていた。アーティストのプロジェクトが実現できた瞬間、満たされて成就している感じがしました。

──アート・セラピューティックなプロジェクトの、日米での進め方の違いはなんですか?

アメリカではホームレスや貧困、日本では生きづらさなど、対象が違うので一概には言えません。ただ、アメリカでは社会的にも認知度が高く、ロサンゼルス郡が予算をもっていたり、寄付が集まったりとシステムが確立している。カウンセラーもコミュニティセンターに出かけていったり、個人宅を訪問して「今日は箱庭をつくりましょう」というと精神疾患のある人が普通に取り組んだりと、パブリックサービスとして浸透している。
日本には全くそういうシステムがない。

壁

来場者の作品が展示されるトナリバ


──それでも帰国をされたのは、どういうモチベーションだったのですか?

とりあえず帰ってみてやってみようと(笑)。今の仕事をしながら、いろいろ学んできたことや経験させてもらったことを日本でどうすれば還元できるかと考えました。ソーシャルワーカーはまず「ニーズ」を考えます。この人には何が必要なのかな、このコミュニティには何が欠けているのかな、と考えたときに、東京では安心できる場所が必要だと思ったんです。みんな人の目や世間体を気にしているし、ツイッターでも他人に何か言われることを怖れている。何も言われない、安心して自分の気持ちを表現できる場所が必要なんじゃないか。私が選んだのはそのニーズでした。

壁2

安心できる場所 トナリバ


──日本にはアートセラピーのシステムがない中で、帰国当初の活動は大変だったのでは?

安心できる場所づくりをアートプロジェクトから始めるとは思っていませんでした。ただロスではコミュニティアートにやりがいを感じていたこともあって、それをアーツ千代田3331でもできるのではないかと思ったのです。

アメリカでは、ソーシャルワーカーの立場からコミュニティアートがやり易く、社会的認知も高く補助も出ます。逆に日本では社会福祉からコミュニティにリーチするのは難しいけれど、アートから行けばスムーズに進むのではないかという感触を得ました。アートセンターの方が来てもらいやすいのではないかと思います。

廊下

トナリバの会場であるアーツ千代田3331の廊下。来場者が自由に描いていく


──東京ビエンナーレのトナリバは終わりますが、この先の計画と展望を教えてください。

安心できる場作りで一番大事なのは継続性で、必要なときにそこに行けば対応してくれるということです。今後3年とか5年とか持続的にあるような場所を立ち上げていきたい。

また、若い女性たちが直面している問題は意外と日本の大きな病だと思っています。貧困とか、家族の中で居場所がないとか、それらを緩和する場所にもしたい。弁護士さんが運営しているLINEのプラットフォームで、全国の若年女子からの相談を受けています。弁護士の法的な対処を受けた後で、どういう癒しを得るかがすごく難しい。私が話をきいてもいいのだけれど、若い人同士が何かを創りながら、話をしながら癒しを得るのがいいのだろうなと実感しています。

──4日間のファシリテーター養成講座では、専門的な内容を惜しみなく提供されていましたね。

トナリファシリテーターのような、対応できる人を増やしたいんです。そのためにはリソースは全部無償で出したい(笑)。

2021年11月以降、新たなトナリバのプロジェクトに向けて準備中だという。西原のアートセラピューティックな場で、また至福の時を過ごしたい。

西原眠さん

西原珉氏


取材・文・撮影:佐藤久美


#西原珉 #アートセラピー #トナリバ #メンタルヘルス #ソーシャルワーク