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宮永愛子インタビュー[後編] 三日後につながる隠し扉とは?

私たちの日常にゆるやかに入り込み語りかける《ひかりのことづけ》。「作品を通して、かたちのない光や時間とのつながりを鑑賞者に感じてほしい」。宮永のアート観と、それに影響を与えた人々と過ごした時間を振り返る。                                 アートライティングスクール1期生の4人が鑑賞後に感想を述べあい、そこから生まれた様々な疑問を投げかけさせていただいた、ロングインタビュー後編。 前編はこちらをご覧ください。

取材・文・撮影:西見涼香、大豆生田智、荒生真美、佐藤久美      編集:佐藤久美

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湯島聖堂 前庭 黄昏時


──「Praying for Tokyo 東京に祈る」をキュレーションした小池さんとのやり取りは?

小池さんに「最近こういう風に考えていて、こうする方がいいんじゃないかと思った」とかって言うと、絶妙な言葉を返してくださるんです。どんな言葉かと言われると難しいんですけど、すごく短い文で「それいいわね」って(笑)。

決して焦らせない。すごく信じられてる感じがあったし、逆に何もないとちょっと怖い時もありましたけど。見捨てられているのかなって思うぐらい放置。ただ、連絡しなさすぎて、 もうこちらから連絡するのは怖くてできないみたいになってしまっても、久しぶりに連絡すると、そんなの私何も心配してないわよという感じなんですよ。

ちょっと連絡しないとバンバンくる人もいるんだけど、そうなると逆にさーっと引っ込んでいってヤドカリみたいなっちゃうことがあるんですよ、私。社会適応能力がないのはダメなんだけど、追われるとなんかもうなかったことにしたいみたいな(笑)。

でも小池さんはおおらかな感じで「それは陰と陽ね。ぴったりなような気がするわ」みたいに相談に乗ってくださる。私が言っているかけらの部分をきちんと受け止めて、一緒に集めてくださるって感じがしましたね。今何をしたらいいかとか、こんな視点はどうかというのを、言葉に変えるのがお上手な方ですよね。

──小池さんは東京で芸術祭をやるのなら戦争への鎮魂についてやりたいと、宮永さん、柳井信乃さん、そして内藤礼さんの 3 人を選ばれたわけですけれども、どういうお話し合いがあったのですか。

「テーマは祈りがいいと思っているのよね」という小池さんからのふわっとした投げかけから始まりました。私もそれに応えていこうと自然に思うようになっていきました。やっぱりそこに光があるってことが祈りだと思うし、そんなに言葉でこうですよねって言い合わなくても、「うん、そうね。すごくいいと思う」と小池さんから言われるみたいな、そういう感じでした。

──小池さんからのお願いはありましたか。

なかったですね。

でも、これをやるって決めた心意気みたいなのを伺ったときに、こういうふうに応えたらいいんだなっていうような感覚がありました。それはやっぱりずっしりとしたもの。軽やかだけど、心にしっかり届くものをやらなきゃいけないんだなと。重い色のものは求められてないこともわかったし、ビエンナーレならではのにぎやかな祝祭性でもない。ここに行けば 安心したものに会える、耳を澄ませてまたひとつ考えが落ち着くみたいな、そういう場所を作った方がいいんだなというような感じを受けました。でも別にそうしてねとか、直接依頼されたこともないし、なんかそうなのかなって思ったんです。

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「Praying for Tokyo 東京に祈る」キュレーターで「東京ビエンナーレ2020/2021」総合ディレクターの小池一子氏


余白が大事──作陶の生家から今につながる世界観 

──作品を見せるときに、お客さんに考えてもらうことを意識していますか?

そうですね、アーティストはみんな意識してるんじゃないかな。私がいいなと思うのはあんまり派手な感じではなく、作品を見て 3 日後ぐらいに外で洗濯物を干しているときに、「あ、この感じなんか何日か前に見たな」と、ふと現在ではないどこかの時間と繋がる感じです。

音楽や匂いでも違う時間を思い出すことってあると思う。

私たちは一方向に進んでいる時間軸の中で生活しているんだけど、ある瞬間がスイッチとなって別の時間にふわっと飛ぶことができるのは人間の独特の感じで、そういうのが自分は好きだから。

作品を見たときに、すごかったという衝撃よりも、何だったのかなこれみたいなのが好きなんです。後からまたじんわりしてくるとか、例えばもう1回見たくなる、でももう目の前に作品は無いから今度また機会があれば行ってみたいと思う感じがいい。展覧会場を出てすごかったとその日盛り上がっても、家についたときには消えかけていること、ありますよね。

本当にこれ、好みだと思います。

──ある男性作家が宮永さんの作品を見て、自分だったら空間をガラスで埋めたいって言ったんです。ガラスの点数をもっと増やして、スペクタクル的な見せ方をしたい、なぜなら怖いから。あれしか置かないっていうのは俺にはできないと。多分そこは根本的に違うんでしょうね。

湯島聖堂の人たちも、「これだけ? もう置かないの?」ってすごくおっしゃってた。でも置きませんって。

男性と女性というわけじゃないですが、「Don’t Follow the Wind」展に誘われたときも、 ほとんどの男性の参加者は現地に行って、素材を集める、そこにしかないだけのものを作る、そこに行くみたいな、何かマッチョなんですよ(笑)。それを聞けば聞くほどだんだん自分は引いていく感じになって、自分は現地には行かない。

性差なのか、好みなのかわからないんですが、素材を集めに行かないこととガラスを置かないことはちょっと近いかもしれない。作品を置きたくなる、置いてからじゃないと引き算したくないのに対し、私は最初からいらない。
でも自分の何かを伝えたいからテキストは書くんです。これを書いて残さなかったら、自分が考えている扉の糸口が見えてこないと思う。扉が少し少ないかなと思うんですけど、タイトルやこういうテキストを残すと、やっぱり糸口になるような気がします。

現地に行かないけど、立ち止まって考える。ずっと考えてるみたいな感じもいいかもしれないですよね。

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湯島聖堂 前庭


──湯島聖堂には宥座の器(ゆうざのき)があります。満ちて覆らないものはないという孔子による中庸の教えで、ぶら下がっている桶を柄杓で満タンにするとひっくりかえって水がこぼれてしまう。中庭に敷かれたガラスの数とか、ささやかに置かれたサヌカイトとか、 呼応するような部分を感じますが、宥座の器からもインスピレーションは受けたんですか?

何か具体的にそういうふうに私が思い描いたことはないんですが、作品を作ることのおもしろさはそうやって誰かが次また何かを考える、チャンスが生まれるところにあると思うんです。そういう話を聞くと嬉しくなって、自分はそこまで考えてないんだけど、次また誰かが考えることにもなるといいなと思って作品を置いてる。

何が大事って余白が大事。置きすぎちゃうと、綺麗だねっていう感じだけでそれ以上なんだろうって思わない。

──サヌカイトの鉄琴みたいなコーンと鳴る音が、もし音楽というかたちで仕立てられていて 10 分でループ再生して聞くと、やっぱり余白が生まれないから鑑賞者は受身になって しまうんでしょうか?

文字で書くと、書いてある音を聞いちゃう。説明には特に何にも書かないけど、「鳴るかもしれない」とだけ書いておけば、かえって周りの音を聴くことがありそうな気がする。ナフタリンの作品でも「変わっていく過程を録画した映像の作品にしないんですか」と以前よく聞かれましたが、それってあんまり意味がない。

自分は今しか見られないんだけど、もしかしたらこうかな、ああかなって思うだけでも十 分。映像は何かイージーな感じというか、10 分映像の前にいれば、何か見たっていうふうにも思える。でも私が見て欲しいところはその時間じゃないから。

さっき言った 3 日後に思い浮かべる、何かまだどこかとつながっているといいなと感じられる方が、自分が好きだからだと思う。だから 1 回も録画を撮ったことないんです。

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サヌカイトの置かれた左天水桶と、陽だまりの小鳥


──確かに映像や写真など複製すると、一番綺麗なところで切り取ってそれを繰り返し見ることはできるけれども、その裏に流れている世界が存在していることは置き去りになってしまいますね。

一つの時間で区切りたくないんだと思います。

でもお客さんにしたら、作品を見て、「そうなんだ。へえ」っていうのでいいかなとは思います。例えばナフタリンの作品がいくつかあるときは、わざと時差をつけたり、速度を変えたりしています。なんかそれで十分じゃないのかな。

──そういう世界観がしっくり身に馴染むようになったきっかけは?

以前は「死に興味ありますか」とか、「死生観はどういう感じか」とか聞かれたことがあるんですけど、今はそうでもないですね。古いものがたくさん整備されていないままある家で育ったから、そうなっちゃったんですよね。100 年前に誰か作ったものがここにあって、今使われていない。もう稼動してない工房の道具もそこら辺にあって、まったく整理されていない。

ゴミなのかと思うような状況もあり、でも置くところがいっぱいあるから、何か残したいとか、そういう気持ちも薄かったと思います。時間がいっぱい置いてある家だったんですね。

──作品を残したいと思ってない?

何かどうしてもこれを残したいとかって思ってなかったと思います。 面白いことを思いついちゃったってやる方が興味があって、残したいとかお金に変えたいとか、そういう思いはまったくありませんでした。

周りに物を作ってる人がいっぱいいたんですが、みんな儲かってなかったし、だから自由だった。お友だちのお父さんはネクタイして会社行くんだけど、私の家では明日も別に用事ないみたいな人が夜集まって飲んで、そして次の日も特に帰ってない。

誰かがやってないことをやらないと意味がないっていう人たちだから、何か新しいものを作ることは面白いことだっていうような現場は多分そこにあったんですが、完成度の高い物を作ったら世界に行けるよみたいな風はそこには吹いてなかったですね。

だから何か面白いことをやってみたかったのかな。あと物はありすぎたから、残るもの、捨てられないものをわざわざ作ることもないと思っていたのかもしれない。でも今では何か残るものもあったり残らないものもあったりでいいと思いますが。

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最近、昔の家のものに触れると、やっぱりそこにしかない時間がちゃんとある。今、京都の実家の近くに住んでいて、昔のものを目にする機会が増えているので、逆にそれをまた別の作品に変えたりとか。

例えば焼き物は中身なんだけど、焼き物の型っていうのは外側ですよね。外側は今もあるんだけど、中の焼き物はもうないという場合もあります。中身は価値として作品になっていくし、例えばどこかに収められたりするんだけど、外側の型って誰も興味を持っていない。

ある世代の人たちの型が分類されずに家にたくさんあるんですけど、でもそれってちょっと面白いなと思っているんです。中はどういうかたちか、見る人が見てないとわからないことがある。

例えばナフタリンで置き換えてみると、ナフタリンは常温でも昇華して消えていくのに、 焼き物は焼いて化学変化してるからすごく長い時間存在できるわけで、その対比はちょっ と面白そうだなと最近やっています。

自分の生まれ育った環境について考えてみる時間が始まってる感じです。日本の美術っていうか日本の中でそういうこと多いのかもしれないという話にもなった。

例えば、外国のセーブルみたいなお人形の石膏型で言うと、300 年前のものはやっぱりすごく価値がある。でも、日本人は1個しかないのが好きなので、いくつも焼き物を作れるその型は、セーブルの型が大事にされるような感じじゃない。趣味の嗜好の違いがあるのかなと思うんですけど。

過程に使ったという点でいえば型は下絵と遠くない。量がすごすぎて唖然とするぐらいあるんですけど、今ちょっとやってみたら面白いなと思っています。

──お父様が作陶家でいらっしゃいますが、そちらの道に進もうとは考えなかった?

父が行った京都市立芸術大学が憧れの大学で、何か新しいことにチャレンジしている学校の校風も好きだったし、入学したかったんだけど、二浪でも入れてもらえなくて、私立の京都造形に行きました。

京都造形の彫刻学科の先生が「新しい何かを初めて作るんだったら、自分のことを知らないと作れないよ」と言っていて、それはなるほどと思ったんです。

京都芸大の大学院にも落ちてどうしようかと思っていたときに、家のことを知りたかったので、焼き物の勉強してもいいなと2年間京都の焼き物の学校に通いました。朝9時から最初5時まで菊練りだけして、5ミリずつカットして空気が入ってたら、明日も菊練りねみたいな、そういう訓練をするところに1年。その後、焼き物の釉薬を勉強したから焼き物の作品が生まれたんです。

焼き物のことを知らなかったら家にある道具はただのゴミにしか見えなかったはず。早く処分すればいいのにって子どもだから思うし、何で残してあるのかわからない。でも、焼き物を勉強したらそれが大事なものなんだなとわかった。

陶芸家になってもいいなと思ったんですが、陶器の世界が何か深すぎて怖くてそれ以上入っていけなかった。

ろくろは遠心力の世界の面白さもあるんだと思ったけど、そこに自分が収まる気がしないし、釉薬は少しパーセンテージを変えただけでも無限に焼き物が生まれちゃうし、私がやりたいのはこれじゃないと思った。それよりも焼き物の勉強をしていて発見した、例えばずっとヒビが割れていく釉薬の調合の方に興味があったんです。ヒビをもっと酷くしたらもっとこうなるんじゃないかとか、そういうのを作品にできるかもしれないなっていうふうに思いついちゃった。

──東京ビエンナーレは終わってしまいましたが、改めて宮永さんの作品を拝見したくなりました。今後の活動について教えてください。

2021 年 10 月 9 日から京都市京セラ美術館で開催予定の「コレクションとの対話:6つの部屋」に参加します。同館の所蔵品を使って、複数のアーティストが各部屋をキュレーションしていくという展覧会で、自分の作品を見せるというよりも、どういう作品を選んでどのようにそれらを見せるかがテーマです。美術館は陶器の置物を持っていて、私はそれらの型を持っている。両方を一緒に見せるとか、自分の作品として見せるとか、そういう試みをや ってもいいかなと思っています。

また 12 月に、向かいの京都府立図書館で展覧会(「宮永愛子 公孫樹をめぐるロンド」京都府立図書館、2021年11月30日〜12月19日)をやろうという話があります。京都市京セラ美術館ができたのは 1900 年頃で、その頃の京都市辺りはすごく近代化が進んで、最初に図書館ができた。京都のいろんな作家さんはそこで展覧会をやっていたんです。美術館がなかったから。父の話によると、みんな作るのは好きですごくたくさん作るんだけど、片付けには興味がないから、いろいろなお宝が図書館に溜まったらしいです。その後美術館ができてからは、美術館で展示するようなものは美術館に移っていくんですけどね。その頃の壺の焼き物が府立図書館にあって、その作品にまつわる展覧会をやろうということになったんです。 そこは図書館なので、この湯島聖堂のガラスの作品を持っていったらいいんじゃないかと思ったんです。まだ計画段階なので、実際にそうなるかわからないんですけど、そうしたら湯島聖堂という図書館の始まりだった場所から図書館に続いていくので、なんかちょうどいいじゃない(笑)。だから、湯島聖堂のガラスは、もしかしたら冬になったら京都にいるかもしれない。たぶん作家の人は少しずつ温めながら日々暮らしていて、突然何かになっ たりしなくて、じわじわ、じめじめ暮らしているっていうか、そういう感じなんです。

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◎2021年8月29日、3331 Arts Chiyodaで収録


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