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被ネグレクト児がセルフケアできるようになるまで

右下顎が腫れていて、痛い。

ここ数日、寝て起きてまず感じる感覚がこれである。
大昔、ヤブ歯科医に四肢を押さえつけられて神経を削った奥歯の大穴が、今やわずかな破片と根っこしか残っていない。恐らく、そこが今になって化膿している。心当たりがありすぎる。

思い返すと実家時代、反医療で医療ネグレクトが酷い、医療費を限界までケチりたがる親を説得し、やっとの思いでかかった病院で
医者の先生がたに「いやーこれは痛かったでしょう…」
「苦しくなかったですか?」「よく今まで耐えてこれましたね」
などと言われる事が何度かあった。耳鼻科にかかれば中耳炎について、献血に行ってすら血中酸素濃度について(血が薄くて献血は断念)、他の科でもなんか色々。

ただ、それを「耐えていた」という自覚はなかった。
より具体的に言語化すると「痛い、苦しい」というのが当たり前の日常を過ごしていたから、それを「異常」と感じるセンサーがバカになっていた。故に「痛くないか、しんどくないか」などと改めて問われても「言われてみればそうなのかもしれない…?」という位、外的な痛みや苦しみに無関心だった。

仮に痛みや苦しみがあってもアルコールや市販の鎮痛薬で心の痛みごと感覚を鈍化させていた。それがいかに異常な日常だったか、今になってようやく自覚しつつある。

自分個人の問題など些事だと思うくらい家の問題に毎日追われていた。だれかの尻拭いや親のご機嫌取りをしないと三食食べるのも風呂に入るのも難しい、本当に奇妙な家だった。
育児放棄された赤子が泣くのをやめて手近なものを口に詰め込むように「SOSを出しても解決しない」と諦めていたし、「問題だ、痛い、つらい、病院に行きたい」と訴えることで生じる「親がなぜか機嫌を損ね、イチャモンをつけてくる」「更に兄弟に言いふらされて面前でネチネチと悪口を言われる」などの被害に対処するのが嫌で、問題が生じてそれを「問題だ」と認識する感覚すら極限まで麻痺させてやり過ごしてきた。助けてくれるはずの人に助けてもらえないという経験が蓄積すると否が応でもこうなる。他人に助けてもらう事を期待しなくなる。

実家を出てどうにか自分の人生を取り戻した今でも、その過去の影響で未だに自分個人の問題をぎりぎりまで抱え込み、「あわよくば自己解決できないか」と不要な努力をしてしまう。人に頼る事に高いハードルを感じる程度には抵抗がある。

今後はすっかり馬鹿になってしまった問題センサーを復活させ、「迅速に適切なセルフケアのために外部にSOSを出す」というリハビリと成功体験を積んでいく必要があると感じている。親に大切にされなかった分、自分を大切に扱う必要がある。

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