しにぞこない

元被虐児でヤングケアラーの不眠患者。 解離性健忘で飛んでいた辛い記憶が、最近になって …

しにぞこない

元被虐児でヤングケアラーの不眠患者。 解離性健忘で飛んでいた辛い記憶が、最近になって フラッシュバックなどで蘇るようになったので、 拙いながら記事にする事で、当時言語化できなかった 辛さ怒りなどの真っ赤な水子達をひとつひとつ供養しています。

最近の記事

お金の話が苦手っつー話

学校で必要なお金の話をするたびに、親と家庭環境が荒れて、妹と弟にもとばっちり暴力が行く(逆も然り)というのが日常だった過去から、金の話そのものが苦手なまま成人してしまった結果、何も考えずに物を買ってしまったり、店員に買い物中に金額を伺ったり己の中の予算を強く意識して買い物をするのがめちゃめちゃ苦手かもしれない事に今更気づいてしまった。 自分の使いたい事(ブランドバッグ、服、香水、靴、占い、ダイエット、健康食品、FX)にしか金を使わないネグ親の元であらゆる飢餓と貧困に耐えなが

    • 暗い藍色

      藍色は一日の終りの色だから 「今日はもう何もしなくていいんだ」という 安堵感に包まれる。私にとっては幼い頃から そして今もなお好きな赦しの色だった。 時間に追われ、トラブルに追われ、 目まぐるしく急かされ心休まらない一日が ようやく一段落し、大人も子供も全員寝静まり 好きな事ができて何事もなく眠ることが 許される時間。人生という罰の唯一の休み時間。 中学一年生に上がった頃、 そう思ってた矢先に睡眠中に叩き起こされ、 濡れ衣で真夜中に母に感情の捌け口として 滅多打ちにされて

      • 沈丁花の香り

        夜風に漂う沈丁花の香りで、可愛がってもらっていた父方の祖母に、何歳頃だったか、祖母の庭にあった立派な沈丁花の木を誕生日にもらった事を思い出す。 自分より大きな、花が満開の沈丁花。 嬉しくて日に何度も水やりをして、他のプランターや植木鉢の観葉植物たちにもついでにたっぷり水をやり、庭用のサンダルと足を泥だらけにして、冬眠から目覚めたガマガエルをバケツに獲って遊んでいた、やんちゃな就学前の小さい春先の思い出。 そこから二十年以上経った今もなお、冬の耐え難い寒さに凍え疲れ、冷た

        • 母の日と父の日、無理だなぁ…

          いつもの自語り日記です。 心の弱ってる方や人から負の影響を受けやすい方は 辛くなったら読むの中断して休憩してね。 この時期に思う事 家族で祝う、家族で過ごす、 家族に感謝の言葉や物を送る。 そういうイベントが年間でいくつもある。 その日が近くなるとこぞって花だのお菓子だのを ショーウインドウに派手に並べて お祝いや感謝のメッセージを添えて プレゼントするよう、各方面から力強く促してくる。 どこもかしこも、キャンペーン。 定期的に届く通販サイトのメルマガとか、 SNSの

        お金の話が苦手っつー話

          実母と絶縁した私が実母に殺された友人の墓参りに行った話

          彼女とは専門学校で学年とクラスが一緒だった。 運動会や文化祭で一緒にご飯を食べたのをきっかけに オタク友達として仲を深めた。 八方塞がりで、物心ついた頃から山積みになっている問題を どこから片づけたら良いかわからないような、途方に暮れる人生と 日々に追われながら、漠然と「お互い生きづらいね」と言い合っていた。 しばらくして、カラオケや飲み会に行く程度の仲になった。 そんな中、出先で毎回頻繁に親から来る怒涛の鬼電と、 長文メールを小まめに確認しては難しい表情を浮かべていた。

          実母と絶縁した私が実母に殺された友人の墓参りに行った話

          自己受容のための手続きと資料集め

          期限の二日前ギリギリに支援措置を終えられた。 これでまた親に住民票を覗かれ 住所を特定される心配がなくなった。 そのついでに役所内のあちこちの窓口をはしごして 相談した結果、毎年苦戦していた自立支援医療と 精神手帳の更新の手続きを生活福祉課の地区担当の ワーカーさんに代筆してもらうように頼めた。 これで来年以降の負担が二つほど減った。 ついでに支援措置についても役所と警察の間だけで どうにかできないか、せめて二、三か月に一回など 頻度を減らせないかワーカーさんに頼んで調べて

          自己受容のための手続きと資料集め

          支援措置の話と人助けの話

          グループホームから出て新しい家に引っ越したと同時に、 親と絶縁すべく分籍と支援措置(住民票の閲覧制限)を行った。 これによって血縁関係であっても住民票を覗かれて 転居先の住所を特定されることがなくなる。 過去の境遇 私は基本的に長子として理想化と脱価値化を繰り返されて 搾取子や家庭の歪みの捌け口としての役割を押し付けられ 居ない所で異端者として悪口を言われ、他の兄弟と親とが 連帯を強めるような陰湿な形でサンドバックにされる事が多く、 教えられてもない事を知らなければ「そん

          支援措置の話と人助けの話

          被ネグレクト児がセルフケアできるようになるまで

          右下顎が腫れていて、痛い。 ここ数日、寝て起きてまず感じる感覚がこれである。 大昔、ヤブ歯科医に四肢を押さえつけられて神経を削った奥歯の大穴が、今やわずかな破片と根っこしか残っていない。恐らく、そこが今になって化膿している。心当たりがありすぎる。 思い返すと実家時代、反医療で医療ネグレクトが酷い、医療費を限界までケチりたがる親を説得し、やっとの思いでかかった病院で 医者の先生がたに「いやーこれは痛かったでしょう…」 「苦しくなかったですか?」「よく今まで耐えてこれましたね

          被ネグレクト児がセルフケアできるようになるまで

          過干渉な親にかけられる呪い

          人に教えることで知識がより身になるように、 私も私が人生で得た知見について、通話仲間とよく話す。 通話で話す事もここに書いてる記事もそれぞれ、気づきをより 言語化して嚙み砕いて己を戒めるという意味合いが強い。 私の友人関係はいわゆる家庭事情が複雑な毒親持ちのメンヘラが多い。 類は友を呼ぶとよく言うが、珍しくもないのだ。それにあえて 選んでいるというより、価値観が近く話しやすく、何気ない時間を 共有するのも居心地がよく、自然と固まってしまうのだと思う。 友人関係でまで過剰適

          過干渉な親にかけられる呪い

          呪詛

          冬特有の抑うつで寝たきりの日が 夏に比べて圧倒的に多い。 虐待の後遺症で日常の些細な事で 頻繁に親に言われたり、されて嫌だった事が フラッシュバックする頻度も増え、 重力と刺のある無数の過去に纏わりつかれ 暗澹たる気分に押しつぶされ身動きが取れず、 一日の大半を布団に潜ってやり過ごすしかなくなる。 しかし、寝たきりではあるが、暗い天井を眺めて そのまま眠れない夜も多い。 生活リズムがいつまで経っても整わない。 通院歴が長くなり、それなりに自分に合った 睡眠薬や睡眠導入剤が処

          地獄の窯の底

          前回の記事で話した不安障害を 本格的に発症した中学1年よりも前の話。 小さい頃、事の善悪についても まだわかってない就学前後の話から。 親の気分次第で晩御飯が出てきたり 出てこなかったりするのが日常だった。 父の稼ぎでまだそれなりに裕福だったけど 自分が着たい服や食べたいものは 滅多に買ってもらえなかった。 一度買い与えた物も母の機嫌の善し悪しで まとめて捨てられたり壊されたりした。 特に母は主に娯楽や漫画やゲームについて 目の敵にしており、何か気に入らない事があると

          地獄の窯の底

          来年の抱負

          自分はMBTI診断でいう所のINTPで、 わからないことは分かるようになるまで 夢中で調べてしまうタイプだ。 時には現実を忘れてしまうほど問題の分析に 躍起になってしまう。 実際今もなお、タスクが相変わらず山積みで、 手前のできる事からさっさと処理して 早い所やりたいゲームなどに手を付けたいのに、 気づいたら12月の半ばだ。 中学の頃から社交不安障害で視線恐怖が酷かった。 子は本来、親から人との交流の仕方を学ぶらしいが うちの親は他人との交流が下手で学びようが無かった。