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PERFECT DAYS な秘密

noteを一週間続けて書いて、少し休んでみた
続けることに意味があるという話は分かるが、
続けることにこだわるのもどうかなと思ったりする

書きたいから書く
毎日書きたくなって書く
そんなnoteならいいかと思う

放っておいてもらえる自由があるnote
というのがいい

書く時間がないことが多いが、
時間があっても書きたいことがなければ書けない

書きたいことって何かというと、
僕の場合、ただ「書きたいこと」として
立ち上がった感情そのもので、
書いてみないとその正体は分からない

今立ち上がっているのは、
noteを PERFECT DAYS という映画の感想から始めたことの意味

全くの偶然だし、ただの思いつきで書き始めたのに、しっかり意味があるというのは、どういう宇宙の仕組みなのだろうと探りたくなる

相変わらず日々は PERFECT DAYS であり、
毎日ささやかな最高!が続いている

映画に関するnoteの感想を読んでいると、
僕のように言い切れる毎日ではない人も多いと感じる

何故かと理由を考えてみると、
本当にやりたいようにやらせてもらっているからだと思う

でも、そのやりたいようにやらせてもらえている状況は、
他ならぬ自分が創り出しているという自覚があるところ
違うような気がする

作為的に作ろうとすると、上手くいかないものだ
結果的にうまくいくような「身体の使い方」をするのがコツだ
という仮説を持っている

「身体の使い方」というのは、
自分の精神面や感情のコントロールも含んでいる

手足の使い方という狭い意味でなく、
筋肉や関節や神経の使い方、という
かなり微細な世界での「身体の使い方」が鍵になる

立ち方、座り方、歩き方、寝方
そんな「あり方」こそが違いを生む
「やり方」に意識を向けると上手くいかない

僕はこれを古武術の稽古を通して学んできた
身体という自然を通じて、
稽古の成果を毎回確認できるところが古武術のいいところで、
他者と優劣を競うスポーツや、
段とか級という序列に左右され、
強さが偉さになるような武道では体現できないと思う

古武術の世界は「一人ひと宇宙」
自分の世界をいかに豊かに繊細に創って行くかを、
それぞれが励むのが稽古の本質だ
とてもとても地味なところが、すごく気に入っている

そういう地味で繊細な「身体の使い方」ができてくると、
毎日が PERFECT DAYS になるというのは、
何となく分かってもらえるのではないだろうか

加えて、
いい先生と仲間に出会えたことは、
本当にラッキーだった

ラッキーは即行動に移すところがポイント
自分の直感だけを頼りに決めることができるかどうか、
そこが分かれ目になる
時間をおくと、ラッキーの波は遠ざかって行く

今日僕が書きたかったのは、そういうことだったのか
と、今分かった

何かを伝えたいと思った時、
でも特に人に話すようなことでもないなと思った時、
内容が深すぎて伝えにくいなと思った時、
noteを書いておくというのは、
いいかもしれない

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