30すぎて髪を切られすぎて凹んだ話

先日読了しました。

この本の中で

105歳という年齢を迎えてもなお、僕にはまだ自分でも知らない自分がたくさんあり、その未知なる自分と出会えるということに、心からわくわくしているのです。

という文章がありました。

先生に比べたらまだ1/3ですが、三十を過ぎて自分のことは大体わかってきたつもりでした。
しかし頭で考えていることと、自分の心の反応は別だなぁと感じることがありました。

美容院に行った時のことです。
初めての美容院で、鎖骨より長いくらいの髪だった私は
結べるくらいのボブにしてもらおうと写真を見せてカットをお願いしました。
髪の後ろ側からカットをする美容師さんで、鏡を見ていてもどれくらい切られているのか分からず、
最後にサイドの髪を切る時に「?!」
短さに気がつきました。

もう思春期でもあるまいし、こんなことで落ち込むことないわ〜
今ちょうど断捨離中だし、髪の毛も気分転換にちょうどいいや〜
と色々な思いを巡らせ、
最後の「大丈夫ですか?」の確認にもにこやかに「はい」と返答し
至って平常心で美容院を後にしました。

帰宅後、
改めて鏡をみるとお願いした写真よりかなり短いな・・・と感じました。
サイドの髪が顔に当たる感じが嫌で、いつも結べる長さにしてもらっていたことも思いだし、
美容院で巡らせていた思いに反して、気になって気になって仕方なくなってしまいました。

時間の無駄だと分かりつつ、グーグルで「美容院 切られ過ぎた」で検索をし、
思春期のお悩み相談で「こんな髪型なら死にたい」みたいな意見も目にしました。

端からみたら「何言ってんだこいつ」と思うのですが
多分その方も頭では、こんなことで死にたいと思うなんておかしい、気にすることない、髪の毛は伸びるもの、と分かっていると思うんです。
でも心が反応してしまう。
30すぎてコロナでほぼ引きこもりの私がこんなに気になるんだから、
自分の意に反して死にたいという気持ちになってしまうのも、分かると思いました。

こんな歳になって恥ずかしいなと思ったのですが、
ふと先日読んだ日野原先生の本を思い出しました。

実は、この年末に、肌のしみとりにもチャレンジしてみたのです。人間には外見を整えることで、人に会いたくなったり、積極的な気持ちがわいてきたりするという心が備わっているのだと実感します。
過去の自分にこだわり、自分のやり方はこうだとか、自分はこういう性質だ、ということを決めつけず過ごしています。だから毎日が自己発見の連続なのです。
その中には、日常の小さなことから、人生観を変えるような重大なものまで様々あるのですが、特に大きく自己を見つけられたのは、苦難にあったときや病気を患った時に多かったように思います。

自分の中にある30を過ぎた私は、髪が切られ過ぎたところで特に気にならない私でした。
髪を切り過ぎたという、本当に小さな日常のことですが笑
実際に切られてみて、思っていた以上に髪の毛のことを大切に思っている自分に気がつきました。

二十を過ぎたら自分は変えられないと思っていた私ですが、
むしろ気がついていない自分がたくさんある可能性に気がついて、
あまり自分のことを決めつけずにこれからも過ごしていきたいなと思ったお盆休みでした。


追記) 1週間で慣れました。


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