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私は担任を持ちたくない

 私は担任を持ちたくありません。

 もちろん担任の仕事にやりがいを感じている人もいらっしゃいますし、勤務している職場によっても考え方や動きが違います。

 自分の勤務校では担任になると4点のことで辛い思いをしました。


1.学級のことはなんでも担任のせいにされるところ

 学級で問題が起こると、学級担任は何してたんだ!といった具合に様々な立場からもの言われます。

 中学校だと移動教室は生徒だけでなく教員もあり、教室や特別教室を移動している時、生徒を最後まで見届けるということができない場合があります。

 そのような中で、例えばものがなくなったであったりとかものが壊されたなどの問題があったときに、学級担任が大きな責任を負うことになります。

 実際には学年に所属している職員がチームとなって動かなくてはならないのですが(生徒に良い意味で隙を与えない)、とりわけ担任以外は所属感がなく、チームで動くのは担任のみです。

 だから問題が起こったときには、担任が全ての責任になってしまっています。

 自分の勤務校は副担任も学級に配属されていますが、副担任は問題行動が起きても何も対応しなくて良いのです。

 また、学級の話し合いや指導に関して、副担任が入って共に指導することもありません。

 完全に担任任せなのです。

 サポートはいません。


2.「担任じゃないと学級が荒れる」なんて言われ学級に入らない副担任

 「担任でないとその生徒を指導できない」と言われました。

 でもそれってその生徒をよく理解していないから指導できないのではないかと思います。

 もし、私と同じように生徒と同じ空間で生活していれば指導できるはずなのです。

 担任に指導してもらえばいいという考えがあり、問題行動があった場合でも直接生徒に指導するのではなく、まず担任に報告されるのです。

 担任は見れない時もあるので、リアルタイムでの指導ができないことがあり、その時の雰囲気などを感じないまま指導にあたります。

 その場その場できちんとした指導をすることで、みんな(生徒も教員も)が生活しやすい環境を作れるのではないでしょうか。

 指導は後でするといったことはあってはならないことだと感じています。

 ”生徒指導は鮮度が命” と生徒指導の同僚から学び、その通りだと指導のたびに感じます。

 時間が経ってしまうことで鮮度が落ち、いくら丁寧に処理をしても、心にささる味には到底ならないと思います。

 そのことを知っているにもかかわらず、指導しない。

 これは怠惰であるとしか言えません。


3.教科の授業の時間数が減るところ

 学級の活動には様々あります。

 もちろんやっていて楽しいものもありますが、自分は教科の指導を一番大切に考えたいと考えています。

 そのため、学活や道徳などに自分の授業する時間を取られるのがあまり良い気がしません。

 教科の専門性を高めるために学んできたのに、また教科の専門として採用試験を受けたのにかかわらず、生徒指導・道徳指導の専門家でもないといけないのです。

 もっともっと自分の教科のことでやりたいことがあり、いろいろなクラスを持ちたい思いがありますが、担任を持つと教科の授業を持つことが少なくなってしまいます。

 それが楽しいのであれば良いですが、私はそうではありませんでした。

 授業の中で学級経営をしていきたいですし、教科の指導に力をいれ、全員が楽しく学び、理解できる授業をすることがいちばんの生徒指導になると考えているからです。


 

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