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スキなモノをスキだと言えない理由

 
いつだって思う。
好きは重たく苦しい。

これは恋愛に限った話ではないはずだ。

20年と少し生きてきて、私にはこの世に好きなものも嫌いなものもたくさんできた。

ただ、嫌いなものは
「嫌い」というそれだけを他人に軽々しく提示できるのに対し
「好き」は妙に重たい。

これは、わたしがひねくれているからなのか。

例えば、私は読書が好きでアニメが好きでお酒が好きで漫才が好きだ。
それらはそのまんま趣味の欄にも書ける、と思って生きてきた。

でも、読書もアニメも漫才も私のお気に入りはみんなのお気に入りで。
「知る人ぞ知る」や
「私だけが知っている」という冠、
「誰より」をという冠をかぶった
豊富な知識もそこにはない。
ただ惜しみない愛だけがそこにある。

でも、「愛」なんてわかりにくくて推し量れないものだけで、趣味とは言えない気がしている。

好きな作家を聞かれて「誰もが知っている」人をあげるとき
好きなアニメを聞かれて「国民的」アニメをあげるとき
好きな漫才師を聞かれて「テレビで引っ張りだこ」な人たちをあげるとき

そんな気分になるのは私だけなのだろうか。

反対に、マニアックな、ヒトやモノやグループを好きだと言う人たちは、それだけでものすごく許されてる気がする。

誰もが知っているモノをあげていても、誰にも負けないくらいコアな部分まで網羅できていれば、許されている気がする。

誰に?誰かに。
何に?みんなに。

お酒もそうだ。
オレンジジュースを愛しているのと同じ角度でお酒を愛している。
お酒は種類がたくさんあるけれど、
口にあえば好きだし、口にあわなければ嫌いだ。
好き嫌いの線引きなんてそんなものだ。

私はお酒が好きだ。 

「飲みに行こーぜ」と言いたいだけの、ジュースみたいなお酒で雰囲気酔いしてしまうような飲み方も好きだし

度数の高いものをゆっくり飲んで、脳をアルコールでひたひたにして、じんわり酔っていく飲み方も好きだ

翌日のしんどさをわかっていながら
後先考えずガンガン飲むのも好きだ、と思う。 (何度も繰り返しているのだから好きでなければ困る…笑)


ただ、種類、産地、エトセトラ。
お酒は研究するに困らない養分を多く含む。
他の趣味と同じようにお酒の海は広くて深い。
それらについて語れる知識がないと好きと言ってはいけないほどに。

そう考えると
好きというために
趣味と名乗るために
必要な装備は2種類しかないのではないかという気がする。
愛なんて曖昧なものではなくて。
「いかに誰もが知らないか」
「いかに誰より知っているか」

でも私は、「好き」には感情だけでまっすぐ向き合っていたい。
手当たり次第に手を伸ばして、嫌だと思えば手をひっこめて
気に入ればずっとにぎっていたい。
ただ気に入ったという理由だけで。
気に入らなくなったらすぐに手放したい。
ただ気に入らなくなったという理由だけで。

勉強や仕事や人付き合いや愛想笑い、私怨、義憤、後悔、その他生きていくために酷使している脳の機能を全部全部オフにして、
  
疲れたときにふらっと手にするコンビニスイーツみたいに。
料理したくないときにスイッチをいれるカップラーメン用のケトルみたいに。
こすらず洗えるバスタブクレンジングみたいに。

自分をちょっとごきげんにするものとして、本やアニメやお酒をそばにおいておきたい。


そうやってどっぷりつかって
いざオンモードになったときそれは「しあわせ」という記憶のかたまりで
だから私は他人に対して語る言葉を持てない。
それは、趣味にはなりえないのだろうか。

私にとって日々をそっと温めてくれるものが、充実させてくれるものが「好きなもの」で「趣味」だから
「趣味を充実させる」ための知識や勉強はとても重たい。
逃げたくなる現実と同じ重さだ。

でも、本当に手当たり次第に手を伸ばしたかったら1番の武器になるのもきっと知識で勉強なのだと思う。
そういうものに裏打ちされてないと、本当に好きなときに好きなものに手を伸ばせない。

だったら苦もなく勉強を続けられるのが本当の「好き」で「趣味」なのかもしれない。

だとしたらきっと私は愛が足りないのだろう。
だって「好きなもの」も「趣味」自分を甘やかすための「ごほうび」の位置にいてほしいから。
他人に対するマウントや話のネタやエントリーシートの欄を埋めるものではないから。


でも、長々としたこれらはきっと詭弁で、
たぶん私は恐れている。
趣味や好きなものが平凡で、お酒だって「そこそこ」しか強くない。
好きなことをすら努力の対象にできないわたしは、誰かにとっての「トクベツ」になれるのだろうか。
今わたしのそばにいてくれる家族以外の、
友人や恋人に、
わたしが取り立てたものを持たないふつうの女の子だと、のんべんだらりと生きる浅い人間だと露見することをとても怖がって、だから簡単に何かを好きと言えないのだ。


「好き」は私を1番ふわふわと自由にするはずなのに、そのせいでいつだってがんじがらめな気分になる。

その重さは、時として快感で、
時として私を潰してしまうのだ。

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