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島津重豪という人@気になる人物

薩摩、鹿児島といえば西郷隆盛。
もしくは大久保利通。なのでしょうか。
私的には小松帯刀が好きです。

そこで気になるのが、
こういった人たちがどうやって育ったのか、
時代を国を変えれるくらいに至ったのか。

私は、
島津 重豪という方が気になるんです。

薩摩、島津家といえば、島津斉彬ではないでしょうか?(私だけ?)
篤姫でも有名ですよね。

重豪(しげひで)は斉彬のひいじじ。
この方、オランダかぶれといった感じで蘭学に傾倒。
オランダの美術品も買い漁っていたという方だったらしいです。

そんな、ある日。シーボルトというオランダ人(本当はドイツ人だが、当時オランダ人を名乗っていた)が江戸に来ていて、会えるかも知れないという情報を得た。
居ても立っても居られない中、既に家督を譲っていた自由人なので、
早速、動くことに。

そうだ、それならばと利発で可愛がっていた曾孫の斉彬を連れてと江戸へ行こうとした。
更には、その情報を知ったのが重豪の息子で中津藩の藩主であった奥平昌高

彼も父の影響でめちゃくちゃ蘭学好き!オランダ好き。
親父シーボルトに会いに行くん?
俺も行きたい!!と。
とっとと息子に家督を譲って「俺も自由人!」

80代の重豪、40代の昌高、10代の斉彬の3人で“いざお江戸”。
シーボルトにあってめちゃくちゃ刺激を受けたであろう3人。

重豪、斉彬の影響が、薩摩の家臣たちにも行き渡ったであろう。
昌高の影響が、大分中津藩の家臣(福沢諭吉)に行き渡ったであろう。

新しい、まだ知らないものに好奇心旺盛な3人。
薩摩、日本、という小さな視点からではなく、
世界から見た自分たち。という視点を既にもっていた彼ら。

自ずと、言動も行動も変わってきたであろう。
しかし、200年続く江戸時代。
変わり者でなかなか理解者も得られなかったはずだ。

そんな中、優秀な家臣たちを庭番にし、チラ見ができるからソコで、一本釣りで西郷を側近に、身近におくことにしたのだろう。

重豪の好奇心がなければ、薩摩が幕末で日本の中心になったであろうか?
重豪、斉彬、西郷隆盛の流れを思うと面白いなぁと思ったりします。

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