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幼稚園最後の運動会

この前入園したばかりと思っていたムスコが、最後の運動会を迎える年になりました。

彼は本当に毎年の運動会が嫌いで。

「走るのイヤ」「みんなと動きそろえるのイヤ」「先生に怒られるのイヤ」「歌うのイヤ」「踊るのイヤ」と数えきれないくらいイヤな理由を並べ上げて、運動会のひと月前から反抗期の中2男子くらい荒れておりました。(かんしゃくや無視が中2のそれのよう)

朝起きれば第一声が「幼稚園行きたくない」からはじまり、寝る前は「明日幼稚園行かなくていい?」で一日が終わる。もう毎日がサザエさんシンドロームの日曜の夜気分。

極めつけはストレスによって胃がやられて?残業続きの部長のようなにおいがムスコの口から漂うようになる。同居人としても苦痛の一ヵ月である……。

ちなみにそんな日々を乗り越えた運動会当日は、「おもしろくない」が顔から洪水のようにあふれ出した表情で過ごし、親も見ていられない。もはやほかの子から感動をいただく一日なのである。

年少、年中となんとかやり過ごし(というか運動会が過ぎるのを待つのみ)迎えた最後の運動会。彼は変わっていた。

年長は旗を持って難しいダンスをするのだが、お決まりの一ヵ月前を切ったところで「ダンスの振付、だいぶおぼえたんだよ」と満足顔で言ってきた。私は今年の運動会をどうやり過ごそうかと考えていたところだったので、本当にびっくりして……!

その後、毎日のように「サビ前の振付がかっこいい」だの、「リレーは絶対に1位を取りたい」だの言ってきて、あまりの変わりように親が順応できない日々だった。

そして待ちに待った(彼が)運動会当日。
ムスコの顔つきが違った。

絶対に勝ちたい!絶対に上手にダンスをやりたい!という気迫であふれていて、何かもう、神々しい……ナムナム手を合わせたくなるぐらい……。

そして気づいた。
ムスコが成長の階段をひとつ登ったことに。

年少、年中は仲間と一緒にやることの楽しさや達成感よりは、個人の感情が優勢に立っていたんだと思う。なんか楽しくなさそうだな~と思ったら自分だけ楽しそうにしなくても気にならない。自分の視点しかないから。

でも年長くらいになると、自分はどう見られているかや、みんなに好かれたい承認欲求みたいなものが強くなる。だから自然と視野が広くなる。その結果、「ダンスをみんなでそろえられたら楽しいし、みんなもうれしそう」「チームのために勝ちたい」と思えてくるんだと思う。

イヤイヤ期のような”いつでも自分が主人公”ではなく、”みんなが主人公”という感覚を悟ったのかな。

特にそんな思いを感じたのが「かけっこ」。
今年年少のムスメを見ていると、勝つことがうれしいという感情がなく、とりあえず言われたから走ったよ、という表情だった。だからゴールを見ていない。でもムスコを見ると、勝ちたい、早く走りたいという気持ちが感じられて、目は真剣にゴールの先を見据えていた。きっとゴールの先にはみんなが喜ぶ顔もうつっているに違いないと思う。

年少から年長までたった2歳差。
大人からしたら特に変化もない2年間かもしれない。でもこの2年で彼は小さな自分の世界から抜け出したのかと思うと、本当に誇らしかった。旗を振りながら一心不乱に踊るムスコを見ながら涙が止まらなかった。

入園してからずっとコロナの日々で園生活も制限が多く、もしかしたら成長にも何か影響が出るのではと思った時もあったが(実際かんしゃくもひどかったし)、彼は少しずつだけど確実に成長していた。

「ぼく」が「オレ」に代わり、友達も呼び捨てで呼ぶようになった。

いっちょ前に言い返すし、間違えたらごめんなさいが言えるようになった。

何だか親離れもあっという間な気がして少し寂しくもあるが、次はムスメの運動会での成長も楽しみにすることにしよう。

今年の運動会はお母さんは一生忘れないよ。

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