抄本

写真には2つの役割があると思う。

一つ目は記録。
成長記録とかもそうだし、シンプルにメモをデバイス上に残すとか。
新聞記事に載ってる写真だってその役割を持っているだろう。

二つ目は自分の気持ちを知ること。
自分が「撮りたい」と思ったものにシャッターを向ける。
私は昔、カメラを持ってお出かけをするのが大好きだった。

一眼レフを初めて購入した高校一年生の夏。
もともと芸術に深い興味を持っていた私は、Nikonの D3300という初心者用のそれを手に入れた時毎日浮かれていた。

飼っていたハムスターを撮ったり、空や花、そう言ったものを沢山撮っていた。

単焦点レンズのオールドにハマり、光を集めてはファインダー越しにシャッターを切った。

2019年 上野公園にて

今思い返せば、記録としての目的で写真を撮ることは少なかった気がする。

ヨーロッパへ旅行へ行ったとき、観光名所よりもバスで通りかかった牧場での写真が多かった時は自分の感性はこちら側なんだなと感じた。

ベルギーからフランスに向かう途中
バスからみた牧場

私は私の撮る写真が好きだった。
「好きだと思った」情景以外はシャッターを切らないから当たり前なのかもしれない。

一方で、私は高校以前の私自身の写真がほとんどない。
私は私を記録することが嫌だったということの現れだったのかもしれない。

先日ふと思い立って高校時代の私の写真を探してみた。

写真に自分が映るのを毛嫌いしていた上不登校だったから探すのに苦労したが、やっと見つけた数枚の中に、何かのコンペの時の写真が発掘された。

あまりにも目が死んでいたのでおそらく毎日楽しくなさすぎて仕方なかったんだと思う。
そりゃ写真に写りたくなくなるわなと思った。

写真を撮る側は人の思い出を映すけどそこに自身は映らない。
でも、自分が写ってない写真自体が自分の思い出になる。

私はそのようにして学生時代をやり過ごしていたのだろう。

一方で、その過去の轍を踏むたびに心の中にハッカ飴を舐めたような風が吹く時がある。

もう戻れない、もう会えない。
あの日、あの人、あの時の気持ち。

心の中に風が吹く。私がシャッターを切りたいと思った思い出たち。

環境の変化が目まぐるしく起こる中で、かつてあんなに仲が良かったのに今は連絡先さえ知らない人が増えた。
昔好きだった商業施設が潰れたなんてこともざらにある。

23年と半年分。
長い目で見ればそれしか積み重ねていない年月なのに、もう戻らない場所、人、物が沢山ある。

そんなことに気づいたのは22歳と半年のとき。
ちょうど去年の今時分。

フイルムカメラを一つ除いて私はカメラを手放した。
なんだか急に自分の過去を積み重ねたSDカードを覗くのが怖くなって、半ば自暴自棄になりアルバムも燃やした。

「失ってしまった宝物」を直視するのが急に怖くなってしまった。
「初めから存在しなかった宝物」の裏返しが怖かった。

小学生の時に児童相談所に保護される以前の私は身体中に折檻されたアザが大量にあり、
大半の人が持っているであろう成長記録は、私にとっては警察により作成された「虐待報告書」という事実に取って代わられた。

子供というものは本来当たり前のようでとても貴重お日様のような愛のもとに生まれるはず。そんな綺麗事のような何か、誰かにとっての宝物の記録が、私にはない。
そうなるともう自分が撮った写真もなんの意味を持っているのかわからなくなって破棄してまった。

あれから一年。つい先日お盆をかなりすぎたこのタイミングで「実家に戻る」と言った友人の言葉。

実家ねえ。

私の育ての父に「私の小さい頃の写真はないか」と尋ねてみた。
三日後、3桁を超えた枚数の写真。

そこには私の成長記録があった。
少なくとも育ての父にとっては撮りたいと思った私がいた。

嬉しくて、泣いてしまった。
私が私の小さい頃の写真を見て正の感情で泣いたことは初めてではなかろうか。

私が撮りたいと思った写真たち。
周りの人が撮りたいと思った私。

誰かが私にしてくれたこと。
誰かが私のそばにいてくれたこと。

「今はもうない」ではなく、
「確かにそこにあったもの」として存在する過去。

私はやっぱり愛しくて愛しくて、またカメラを構える。
それはどんなデバイスでもいい。

私はcontax ariaとOLYMPUS penというフイルムカメラを愛用している。
そろそろデジタルも買い直そうかなと思う夏の終わりの夕暮れ。

はじめにシャッターを切る景色は何にしよう。
大切だと思っているあの子にしよう。

そうしよう。

とある雨の日

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