異例の恒例
昨日私は救急搬送された。
とはいえ#7119を自力でかけられるくらいには意識を保っていたのだけれど…
朝まで友人とオールで遊んでいて、帰宅したのが9時ごろ。
一度寝て、息苦しさで起きてからの通報だった。
#7119から119に転送されたあたりで呼吸が苦しくなり、
住所を伝えたあたりで気を失うギリギリを保っていた。
自分の知らない普通は語れないが、
もし日常アニメのような"普通"を普通に生きていたら、このような出来事はきっとそうそうないのだろうなと思う。
けど、自分としてはこれは恒例行事のようなもので、
一年に少なくとも3回はこのような発作が起こる。
健康診断でも、精密検査でもなんの異常も見当たらない謎の発作。
忘れた頃にやってくるその前兆が起こると
「あ、今度も生きて家に帰って来れるのかな」と薄れゆく意識の中で疑問に思う。
搬送される時にはほぼ意識がなく、
起きるのは大抵3個くらい並んでる点滴が終わりかけるころ。
深海に沈んでいた自分の体が、
急に浮かんできたエアバッグに持ち上げられるように意識が戻る。
投げ出されているように感じる肢体はタコのようにフニャフニャに投げ出されている感じられるが、
実際は看護師の人が整えてくれ、布団までかけてくれている。
家に救急隊の人が来るたびに質問される。
意識が戻った病室で看護師に問われる。
「ご家族の方はどこに住んでいますか?」
「誰か迎えに来られる方はいらっしゃいますか?」
いないよ。いないの。
家族はね、どこにも。
理由として毎回つく、死んだ、という嘘。
家族がいないという事実よりも、
家族がいなくなった経緯を思い出し、
嘘を所々付かなければいけなかった人生を呪いたくなるこの発作。
もがきながら23年生きてきてこれか〜(><)
そう思っていた、去年の6月に運ばれた時は。
でも今はちょっと違う。
普通の家庭で生まれたかったし、
普通の健康体で生まれたかったし、
普通の人生に持ってくるまでものすごく時間かかったし、
普通の人に溶け込むために背負った嘘とかにまみれて自分が誰だかわからなくなったりしたことを呪ったこともある。
それでも、最近になって、これでいいやって思える自分もいる。
自分は外界との関わりを遮断されてきて、
関わる人間が制限されてきた人生だった。
でも、自分一人で生きられるようになって、
いたい場所、過ごしたい人、そういうのを選べるようになって。
そんな中で自分がどんな人か関係なく「今」を楽しむことができて。
23年分の辛さと引き換えに今があるって思うとなんだか素敵に思えて。
泣きたくなるほど嬉しくて。
6月に運ばれた時は「あ〜、もういいかな、目覚めなくても。」って思ってたのが嘘みたいで。
今回運ばれた時は「どんなに注射が痛くてもいい」「どんなに苦しくてもいいから」
生きていたい。
この発作と闘うし、治るまで病院いくから。
だから、「またね」を約束したあの人たちにまた会わせてください。
まだいえてない「ありがとう」を言わせてください。
そのためにまだ頑張るから。
そう思った。
自分の人生、
「そんなのどうせウソでしょ?」
って言われること多いけど、
嘘であって欲しかったと一番思ってるのは私自身だよ。
というか、嘘と思われる部分がほんとで、
本当と思われる部分が恐らく嘘である場合が多い。
いつか、何気ない会話の中で潜ませる嘘がなくなった時、
今の自分をその時の自分はどう思うだろう。
少なくとも今の自分は、少し前の自分に、
生きててくれてありがとうって思うよ。
明日も明後日もその先もずっとずっと生きていく。
いつまで生きられるかわからないけど、
生きられるように頑張る。
でも…
点滴だけで8000円は高いよ😭
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