チャイラテ|飲むものがたり
甘ったるい。
それが第一印象だった。
「この甘さがクセになるんだよね」
片肘をついてへらっと笑いながら彼が言う。
通勤客や学生で溢れた店内で、私と彼はいつも通り、いつもの飲み物で、いつもと変わらない話をしていた。
彼が頼むのは決まってチャイラテ。新作が出た時も、私のおすすめを聞いても、決まって彼はチャイラテを頼む。
一方の私は今日はホワイトモカ。昨日はカフェラテ。新作が好みの物であればそれ。その時の気分でころころ変わる。
彼がそれほどまでにこだわるチャイラテとは。
「一口飲みなよ」
初めてそう言ってもらった時、間接キスだ、どんな味なの、感想しっかり伝えないと、とドキドキしながら味見をした。
香りはスパイシーで、でも。
「甘くて美味しいね」
甘ったるい、なんて伝えられず、なんとなく濁してわたしもへらっと笑った。どうにも苦手な舌に残る甘さだった。
彼と出会ったのは就職活動中だった。
初めてのグループ面接の時、偶然となりにいたのが彼だった。
緊張しすぎた私は自分が何を話したのかは覚えていないけれど、隣の彼が熱心に行っていたボランティア活動について話していたことは覚えている。
お互いに目を合わせることもなく、何も話さなかったけれど、面接後のエレベーターで彼のスマホに貼られたトトロのステッカーが印象的だった。
その後、何度目かの面接で、再会した。
トトロのステッカーは相変わらずそこにあった。
「あの」
垂れ目がちな目がこちらを向く。てっきりもっと自信家の顔なのだと思っていた。
「はい…えっと?」
彼はわたしのことを覚えていなかった。
「先日たぶんグループ面接のときも一緒で」
「そうなんですね、すいません、僕記憶力が悪くて」
そしてへらっと笑った。つられて笑ってしまうような笑顔だった。
その後何を話したのかは覚えてないけれど、ごはんに行くようになり、そして何度か会ったあと、彼はわたしの彼氏となった。
ごはんにいったあとに、同じカフェに行くことが定番のデートだった。
「なんでもいいよ」
「君の好きにしなよ」
行きたいお店、行きたい旅行先、彼は自分の希望を主張することがほとんどなかった。
そして変化をあまり好まない人だった。
学生時代のボランティアは、今でも休日に続けているという。
「体に気をつけて過ごすんだよ」
「あんまり無理しちゃダメだよ」
彼はよく私を心配した。
なにも無茶はしていないのに、疲れたと言っただけで、本当に心配そうな顔をして優しい言葉をくれた。
彼のそのようなところが、優しさや安定感が、魅力的であり、あたたかく、とても好きだった。そして同時に、物足りなかった。
「なんでいつもチャイラテなの?たまには他のも飲めばいいのに」
「自分が1番好きだって分かってるもの以外、試す必要ないよ」
面倒くさいのか、彼の唯一の主張なのか、やはりいつも通りチャイラテを頼み、
「この甘さがいいんだよね」
とへらりとした。
彼は自分にも私にも優しい。
でも、変わらないチャイラテ、変わらない会話、変わらない2人が、どうしようもなく苦かった。
きっと最初からわかっていたんだと思う。
彼はわたしには甘すぎた。甘ったるかった。
そうしてもらうことで上手く生きれる人もいるんだと思う。でも、わたしはもう甘さを幸せだと感じることができなくなっていた。
はじめてチャイラテを飲んでから2年後、彼の転勤を機に彼は彼氏から他人になった。
トトロのステッカーは、まだそこにあった。
あれから5年。今は川が近いアパートで2人暮らしをしている。
窓際に置いたテーブルで、温かい飲み物と、本と、小さなランプで過ごすことがこの上なく好きだ。
チャイラテを、よく飲むようになった。
2人分のカップを持って窓際にやってくる彼とは、近所のカフェで会った。
大きなチェーン店であればいっぱいになっているであろう昼過ぎの時間、そのカフェはほどよく広く、人が多すぎず、読書や一人でゆったり過ごしている人がほとんどだった。
彼は、窓際の席でいつも本を読んでいた。
店員さんがドリンクを持ってきても声をかけられるまでは気付かず、声をかけられて慌てて本や文具を片付けていた。いつも。
集中している姿と、慌ててものを片付けている姿の違いがおかしく、カフェに来た日はいつも姿を探すようになっていた。
そして縁あり今は同じ屋根の下、隣にいる。
「チャイってさ」
カップをテーブルに並べながら彼が話す。
「インドの飲み物でさ。いい茶葉はイギリスに送られてしまって、苦い茶葉だけしかインドに残らなかったんだって。そのままじゃ苦すぎるけど、どうにかして飲みたくて、大量の牛乳と砂糖を入れたら飲めるようになったって。それがチャイ。」
「苦しい中で生み出された飲み物がこんなに美味しいのって感動するよね」
キラキラした瞳で彼は言う。本で読んだ内容をいつも嬉しそうに話してくれる彼は、とてもかわいい。
「ほんとに新しいことを知るのが好きだよね」
つい揶揄う様に言ってしまう。
「やっぱり新しいことを知るのは楽しいから。変わらない日常の中に、新しい知識が入ると見る世界が変わるでしょ?」
一緒に飲んだチャイラテは、なぜか爽やかで美味しかった。
「味まで変わるかも」
私の呟きに、彼はニコッと笑い、そして本に目を落とした。
変わらない日常、変わらない暮らし、でも確実に変わっていく2人。
「変わりたくないけど、変わりたいよね」
彼が目をあげる。
「2人で変わりながらさ、でも2人でいたいよね」
そう伝えると、またニコッと笑ってカップに手を伸ばした。
いつまでもこうやって同じように2人で温かいものを飲みながら、新しい話や感動した話をたくさんしようね。
そんな未来を浮かべながら、私もチャイラテの入ったカップに手を伸ばした。
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