本が読めない時に、読む本
この世に本はいっぱいあるから、小さい頃から読むのは習慣でした。
小学生の時は、いつも4,5冊借り並行して読んでいた。
毎日ドリトル先生では気分が乗らない日もあるのです。そういう日は、SF読んだりする。
読書の進み具合が、じぶんの気分に左右されるのを知っていたでしょう。
この世の全てを知りたかった。
本には、なにか答えがあるんじゃないか。
手間かけてわざわざ本にするんだもの、きっと本になる話はすばらしいのだ。
それに、じぶんだけが苦しいなんてあるはずない。
きっと、以前の人も悩み考え、何かを残しているはずだ。
それに突き当たるまで読もう。
でも、高校生に成った頃から、読もうとするとどうしようもない焦りや苛立ちが時々わたしを包むようになります。
友だちもうまく作れないし、お金も無いし、外出も嫌いだから、本はずっと唯一の楽しみでした。
やがて、家族ができても、せめてと寝る直前の10分間と、休みの日は読んだ。
知るべきことは山のようにあり、知りたいことも依然としていっぱいありました。
でも、ときどき、読むことにうんざりした。
思考ではつかめないモノがあると薄々気が付いていたでしょう。
本が読めない時というのは、もう読みたくないのです。
ご飯が好きだからといって、食欲が無いと食べれない。
わたしは、知り過ぎた。
でも、食べないと死んじゃうというような義務感で食べ続けた。
読むのは、楽しみ(娯楽)であり、教養であるという義務感がほんとうにうっとうしくなった。
アンコのお菓子やパンが大好きなんだけれども、
さあ、毎日食べなさい、できれば朝昼晩と3回ねって言われると萎えます。
刺激飽和は、当然だった。
面白い小説を読む。ためになる話を読む。
わたしは、単純だ。感動する。
どん欲なわたしは、あの喜びが、あの感動がもう一度欲しいと願う。
でも、快楽の追及は、今現在に欠けがあるからその不足を補おうとしている。
猛烈な欠乏感、喉の渇きを何とか満たしたいということが横たわっている。
いくら満たしても満足しないのは、読書うんぬんの話ではないかもしれない。
追求するというその事自体が、欠けと飢えを認めている。
外のモノで満たそうとする限り、だから、満足は一過性となるでしょう。
そして、また、すぐ後ろに欠けが迫ってる。いい加減、このサイクルに飽きて来る。
何かに夢中に成れば、今よりしあわせに成れるんじゃないかとわたしは、思う。
でも、しあわせは、追うことでは満たされません。
足りない、満たしたいの裏にある欠乏感を考えない。
一度立ち止まって、考えてもいいのかもしれない。
ずっと根っこには、孤独ということを恐れているのだと思う。
それは彼女が出来ようが、家族が出来ようが何か根源的なもの。
快楽追及は、その孤独を誤魔化そうとする行為かもしれない。
わたしは、追うことでは満たされないことにイライラしてゆく。
リアルから文字へと逃げていたのだとすれば、リアルをもう一度願い始めている。
であるならば、この大地にもう一度足で立つには女性が書いたものが良い。
観念や思考がすとんと落ち、ほろほろとその感性がわたしを包んでくる。
わたしは、はっとして、もう一度大地にひれ伏す。
額を土にごしごしとこすりつけてみる。
そして、落ち葉をうんと集めて来て、そこにこの身を埋めるのです。
見上げた空がとんでもなく高い。
『おむすびの祈り「森のイスキア」こころの歳時記』 佐藤 初女
『日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』 森下 典子
『たとへば君 四十年の恋歌』 河野 裕子 、 永田 和宏
『色を奏でる』 志村ふくみ
『苦海浄土 わが水俣病 』 石牟礼道子
みずからの身を「主」に据えたりはしない本たちです。
そう、わたしは「主」になりすぎて、大地を忘れていたのです。
ストレスを溜めながらノルマに追われるような忙しさがわたしを食していた。
文章から情景が浮かび上がり、色から匂いが漂い、空気感まで伝わってくるような、五感が刺激される文章たち。
少しのわずかなちがいに、ひとつひとつが背負ういのちに心を寄せるのです。
きこえてくる草木の声を、衝かれたように織物の上にのせてゆく人たちの声。
わたしは、ようやく頂いている命をしみじみと想う。
もう一度、わたしは胸を開き、世界に耳を澄ます。
自然と向き合っていた、かつて刻んでいたリズムにギアチェンジする。。
確かに著者である彼女たちが書いたものではあるのだけれど、彼女たち自身がそうして助けられて来たものだと信じられる。
あなたも、既にこのうちのいくつかを読んでいると思う。
でも、すぐ目につくところに置いておくだけで、さ迷い出す自分を見守ってくれる。
そうじゃない、そうじゃないと。
追いかけてはいけないのです、と。
しあわせは、急ぐ「わたし」をちょっと横に置いておく時に来る。
しあわせとは、満たすのではなく、満ちている感覚なのですから。
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