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ああ、、わたし、みんなと居たいのだ


じぶんのことは、それなりによく分かってるつもりなんです。

ええ、じぶんのことですしね、付き合いも長いし。

が、ある時まったく違うことをじぶんが思ってたことが判明する。

あれれれれぇー。長いです。



1.怒っていたんだ、のはずだった


以前にも触れましたが、退職する1年ほど前のこと。

横浜のオフィスでわたし、同僚のNに腹を立ててた。

Nはいい人過ぎて、たまにわたしイラッとした。

その日も、彼はいつまでも仕事抱えた。


さっさとわたしに振ればいいのに・・。段々腹が立ってきた。

納期が迫ってる、ひとりじゃこなせないことはまったく明白だっ。

なのに、うじうじとわたしに渡さない。優柔不断過ぎるだろっ!

もう、いいっ!好きにしたらいい!とわたしは席を立った。


横浜港を見下ろすビルの14階でした。

窓側へ歩きながら、とつぜん、声?がした。

「ほら、そうして楽しんでるんだよ」。

確かに声?がした。

「バカ言っちゃいけない!わたしゃ、怒っているんだっ!」

すぐにこころで反論した。声はそれきりに。


わたしにとってじぶんの感情だもの、明々白々だった。で、足がさらに数歩進んだ。

「いや、確かにそうかもしれない・・」

意外にもわたしは認め、もはや否定できなくなっていた。


おバカな上司やいい加減な同僚たち、有象無象がいっぱいいた。

だから、わたしは、始終、「怒ってた」。

わたしにとって、理不尽な、自己チューな彼らに「怒る」のは当然のことだ。

いや、わたしは、怒るという形式でずっと「楽しんできた」のかもしれない。

確かに、これは娯楽かもしれない。。


突然、じぶんに声が掛かるなんて無かったことだ。しかも反対側の意見だなんて。

そんなバカなと言って一蹴できなかった。

わざわざメッセージを送って来るなんて、どなたか存じませんが、あなた、おそろし過ぎる。

わたしは、会社が嫌だ嫌だともいって来たんだけど、ほんとは「会社が好き」なのかもしれない。

いや、そんなはず無いけど、どうなんだろうか。。


家では嫌なことも無い代わりにほとんど感情が動かない。

声?は「楽しむ」といった。

ひょっとしてわたしは会社に行って、ようやく感情を表現している。

怒ることだって、楽しみじゃんって声は言う。

サラリーマンが酒の肴に上司の悪口いうのも、お局様が怒りまくるのも、たしかにあれは娯楽だ。

そうだ。そうなんだっ。

怒りは、タチの悪い楽しみ方なのだ。

わたしは、数歩の間に声に納得したけれど、何が起こったん?


わたしのような人たちは感情を使って、他者とつながったり、楽しんだりする。

ターシャ・テューダーのようにひたすら庭いじりしてます、ではしあわせ感を持てない。

大袈裟にいえば、他者がいないと生きて行けない。

強がる裏には、孤独を極端に怖がる泣き虫がいるのかもしれない。

怒りで自分の存在価値を確認しているの?

だとしたら、パワハラ野郎のことは他人事じゃないと気が付いた。

ああ”・・・・わたしは犯罪者なのだ、偽善者なのだと認め、席に戻った。


もうNのことは気にならなかった。力が抜けてた。

淡々と仕事していると、あのぉ~とようやくNが相談して来た。

で、さくじつ、また、同じようなことが起こった。

わたしは、じぶん自身にかなり怯えてしまう。きっと、年取って頭がおかしいんだろう。



2.60代なのに世間的に若返るっ


半年前、関西に越して来てシニア向けマンションに入りました。

かのじょの願いに添って、お義母さんも引き取った。

退職した60代の男子(わたし)って、あなたから見ればかなりの年寄りに見える。

わたし自身は、依然として28歳の気ではいるんだけど、世間はそうは扱わない。

が、このマンモス・マンションでは、上に30年間が鎮座しておられた。


75歳も85歳も95歳もヨロヨロといっぱい、いる。いや、年寄りしか居ない。

なんと、ここでわたしはヒヨッコ扱い。

91歳のお義母さんでさえ、「あなた、若いわねぇー」と言われてる。

あれれぇー。。わたしは、いつ、若造に返り咲いたん?


もちろん、ここは出入りが激しい。

始終、ぴーぽぉーぴぃぽーと救急車が玄関に横づけされてる。

お義母さんもこの半年で、2回も救急車のお世話になった。

腸から出血したり、転んで骨折したりが日常茶飯事のマンションです。

たまに、病院からの無言の帰宅もある。

深夜に顔を白い布で覆われたストレッチャーがエレベータで昇って来る。

ちょっと認知が入ってたあのおばあさん、見かけないなと思ったら亡くなっていたり。

たいがい、人はこういうマンションには70歳を過ぎてから、ぼちぼちと入り始める。

男は10年ほどしか居ないから、男女比は3:1と圧倒的に女の園。

後期高齢者村に、生意気な若造が闖入したみたいな感じです。



3.わたしは、じいさん、ばあさんが好きなのだ


元気なおばあさんも結構いて、廊下では大声で話す。耳がお互い悪い。

おばあさんに成っても、人は変わらない。

胸には、”関西人”と書かれた見えない布が縫い付けてある。

だから、豪快にちょっかい出す、意見もばんばん言う。

あるいは、親切に足りなそうな物をさりげなく渡してもくれる人もいる。

関西人は、ちょっかいも多いけれど、他者をケアもする。

ちょっと、東では考えられないほどに人たちが率直です。


入って、わたしは後悔しはじめていた。

シティボーイのわたしはここでやって行けるんだろうか?

時に、おばちゃんたちのお節介にイラッとする。

そして、モタモタ、ヨロヨロする年寄りしか居ない。

ううーん、東に帰るかもしれないと、かのじょに言ってみた。

意外なことに、すっかりなじんだ彼女は、冷たい。

長男が元の家を守ってるから、気分転換にしばらく帰った方がいいんじゃないという。

もちろん、かのじょはお義母さんとここに留まる。

ううーん、気難しい長男とふたりっきりで暮らすなんて、考えただけで滅入る。


先日、三宮駅まで用事で出かけました。

3路線が入り込む三宮の駅の周囲には、マンションがいっぱい立っている。

見上げて、わたしは、こういったマンションには住みたくないと思った。

えっ、わたしはどういうマンションなら住めるんだ?


シニア向けマンションの方を好ましく思っていたのだった。

いや、あそこは年寄りばかりで滅入るのです。

いいや、キミは濃厚な時空を求めていたんだよ。

いや、あそこは年寄りしかいなくて、イライラするんです。

いいや、キミには人情の交わされない駅前マンションは無機的過ぎる。

じぶんの好みを知って驚いた。

そうなのか、、そうなんだ・・・。


嫌だ嫌だと言いながら、わたしは、じいさん、ばあさんが好きなのだ。

ええ”-っ。わたしは、じぶんの本音を知らなかった。


通常のマンションは、個々の住居が積層された時空なのです。

駅近の物件で、家族が住み、親は会社に、子は学校に行く。

そういう働く人とその子どもたちが生活している空間です。

その1つ1つの住居の中だけでも、日々いろんなイベントが起こっている。

他の住人と交流なんかしてる余裕も無いぐらいに忙しい。


でも、”シニア”の場合、子どもはとっくに自立し、年寄りたちが細々と暮らしている。

各部屋には、パートナーとふたりだけ。たいはんは、先立たれ女子がひとりで。

足も悪く、耳も遠くなったシニアたちの日々に、イベントは起こりません。

スーパーに買い物、あるいは病院ぐらいしか行きません。

みんな足や膝や腰が悪くて、よろよろしてる。

なので、シニア向けマンションは、1回のフロントには多くの人が働いている。

老人たちの日々の相談やら依頼をこなしてくれる。

なんだかんだと年寄りたちは、コンセルジュたちに話し掛け、会話する。

大浴場やレストランがあって、みんなはそこに集う。

女子たちは、情報交換に余念が無い。お風呂も大好きな種族だし。

みんな、健康に問題や心配があるので、話もけっこうする。

見知らぬ同士でもどこであっても挨拶する。

ヨタヨタしたじいさんがいれば、譲ってあげる。

そう。ここは孤独な者たちから成るコミュニティーなのです。


駅近の機能的なマンションと、このシニア向けマンションの2択を考えた。

わたしは間違いなくシニアを取るんだということに気が付いた。

そんなはずないのです。

わたしは相互、不干渉を是とする東の男なんです。

そんなはずない。

いや、そうなんだ、、。

クールな東の人間のはずなのに、わたしはコテコテの面倒な人間関係を望んでいたのでした。

声がしたわけではないのです。自問した。

そしたら、じぶんの頭と胸とが別々な考えてことをいたことを知り、愕然としたのです。



4.あら捜し


この愕然としたということをかのじょに話してみた。

「あなたは、あら捜しをしているのね」という。ちょっと、人聞き悪い。

エレベータの中で、まるで自分たちしか居ないように大声で話し続けるおばあさん。

自慢するじいさん、ばあさん。

そういう”音”にまつわる事象にわたしはもともと過敏ではあった。

音や言葉にアンテナ10本立つ。

音の大小、不適切がわたしには異常に拡大される傾向がある。


相手に面と向かって非難はしないけれど、かのじょにこっそり言って来た。

かのじょからしたら、いちいち面倒なことをいうパートナーなのです。

だから、どうやら、それは「粗探し」ということになる。

いや、このクールな男が、そんな面倒な年寄りたちのアラ探しに熱心に成るわけないじゃん。

いや、わたしは不平不満を言いながら、世界に参画し楽しんで来たということになります。

だから、駅前の個々分断したマンションにはすこしも関心を持てないのです。

駅前では、アラを探せない、怒れない。わたしの娯楽がない・・・。

ああ、、このねじれた精神、なんとかして欲しい!


一瞬にして、じぶんの”常識”が覆される。

声がしてくるか、じぶんで違いに気づくかの違いはある。

あるけど、さいきん、なんでこんな驚き方をするんだろ?

そもそも信用ならないじぶんが一層、信用ならないじゃないかっ。



5.ユング先生が、言う


怒ったりアラを探すわで、嫌な性格です。

が、なぜ、じぶんが怒りやアラ探しを娯楽としてしまったのかが分からない。

そんな地味で隠微な娯楽はやめて、旅行や野球観戦や庭いじりを堂々とすればいいのに。

ああ、、隠微なわたし・・


先日、ユングのタイプ論をご紹介しました。

こころは全方位に成長できるわけではなく、優勢な機能と劣等な機能を抱えてしまうという。

外向型は、外に向かう面を成長させるけど、内部を見ることがおろそかに成る。

内向型は、内を問えるが、外との繋がりを十分には成長できない。

その生育不十分な面で、潜在的な無意識の複合体を形成してしまうという。

無意識だから、本人は意識しずらい。

コンプレックス(無意識の複合体)は本人が統制(意識)できず、あばれる。


わたしは、あきらかに「内向型」。

なので、外との繋がりにコンプレックス(無意識の複合体)を抱えてるでしょう。

じぶんで行為を意識できずに、してしまうということが外に対して起こる。

他者の出す音、ぶしつけさ、鈍さ・・・そういったことに苛立つのですが、それを相手のせいにする。

あるいは、相手を非難して楽しむなんてことが起こってる。(ようです)

いえ、無意識のことなので、これ以上分析してもあまり正解にはなりません。


中学校に上がった時に、分析とアドバイスが欲しかった。

ユング先生いうんです。


「判定によると、あなたは内向型だから、じぶん自身とは今後もよくお話できると思う。

でもね、あなたの周囲の人との会話や付き合いはなかなかうまく行かないでしょう。

苛立ったり、嫌悪したりする。

そうなる自分を恥じるかもしれない。

でもね、外と繋がりにくいのは、耳が不自由なことと同じなんだ。

それはね、事実でしかない。人と比べなくていいことだよ。

よく覚えておきなさい。


うまく出来ないからといって、他者をせめたり、自分をけなしたりしてはならない。

外とうまく繋がれないのは、事実でしかないんだ。

そこはヘタなんだ。逃げれない。

じゃあ、じぶんはどう生きるかを熟慮しなさい。

少し今何ができるかだけを積み上げて行くといい。

その代わり、あなたは豊かな内面を持てる。

外と内。どうしても、人は両方は持てないのだよ。

あなたの来た世界はそんなふうだとわたしは思う。

さあ、じぶんで確かめに行きましょう。」


まっ、とにかく、わたしはここが好きなのだった。

かのじょとまだ暮らして行けそうだ。

女優の吉田ヨウさんは、怒り帳ではなく、感謝帳をつけるという。

怒りはいっぱい書けないが、感謝ならどんどん書ける。広がって行く。

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