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無数のあなたが紡ぐ、わたしという世界


背が高くない、頭が悪い、顔がいまいち、太ってる・・・とかいろいろ文句がわたしにありました。

文句が言えたということは、健常者だったということ。もし、自分が”健常者”に生まれなかったら・・・。

正規分布っていう釣鐘状のグラフをみたことがあるかと思います。

そのベル・カーブの左側にぽつんと生まれて来ても不思議ではなかったのです。

じぶんの心身に欠落があったなら、きっとわたしはそんな文句は言わなかったでしょう。

出産前検査というものは、昭和では一般的では無ありませんでした。なので、神がサイコロを振りました。

でも、欠落者をあらかじめ除外できる令和となりました。両親が振らないとならない。

いったい、何のためにサイコロがあるんだろう?



1.僕はどんな子だって会いたい


高校時代、のぶ(次男)は「コクル前にフラれてる!」と兄に笑われてた人。

いったいどんなワザを駆使すればすればそんな芸が出来るのか?

やがて、のぶは、父親に似て二十歳の頃に手ひどい失恋をしました。

ある日、「今後、僕は結婚しないかもしれない・・」とポツンと言った。

しばらくすると、またしても父親に似たのか、結婚しますと報告してきた。

わたしたちに挨拶の手紙を書き、新居へと出て行きました。意外なことに、わたしが息子ロスに。。


初めての子を奥さんが受胎しました。

「ああ、ほんとに会いたいっ」と言った彼は、それはそれは奥さんを労わりました。けれど、流れてしまった。

「会いたかったよ・・」と彼はわたしにポツンと言った。


奥さんが2度目の妊娠をし、彼は腫れ物さわるように過ごしました。

彼はいいました。

「出産前検査はしないよ。僕はどんな子だって会いたいんだ」。

夫婦でよく話し合ったことだったと思います。



2.もう一つの計らい

染色体に異常があると、自然流産します。

受精卵はそれ以上分割を許されず、子宮から離れる。

流産は当事者にはショックですが、自然の計らいともいえます。

そのまま生まれても、自力で生きれない子は群れでは暮らせないのですから。


でも、自然の計らいが及ばない範囲というのがあります。

染色体は2本鎖で構成されますが、それが3本鎖となってしまうということがあって、「トリソミー」と呼ばれる。

染色体21番、18番、13番の染色体異常だけは、流産せず出生可能となります。

21トリソミーの子は、ダウン症候群と呼ばれる。

発育の遅れ、精神発達の遅れ、特異的な頭部と顔、低い身長。。。。

あの目じりの上がった、扁平で横に伸ばされた顔です。

なぜか、その子たちは世界中、同じ「顔」を持つのです。


かのじょが務めていた重度障害者施設にも多くのダウン症の子たちが来ていました。

かのじょは、「とっても可愛いのよ」とよくいっていた。

かれらの母親と施設の間で行き来するノートには、どんなに母が子を愛しているかが分かるものがありました。

子が50歳にもなれば母は80歳を超える。

でも、休みに子が実家に帰って来るのを心待ちにしていて、子が糖尿病のため厳禁なお菓子を山のように買って待つ母。

どうしても喜ばせたいのです。

トリソミーで生まれ、人並には成れなくても、生涯愛される子もいました。

自然の計らいが及ばない領域には、神の計らいが為されました。

愛というものが生まれた子に与えられました。



3.出産前検査で

その夫婦には、出産前検査でお腹の子に陽性(ダウン症の可能性)判定が出のだそうです。

抹消するのか、していいものなのか・・・。夫婦は悩んだと思います。

父親になるそのひとは言いました。

「でも、最終的に妻が『僕を父親にしたい』って話をしてくれて。

『2人で子育てをしてみたい』って言ってくれたのがいちばん大きかったです」。


あなたのために生んでみたい、あなたと供に育て、そしてあなたとともに生きてみたい。。

その男性は、妻のその言葉で決心がついた。

ああ、、そうだ、僕は父親になるっ。

それは、にんげんとしてのお役をあなたにさせてあげたいという妻の願いだったのです。


お役って、何だろう・・と思う。そうだ、そうだってわたしは思う。

個人であったひとが”父”になるのです。

それは、正規分布が命じるお役をするようになるんだな、と。

子を持つことで初めて彼は正規分布自体になる。個人が、普遍的な”人間”となる。

わたしたちは、ようやく子が無事に生まれたと安堵するだけで、ふつうこれを気にしません。



4.ベル・カーブ


正規分布は釣鐘状の形。

人間であるということは集団だということ。

この分布の左側も抱えなければならないのだよ、とどこかから声がして来ます。

あのバカっ、絶対に許せないっ!とわたしはいつも怒っているんだけど、それは天にツバ吐くことだぞと。

この形が思い知らせてくる。


平均値以上だけ、できれば右側の優秀な者だけで構成したいっていう考えもあるけど、それは無理なんです。

あまりに遺伝子と脳は複雑なものだから、様々な個体が生成され続ける。

しかも、あなたでさえ、生まれてみるまで自分がどこに来るのかも分からなかったのです。

自然がサイコロを振る。

振るたびにある一定割合で背の小さい者も生まれてくる。ポンコツさんもでてしまう。

どうしてもこの形に分布していってしまう。。


わたしが生きるとは、同時に集団がこの正規分布で生きているということです。

もっとハッキリ言えば、正規分布無しにわたしたちは”にんげんらしく”は生きれないと言えるでしょう。

”にんげんらしく”という価値概念は、何十万年という長いながい歳月をかけてわたしたちに埋め込まれた集団意識でしょう。

たとえば、他者が苦しむのを見て切なく辛くなる。他者が喜ぶ姿でわたしも嬉しい。

それは、個人の意思ではなくて、なぜかそう感じてしまうもの。

愛や慈悲は個人が感じるものだと人は言うでしょうが、それは人類全体に貫通している集団メカニズムの働きでしょう。

そう埋め込んだ由来は、正規分布にあるでしょう。


相手は劣っているんだとか、欠けているとかという個人の視点だけでは判断できないことって実はいっぱいあって、

そんな時、わたしたちは”にんげんらしく”という言葉に判断を頼むでしょう。

あるいは、理屈ではなく、ハートに聞いてみる。

そしたら、無意識に刻み込まれているメカニズムがいやおうなく、すぱっと命じてくる。

やっぱり、にんげんらしく振舞いたいと、手を思わず差し伸べてしまう。。


わたしたちはきっと、愛すべきだから愛すわけでもないし、慈しむべきだからそうするのでもないのです。

わたしたちを貴く貫通するものがわたしたちにそうさせる。

みんなは意識していないと思いますが、わたしとしては、正規分布がちらりそのメカニズムの存在を垣間見せていると思うのです。



5.雑踏の中で


障害児を持ったからといって、悲しい人生になるのでもなく、また、持ったなかったからといって喜びのじんせいになるわけもではないのです。

しあわせは障害児を持たないことではなくて、

ひとりはみんなのため、みんなはひとりのためにという全体の形へと個人を昇華してゆくプロセスにあるだろう、って思う。

だから、無意識にみんなは母、父というお役になりたがる。

わたしたちは、正規分布が命ずる、どこまでも集団の生き物なんでしょう。

渋谷の交差点のような雑踏を見ると、いろんなひとが居るんだろうなって思う。

そしてこの正規分布を思い出します。


こころの汚れた者から天使のような者まで、正規分布が交差点を歩いて行く。

この形をイメージすると、いつもじぶんが神妙な気持ちになるのは、

それぞれは個人ではあるけれど、わたしたちは全体でもあると叱咤激励された気になるからです。

それぞれは全体のお役をこなすパーツでもあるということを思い起こさせます。

秀でた者をあがめ、劣った者を蔑むのは、わたしたちの定めに気が付いていないということになります。

ひとは、生きる中でこの形が身に染みてゆくでしょう。

少なくとも、生前検査の苦悶は、この形の存在をひとに知らしめます。



美しいきみの笑顔。

戦争や貧しさや孤独やコロナ禍で不気味に病んでゆく者たち。。

生をおもった時、わたしは個人でもありますが、また、全体でもある。

そして、この分布があの子を作り出し、分布の左端でもこんなに素晴らしい笑顔が生まれる。

わたしは、つい個人に埋没してしまうのですが、ダウン症の子のその笑顔がわたしを振るわせる。

子は、正規分布によって人類が手に入れられる最高の喜びエネルギーだからでしょう。

正規分布の付託に答えようとした若い夫婦の勇気に胸が喜びました。

どうぞ、きみよ、すこやかなじんせいでありますように。



P.S.

生前検査の話をNHKが過去に報じました。

「障害があるとわかって、この子を迎えた~ダウン症~」

妻は40歳を超えていました。不妊治療の末に授かった念願の第一子。

ダウン症の男の子を出産したのです。とても素敵な笑顔でした。写真をUpしております。

以下から、一部を引用させてもらいました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220128/k10013453911000.html


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