見出し画像

小指ばかりぶつける ― なんでやねん!への返信


頼まれてもいないのに、返信を勝手に書いてみる。

「そこかいなっ!」と言われそうだけど、ここは踏ん張らないと立派な関西人になれないと直感する。



1.あなたが噛んだ小指が痛い


思いっきり小指をテーブルやイスや柱にぶつけて、泣いたことある。

わたしも、せんじつ、ぶつけた。

じっとしていられず、1分ほど事件現場を走り回った。すごく痛かった。

こんなに細い指先!、骨折でもしたらどないすんねんっ!とじぶんにツッコミを入れた。(関西に越したばかりで、まだうまく関西弁がしゃべれない)

この手の事象は、誰に当たりようも無いから困まる。

起こった悲劇を周囲に訴えてみても、にやっと笑われるだけで同情も無く、相手にもしてもらえない。

しかも、それだけで済まない。なんと、忘れ去った頃のある日が来て、またまたぶつけてしまう。

なんたるアホ!もうほんとに嫌になる!

おのれを呪うしかない事象、というのがこの世にはいくつかある。


なくても困らないような指だからか、小指はなにかと犠牲になって来た歴史もある。

ようやく小指の出番が来ると、激痛、悔恨、将来への不安という悪の3人が揃う。

いや、そうでもない。活躍もしてた。

ずいぶん昔、この指に託した歌があった。

きのうの夜の小指、あなたが噛んだ小指が痛い♪という。

考えてみると、ちょっとエッチだ。(あんたら、何してたん!)

でも、あなたではなく小指を自分で噛んだら、それは猛烈に痛いっ。

可愛い♪、、では済まない。



2.なんでやねん!


その歌が流行った昭和も昭和の頃、あまりにじぶんは小さかった。

お姉さんがちょっと色っぽく歌ってたぐらいの記憶しかない。

それにしても、お姉さんの指を誰かがわざわざ噛むなんて、小指の定めを暗示している。しらんけど。

知らないという言葉のすごく近くにいるのは、何故?となる。

関西人は、なんでやねん!も多用する。

両者が頻繁に使われる、その気持ちは大きくなったわたしにもなんとなく分かる。


さいきんフォローしたその方、大阪人だった。

神のお告げか、ジャストタイミングだった。

その方の記事を読むと、人は足先の小指への意識がほとんど無いんだという。

人間は、小指の位置を正確に認識できないという事実があると聞いたという。

車でいう車幅感覚のような、人間では「身体位置覚」がやや鈍い。

で、実験によると、足の幅感覚を約1センチほど内側に認識しているんだそうな。

というわけで、一番端の小指が犠牲者に成り易い。

・・・という実験結果があるんだと、言われてもねぇという。

なんでやねん、というツッコミを入れずにこの事実を見逃せる大阪の人間は、そうはいないだろうと重く受け止められていた。

さすが大阪人!と、妙に感心した。



3.1本やでっ!


引っ越して来たマンションには、年取ったおばちゃんたちがそれはそれはいっぱいいる。

ここは、大阪と神戸の間に位置し、3本の電車が並列に走る。阪神、JR、阪急。

暮れ。かのじょの右手の親指がぎこちない。

ギッコンバッタンと、カクカクとしか動かなくなった。

どしたん?と聞くと、分かんないというばかり。

なにかに触ったタイミングで指に激痛も走る。

おばちゃんたちに聞いて行くと、それは「バネ指」だという。

そんな病名、聞いたこと無かった。


どうも年を取ると、指の腱がよろしくなくなる。腱が可動している通路がつまる。

おばちゃんたちは、常識のように自分もなったという。

どこか病院、ご存じですか?とかのじょが聞くと、奈良の天理病院が良いという。

「はあ、、奈良ですか・・・。ちょっと遠いなぁ」というかのじょに、おばちゃんたちは猛烈につっこみ入れた。

「なに言うとんねん!あんた、奈良まで1本やでっ!」。


たぶん、奈良まで1時間半はかかるとおもうんだけど、彼女たちは「1本やで」という車幅感覚のような、身体位置覚でいた。

わたしたちは、その距離感覚に驚いた。

住んでいた神奈川の自宅からなら、そりゃ1時間半あれば東京駅に着くのです。

でもねえ、1時間半あったら、羽田から福岡まで行けちゃうのですよ、飛行機で。

どうも、1時間半という所要時間はおばちゃんたちは気にしてない。

乗り継ぎ無しの1本で行けるという感覚は、そこまで「近所」だということ。

なので、おばちゃんたちが言う「関西」は、東の人間が言う「関東」という区分概念とはまったく違っている。

ここでは、奈良も和歌山も京都も、みんな1本で行けるから「近所」なのだと思ってるフシがある。

いやいや、そこはやっぱり遠いでしょ!


おばちゃんたちは、あそこの病院が良いとか、あの人もバネ指になったから聞けとか言う。

そう言いながら、「知らんけど」とエンディングする。

会話が進んで行くと、やっぱり、関西のおばちゃんたちはこのフレーズをどうしても言いたくなる。

「知らんけど」。習慣というか、習性のように使いはりますねん。


いいや、けっして無責任で言っているわけではないでしょう。

きっちり、大阪のバネ指専門の名外科医を教えてくれた。(奈良じゃなかったんかい!)

そして、かのじょは日帰り手術ですっかり元の様に動かせるようになった。

まだ、痛いの?とわたしが聞くと、「穴を2か所開けられたの、そこをね、自分で押すと痛いわ、でも、もう平気よ」という。

無事に元に戻ったようです。



4.知らんがなっ!、もある


かのじょは外見も中身も頼りない。なので、「あんたっ、どこ行くねん!」とか、いつも猛烈なチェックが入る。

かのじょはへろへろと答える。

それが、いっそう関西人のこころを掻き立てる。


「知らんけど」とエンディングするおばちゃんたちには、「知らんがな」という変形もある。

1階の大浴場に毎日、せっせと行くかのじょ。

ある時、お風呂から上がり、脱衣所で自分の服を置いた所を探してた。

いつもだったら、このへんに置いておくのに、へんだわ。無い・・。

「わたしの服、どこ行った?」とうっかりつぶやいてしまった。

そしたら、周囲にいたおばちゃんたちが一斉に、「知らんがな!」と大合唱した。

いえ、わたしは別に・・、ただの・・・独り言だったのです。。


だいたい、「知らんけど」と「知らんがな」がある。(もっと変形バージョンがあるかもしれないけど、知らんがな)

なにかと、このエンディングのフレーズが多用されている。

きっと、一見無責任に突き放つのは絶妙な人との関わり方でしょう。

恩を着せないようにしているんだなとわたしは思う。

関西人は、関東とかなり違っていて、思い遣る文化が基盤なんだと思う。知らんけど。



5.なんでやねん!への返信


一時期、わたしは脳の研究をしていたことがあって、そこの界隈では「ペンフィールドのホムンクルス」というのが知られていた。

1930年代、カナダの脳神経外科医、ペンフィールドは、てんかん患者の手術の際に脳の表面を電気刺激した。

脳の運動野をチクッと刺激すると体のある所の筋肉に収縮が起こり、

脳の感覚野をチクッと刺激すると体のある所に痛みを感じることを発見した。

反応があった領域の面積に応じて体の各部分をマッピングして行ったものが、「ペンフィールドのホムンクルス」です。

写真をUpしていますが、この異様な人がホムンクルス(ラテン語で、こびと)。

かなり不気味でしょ?

体の各部位を担当している脳部位を大きさで表現している。

体の表面積と脳の対応部分の面積が1対1に対応していないから、不気味に感じてしまう。

その結果、体の形は相当ゆがんでいる。

親指は大きく長く、顔や舌も異常に大きい。

ホムンクルスの大きな所ほど、脳はその体の部位のためにいっぱい処理するよう脳細胞を配置している。


まず、目立つのが、手のすごさ。とにかく、デカイ!

人間とは、「手」であると言ってもいい。

人間の凄さが、手にあることがわかる。(あなたの手、どうぞ生涯、大事になさってくださいませ)

そこにいっぱい神経行っていて、帰ってくる信号を脳も万全を期して処理している。

足?

ああ、、ぶつけた痛みにときどき苦しむあなたの予想通り、足は小さすぎる。

足先なんか、ほとんど脳は処理する気が無いのが見て取れる。

一番小さい小指なんて、わたしたちの脳はほとんど気を配っていない。

やる気が、まったく無い!

ああ、、継母に虐められる存在にもなってない。

いつも犠牲者になる足の小指は、脳からは完全無視されている。


ちなみに、我が盟友、おサルさんの手はそんなに大きな手の表現にはならなくて、足がすんごい。木登りしてるから。

さらに、ネズミさんはどうかというと、手も足もホムンクルスとして描くと、すんごく小さく、顔がデカイ。生涯、糸結びができない定めにある。

人間のホムンクルスに戻ると、手に次いで顔、とくに唇と舌がすごい。

まあ、耳も目もそれなりに大きい。

つまり、若い男子が女子の唇を求めるのもこの神経処理系の比率の大きさに従ってる。

男子があなたを手で抱擁し唇でキスをするのは、それがもっとも脳にとって重要なことだから。


なお、わたしたちは、腹や背中、腿やすねなんか、ほとんど普段意識してません。

そして、ホムンクルスのそこは小さい。

たとえば、背中なんかはそもそも痛覚という受容器(センサ)もまばらにしか配置されていない。

脳がサボってるというよりも、センサが無いんだから、脳は処理しようもないのです。

でも、センサの数が少ないからといって、そこをどつかれたらひどく痛い。

足の小指もセンサ少ないからといって、ぶつければひどく天を呪うことになる。

センサの低密度と、激痛は矛盾していな。

たぶん、センサの密度は情報処理の必要さの優先度に従い、激痛は危険から逃れるための危機管理に従っている、と思う。


返信といいながら、猛烈に前置きが長くなりました。

わたしは、返信したつもりですが、大阪人は、負けませんからね。

さらに、なんでやねん!と言いたい気配を感じています。

が、これらは進化上の必要に迫られたわたしたちが脳を発達させた結果です。

たぶん、進化学者ならもっとナニワのあなたも唸るほどの説明ができる。知らんけど。

でも、あなたの実感によく一致しているのではないでしょうか?


ということで、言いたいのは、わたしたちは抱擁し唇を交わさないと満足できない脳だということです。

なにも、エッチな話がしたいのではなく、わたしたちという種がもっとも自然な在り方とは何かを既にご先祖様たちが組み上げていた。

女子のあなたなら、広い胸で抱擁される時。あなたの唇は相手の衣服にも触れ、匂いも嗅ぐ。。

ああ、、なんて素敵でしょう。

どうですかね、あなた?

納得しませんよね。w

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?