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人、呪縛を外してフローに入る


AだからBだよね、だからCなんだよ、な~んてわたしだってキリリ言ってみたい。

が、論理的な形式で言えるようなことってほとんど無かった。たいがいは、ぐだぐだと言い訳みたいなことしか言えない。

たとえば、仕方無いと諦めることで正解に行き着いたということが結構起こった。

禅坊主のような話で恐縮ですが、後付けで書いてみたい。長いです。



1.わたしに残る悔い


ずーっと昔、研究所にいた頃、1つのグループが個人用のメモツール(ソフトウェア)を開発していた。

彼らは、熱心にシカゴ大学のミハイ・チクセントミハイ教授が提唱した「フロー理論」を検討していた。

時々人たちに起こる「フロー」とはいったいどういう条件の時に起こるのか。

もし、フローに近い状態でデスクワークできたなら、それって結構すごいんじゃないかと。

開発されたツールは、かなり長きにわたって大学の先生たちに人気となりました。

わたしもこの理論をかれらから教えてもらい惹きつけられ、ツール開発を後押しして行った。


が、わたしたちの会社は大企業相手の会社だった。

ベンツ並みの価格の商品ばかりだったから、うちの営業はこんなの売りたがらない。

1個数千円程度の個人向け商品なんです。

中には押してくれる営業もいたけど、いくら売れてもたかが知れていて社の業績にまったく貢献しない。

で、組織は投資を継続をせず、尻すぼみにこのツールは市場から消えて行った。。


実は、わたしはその投資判断に直接関与していた。

頭は彼らとともに在ったけれど、首から下は会社と供に。股裂き状態のわたし。結構、悩みました。

なので、フロー理論の素晴らしさを想うたびに、わたしは応援してあげれなかったあの開発チームのことを想い出す。

申し訳なかったなぁ・・と思う人間が極東の島国に出るなんて、まさかチクセントミハイ先生は想像もしなかったでしょう。


チクセントミハイ先生が「フロー理論」を提唱し、すぐさま日米そしてイタリアでその理論が検証されました。

プチなフローの経験、損得なく没入する、は誰にもあると思います。

そこで検証実験では、普段何気なくその人がしている、友達との会話やジョギングといった行為を一定期間禁じたのです。

被験者たちは例外なく、いらいらしてゆきました。猛烈に。

わたしはこの結果に驚きました。

「完全に集中した状態」と「幸福」とがどうして繋がるというのでしょう?



2.フローってこんな時に起こる


物事に夢中になって、あるいは没入し、圧倒的なパフォーマンスを発揮したという経験は誰でも1度はあるのではないでしょうか。

この極限に集中している状態は、「フロー」とか「ゾーン」と呼ばれています。

きっと、こんどドジャーズに行く彼は、いつも没入してバッターボックスにもしくはマウンドに立っているのでしょう。


ただ夢中になればフロー状態が来る、というわけではないです。

目的や願い、欲や恐れが希薄化し、わたしという自我感覚が脱落している。

つまり、自意識を喪失した状態です。

世界を透明な目で見ていて、ただ目の前の活動に溶け入って行く。

高い集中度、脱力した構え。不思議な流れるような感覚があります。

時計は時を刻みますが、本人に時間感覚はなくなります。


だから、流れるような「フロー」や時空を超えたところに没入する「ゾーン」という言葉が使われる。

たとえば、あなたがオリンピックの100m決勝のスタートラインについたとします。

勝たねばならない、負けたくない、良い成績を取りたいとかいう欲や恐れが完全に消え失せているフローにいたとする。

ラインに指を置き、スタートの姿勢に入って行く。

スタート音が鳴る。すべてがスローモーションのようになります。

あなたは全身にみなぎるエネルギー、呼吸や心臓のどきんどきんという鼓動も妙にリアルに感じ、観客の歓声も遠くになる。。


考えてみれば、フロー状態の時に圧倒的なパフォーマンスを発揮するのはとても当然です。

火事場のバカ力と同じで、自分にまったくどんな制約もかけていないのですから。

普段、骨格筋が破壊されないようにとかかっているリミッターが火事場では、すべて外れます。

小さな人でも女性でも、普段の何倍もの力を集中投下する。(頻繁にやると体が壊れます)

過去の苦しい記憶、他者からの視線も将来の心配も消え失せ、あなたは目の前だけに集中している状態です。

俺にこれが出来るんだろうか?なんていう問いは、遠くアンドロメダに行っちゃってる。

だから、スムーズに全系が駆動できる。

走り終わった時、振り返ったあなたは自分の疾走に驚く。



3.わたしのフロー体験


わたし自身にもフローの体験がいくつかあります。

最初は受験勉強のシーズンでした。

合格できなかったらなんて全然思わなくて、ただただ入試に没入した。

脱力して受けた入試で、普段以上の力が出た。

そして次に起こったのは二十歳のときでした。

好きな女性との不安定なお付き合いをしていた。

経緯は忘れてしまいましたが、ある時、彼女の友達たちに混じってわたしもボーリングをするはめになった。

わたしは人見知りです。わたしは彼らの誰も知りません。

ボーリングは120点ほどしかいつも取れない。

わたしは、彼女とだけ時を過ぎたかった。

ぜんぜん参加したくなかった。すごくすごく嫌だった。

でも、最後諦めたのです。仕方無い・・・。


誰も知り合いがいないし、どうせたいした点も取れないのです。

だから、その場では隅っこで淡々とするしかないと思ってレーンに立った。

そしたら、完全脱力したわたしはストライクを取り続けた。

いつまでこのストライクが続くんだろうと内なる声がしましたが、わたしは投げ続け200点に。

最初で最後の200点でした。

不思議な集中体験でした。透明な没入状態でした。


次は40歳になって泊まり込みのマネージャー研修の時でした。

わたしは比較的早く昇進しました。

前日から小田原の研修施設に入り、マネージャーの心得みたいなことを3日間みっちり洗脳されるはずでした。

中途入社のわたしに同期はいないので知らない人ばかりでしょう。

全社から集められた出世欲満々な100人ほどと、人事から洗脳されるのです。

もうまったくもって不本意でした。

でも、これを受講しないと組織はマネージャとして認定しない。なので、嫌々参加した。


その夏の日の朝、わたしは空を見上げて完全に諦めました。

知り合い居ないし、つまらないけれど、仕方ない。。。

参加する人たちもそれなりにみんな嫌なんだろうな。

どうせ参加るのなら、他の参加者を助けようかな、となぜか思い直した。


いざ、研修のコースが始まると、外部講師が次々とチャレンジしてきました。

洗脳とは程遠く、まっとうに興味深いものでした。

チームに分かれて深夜まで課題を解いて行った。

その日、わたしは妙にみなの個性や意見がよく分かったのです。

諦め、透明と成ったわたしは、すべてが手に取るようにわかった。

そして、初めて知り合った人たちにも臆せず、わたしは臨機応変につっこみもしていた。(人見知りのはずなのに)


わたしはフランクでした。

もう何も期待していません。我(が)や虚栄の張りようもなかった。

なので、彼らのために補助もし指摘もし理解しました。

チームは、ちゃっちゃと講師の出す課題を高速でこなしてゆきました。

2泊3日の研修中は不思議に参加者たちのこころが透明に分かった。

みなも親身にわたしに接してくれました。

自分が分離したような、とても、妙な感覚でした。

3日間、わたしは居なく、わたしは流れていた。

ただ必要なことを言い必要なことをする。誰もが心を開いてきた。

研修後、わたしはじぶんの状態を振り返り驚いたのです。

そんな経験、あのボーリングの時以降、なかったのですから。


わたしは、凛々しい日本男子じゃない。くよくよ、ぐじぐじ考えます。

でも、どうせ一人浮き、惨めに120を取るしかないボーリングだった。

どうせ、隅っこでひとり受けるしかない研修だった。。

でも、それが定めならとすっかり諦め、ただボーリングを投げ、ただチームに尽くすことだけしたのでした。

これは、ランナーが疲れ果てて自我を無くしてランナーズ・ハイになるように、

火が燃え上がる中、いっさいのリミッターが解除されて我が子を助けたいと渦中に飛び込むようなことと似ています。

時間間隔を失い、自我意識が脱落した時、わたしも残っているリソースを全力で投下したのです。


軟弱男子なわたしは、他者評価というより、いつも孤独になることをどこかで恐れて来たのかもしれない。

その恐怖がいつもわたしの言動を制限している。なのに、なぜかそのリミッターが外れた。そういう経験をしたでしょう。



4.フローとわたしたちのしあわせと


圧倒的なパフォーマンスをたしかに「フロー」は解放します。

なんの執着もないので、きばらずに目の前の事象に100%溶け込む。

必要なことを言い必要なことをするだけ。高い集中にも関わらず、淡々と時空が流れてゆく。


チクセントミハイ先生も膨大にヒアリングしていて、たとえばロッククライマーの状態を研究していた。

クライマーは岩から落ちてしまう危険なんか考えていないんです。

目の前の岩のくぼみのリアルに自身を没入する。

特別に難しくも、特別に簡単でも無い岩を選んで登るとき、このフローが起こるといいます。

その人にとって「面白い」というレベルがあって、そこへの没入を好む。

クライマーがフローするには、没入を妨げる程の難しさでも、簡単さでもだめでした。


外科医もヒアリングしていて、外科医の中には、手術での縫合(ほうごう)で無心にフローする人たちがいました。

仮に収入が半減しても外科医をやりたいかという先生の問いに対して、かれらは明確にYesと言った。

構わない。ぜひ、手術をさせてくれと。

ワクワクすると外科医たちは言いました。かれらは、完璧に人体を縫うのです。抜糸して後がまったく残らないレベルを狙う。

自由にこころ遊ばせる職業を選べた人は、しあわせでしょう。


フローにある時、人は、損得や恐怖をまったく外していたのでした。

人は、こころの縛り(リミッター)を時々外してあげたくなる生き物なんです。

もちろん、多くの人はジョギングや友達との会話でもフローに入ります。

会話の場合、良く知った気の合う友達とする。

こう言ったら軽蔑されるかもしれないとか、バカにされるんじゃないかという相手ではフローに入れません。

相手との間で、簡単過ぎず難しすぎないレベルのjust nowの会話をやりとりして楽しむ。

ですから、さきほど触れた検証実験では、ひとたちが日常で無意識に行っているフロー行為をわざと遮断したのでした。

1週間行為を止められた被験者たちはとんでもなく苛立って行きました。猛烈に。


なぜ収入が半減しても、外科医をしたいのか?

なぜ、命を掛けてまで岩を登りたがるのか?

わたしたちにとって、欲と恐れから放たれる時が、創造的な時が、どうしても必要なのだと先生は解釈しました。

損得ではない時が要るんだと。

だから、こういった文章を書くのは、本来わたしたちは書くことで自己を解放したいのだと思います。

認められるとか、ページビューが少ないとかいう欲と恐れがあると、書いてもしあわせになれない。



5.フローに入るには大事な準備段階がある


「フロー」とは、最適化された意識の状態のことです。(虚栄や偽り、誤魔化しという余分なヨロイを着ていない状態)

その状態に達すると、最高のパフォーマンスを発揮します。

わたしの何度かの経験からも、たしかに物事に完全に没頭し、時間の感覚を失い、精神的、身体的能力が劇的に向上していた。

脳が1秒間により多くの情報を吸収して、より深く処理できるのでしょう。

最近、スティーヴン・コトラーによるフローに入るためには4段階というのを知りました。

おお、そうだったのか。。ご紹介したい。


1)「準備」=「葛藤」

第1段階は「準備」の状態だそうです。彼はこの状態を「葛藤」段階と呼んでいます。

彼が葛藤という言葉を用いたのには理由があって、この段階での目標は、自分自身を情報で圧倒することです。

あなたが作家ならば、毎日あらゆる人に取材を行い、関連書籍や雑誌を読み漁る段階。

ストレスを感じ、情報に圧倒され、自分がどこにいるのかわからない。そんな精神状態になるのが重要だというのです。

ただし、フローに入るためには、ストレスに執着しないことが肝要ですとも言っていて、あなたにはコルチゾールやノルエピネフリンの分泌が必要だと。

これらはとてつもなくストレスを感じたときに分泌されるホルモンです。

フローに入りたいなら、避けられないもの。

ストレスに執着しすぎて「くそっ、うまくいかない。フローになんて絶対に入れない」などと考えてしまうと、その通りの結果になってしまうので、ストレスもフローに入る過程の一部だと受け入れるのだと指摘しています。

これは第一段階なんだ。ストレスを感じ、自分の頭が悪いんじゃないかと思ったり、どうすれば良いかわからなくなることは、良い兆候であり、悪いことではないと知っておこうといいます。


わたしの体験のすべてはこの葛藤が最初にありました。

嫌で嫌で仕方ないのです。ずっと来るだろうシーンを気にしている。

会いたくない彼女の仲間とのボーリングシーン、誰一人味方がいない研修シーンを事前にうんざりするほど繰り返し想像していた。

でも、どうせしないとならないんだものとやがて諦め、嫌だという執着が完全に脱落してしまった。

頭で脱落させたんじゃなくて、なぜか諦めた。

どうせしなければならないのなら、じゃあせめて他者のためにできることを少ししようと目標をじぶん自身から他者へとチェンジした。

あまりにウンザリしたわたしは、普通なら外せない自我意識(リミッター)を失いました。


2)「解放」

第2段階は「解放」です。絶対的にリラックスする段階です。

「リラクゼーション反応」と呼ばれます。

多くの人は散歩に出かけたり、映画を見たり、セックスをしたりすることで、すべての「葛藤」を頭のなかから取り除く。

何も考えず、完全にリラックスしなくてはならないといいます。

そう、わたしは完全に諦め脱力していた。もう気張りようも無いほどに諦めたのですから。


フローは、座禅のように入るんでは来ないのですね。

脳がいったん異常に興奮する必要がある。

そして、バカらしくなり、あるいは諦める。そして脱力=リラックス、する。

それはストレスが強烈過ぎて、耐えられなくなったのです。わたしの全系は、過剰な負荷に対して、自己防御として弛緩してしまうのです。


3)「フロー」

第3段階が「フロー」。

フローとは、非常に「ハイになる」状態だといいます。ランナーズハイのハイ。

(わたしは、「ハイ」というより「透明に透き通った、醒めた」という感じでした。きっと、ドジャーズの彼も熱く「醒めて」いるでしょう。いや、「ハイ」なんですかね?)

慣れていない人は、多くの人がトランス状態になったときのように、「あら、なんて素敵な気持ちなのかしら」とトリップしてしまうけど、

意識を一点に保ち続けていなくてはならないのだそうです。

(ええ、好きな人とのボーリングでした、ライバルいっぱいの研修でしたが、そういった余計なこと一切を捨ててわたしも意識を1点に置いていた)

なぜなら、あなたは究極のパフォーマンスを発揮できる状態にあるから。

この機会は、毎日訪れるわけではなく、あなたの潜在能力を今までにないほど発揮できる貴重な機会だという。

だからせっかく辿りついた境地を、決して無駄にしないでほしいと言っていました。


無駄にしてほしくない理由はもうひとつあって、フローで集中することは脳の訓練になるんだと。

フローになる機会が増えるほど、フローに入りやすくなる。

フローの時間を引き延ばせば引き延ばすほど、次のフローも長くできると言います。

たいせつなのは、自分が「フロー」に入っていたと後から追認してあげることだと。

偶然ではなくて、あなたはあなたのステップのバリエーションがどこにあるかを都度再確認してあげる。

何度も確認して、「わたしというカタチ」を覚えて行くのだと。


4)「回復」

第4段階は、非常に重要な「回復」となります。

学習し、記憶を定着させる期間です。

フローは、学習能力を大幅に増幅し、記憶を強化する。

ただし、フローを作りだす神経化学物質の生成には非常に労力がかかるのです。

多くのエネルギーや特定の食物、日光、特定のビタミンが必要で、これらはいま、あなたの脳から失われたばかりだから、フローのあとは気分が沈むことになるわけです。

フローは通常、数時間継続する。

その後、就寝し、翌朝、目が覚めたときは気分がいいかもしれない。けど、その数時間後には気分が落ちこむだろうといいます。

もはや自分がスーパーマンのようには感じられず、最悪な気分になる。

その気分にとらわれすぎてしまうと、イライラしてしまって、次の段階に進めなくなってしまう。


次は、再び第1段階なのです。

「準備」であり、「葛藤」の段階である。

でも、気分が最悪なときに、敢えて葛藤したいと思う人はいないのです。

第1段階でストレスに執着しすぎてはいけないように、「回復」の第4段階においても、気分が悪いのは自然なことであると捉え、固執しすぎるのはやめようねと言っていた。

「フロー」によるハイパフォーマンス状態は魔法ではないのです。とうぜん、代償も支払わないとならない。

過度な集中の後はエネルギー補強とケアが必要だといっていました。



何度かわたしもフローについて書いてきました。

なんどもじぶんの体験を考えてきた。

諦めて手放す必要はよく分かっているつもりです。

でも、手放すには、あらかじめ猛烈な拘りや執着がじぶんに無いとならないのですね。

ふつう、自我を落とすことだけが禅などでは強調されますが、そうではなかったのです。

諦めへとドライブさせる葛藤こそがすべての起点となる。ですから、葛藤はとてもたいせつな状態だった。

イライラや不安、怒りといったネガティブな感情をあなたも毛嫌いするとおもいます。あってはならない感情だと。

いいえ、善人ばかりだと善はわかりません。悪人もいるから善であろうと志向する。

ネガティブを抱えて生きることがまっとうであり、こうして「フロー」というおまけまでいただける。

ネガティブ感情を否定し善人であろうとすることは、まったくもってしあわせには行き着かないとこの理論は言うのです。


ぜひ、物書きの葛藤を続けたい。

ふと諦めては書けたわたしでしたもの。そういう日の記事は書き終わると、喜んだり、泣いたりしていました。

長い話になってしまいました。

じぶんが呪縛されているリミッターは意志でははずせない。

はずすには訓練が要るという、スキルの話なのです。ちゃんと悩んで大きくなってね、ということでした。

さあ、明日も書くぞ。



P.S.

先生は、開発チームとわたしを追い詰め、わたしにはずっと悔いがあります。

そして、もう30年もあなたをわたしは追っている。

あなたの理論は、わたしにはやっぱり素晴らしいのです。

ああ、、あなたは人間が好きなんだなと思う。

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