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お風呂で瞑想をしてはならない


ずっと、出来ないままのことってあると思う。

わたしの積年の憧れは、ヨガ、瞑想、茶道でした。

やっとヨガを2年間やれた。

な~んだ、やれば出来るじゃん。なんで出来なかったん??

いつの間にか、次の潮が満ちて来た。瞑想という、地味な話ですほろほろ。



1.突然、ひらめいたっ


瞑想はまだでした。

実は、座禅や瞑想の本は10冊以上買っては読んで来た。限りなく、憧れ。

けど、みんな難しいことしかいわない。

書かれていることをマネしてやっても、カタチばかりで面白く無い。

もちろん、禅寺行って座禅も組んだ。

でも、肩をパシパシされるだけでまったく納得できない。つまらない。

そんなものじゃないはずなんだが・・。

満足に瞑想をやれたことがなかった。


一日がようやく終わり、あなたは湯船にざぶーんって沈む。ほろほろと解けて行く・・

ひとり瞑想をする。深くふかく無となる・・

ああ、、この2つを同時に出来たなら、、、さぞ、すごい!

ろくに瞑想も成功していないのに、わたしは突然、ひらめいた。

そうだっ、お風呂で瞑想、素敵だっ。



2.お風呂に適さないひと


1階に大浴場という名のお風呂場があって、夕方はかのじょとそこに行く。

わたしは、長風呂できない体質です。

長く入ると、息苦しくなってのぼせてしまう。

両親ともカラスの行水で、とうぜん、息子のわたしもそう。

きっと代謝の良い、すぐに体温上昇できるDNAだけがあの雪深い山奥に残ったでしょう。

九州産のかのじょと違って、わたしの体は寒冷地仕様だと思う。

札幌のシニア向けマンションも移住先の有力候補でしたが、部屋にはシャワーしかなかった。

北は寒いのに湯船が無いマンションばかりだった。かのじょが却下した。


わたしだって、もちろん、お風呂に入ればさっぱりする。

でも、できればお風呂には入りたくない。

きっと、キタキツネや北極グマもそんなアンビバレントな心境だと思う。


昨夜、お湯から上がりお風呂場を出て、エレベーターが降りて来るのを待っていた。

と、妙齢のお嬢さんに後ろから声を掛けられた。

「あらぁ、どうしたの?」

振り向くと、かのじょがわたしの後ろにいた。

「ああ、、もうあなたがお風呂から出て来る時間なんだね。

あっという間に時間が経ってたんだな。。。

瞑想してて気が付かなかった」とわたし。

「お風呂で瞑想なんてしてて、のぼせないの?」と驚くかのじょ。

「ううーん、平気みたいだ。たぶん、いつもと呼吸のモードが違うからかな」と、わたしの口が言った。


その日、わたしはお風呂で瞑想をやってみたのです。

瞑想を始めると時間の感覚が変わってしまう。

思考は来るけど、取り合わない。

一切まわりの人たちの様子が気にならなくなる。

まわりの人の動きはもちろん知ってはいるけれど、じぶんは透明となり、

周囲で走馬灯が勝手に淡々と回ってる、くるくる。湯温も気にしていない、、みたいな。



3.お風呂はやばい


この関西のシニア向けマンションは、当然、シニアしかいない。

みんな、よろよろしてる。

意外にお風呂で失神してる。

意識が遠のき、ずるずると湯船に沈む。

誰にも気が付いてもらえなければ、溺死に。

先日も、男湯ののれんをくぐると、おじいさんたちが静かに大騒ぎしていた。

一人が湯船に沈んだのでした。

わしが引きずりだしたんだ、必死に引き上げたんじゃと、よろよろしたおじいさんが言ってた。

幸い、沈んだおじいさんは無事のよう。


ぴぃぽぉー、ぴぃぽー、ぴぃぽー。

救急車が始終このマンションに駆けつけている。

看護師も24時間待機し、けっこう忙しい。

お風呂場で撃沈事件も起こる。

と、看護師、事務方、救急隊員が、すぐにどかどかとお風呂場に突入してくる。

男子といえど、すっぽんぽんは恥ずかしい。

もちろん、女風呂で沈没が起こると、昔の女子たちは湯船から出て来れなくなる。

80歳だろうが90歳だろうがそこは乙女。

関西のおばあちゃんたちだって、肌は見せたくない。少女のごとく純真だ。


高齢者たちにとって、体の循環を促してくれるお風呂は楽しみです。

ひろびろ、のびのびできるし、女性たちの社交の場にもなっている。

万一、失神しても誰かが気づいてくれ安心です。

で、実際、女性のお風呂場では始終、誰かが床にバタリと伸びたり、湯船に沈んでる。

老人が自分の代謝をコントロールするって意外と、難しいのです。

かのじょの父も、わたしの祖母も自宅のお風呂で亡くなっている。

失神し、そのまま溺れる。

わたしなんか、体質上、かなりやばい候補です。



4.瞑想なんて、そこでやってはいけない


呼吸の仕方は、あなたの意識に影響する。

意識の在り方も、あなたの呼吸を変化させる。

緊張すると、ゆっくりとした複式呼吸から細かな胸式に変わってしまう。

だから、ヨガでも武道でも、呼吸の訓練はかかせない。


あなたが、不随意な自律神経系をコントロール(随意)させうるのは、全身でたった2か所しかない。

呼吸(肺)とおしっこ(膀胱)です。

心臓の鼓動は可変できないし止めれない。心臓には随意神経は行ってないから。

でも、呼吸は自動運転していてくれるけど、意識して遅くすることもできる。なんと、止めることだってできる。

おしっこは、幼少のみぎりには、うまくコントロールできないので、もらす。

じじゃーって、出てしまう。

だんだん、うまくなる。あなたはコントロールし、我慢できるようになる。

膀胱に随意神経も行っているから。

で、年寄りになると、最初のヘタクソに戻る。だから、よく失禁してしまう。

骨盤底筋がへろへろになって、もらしちゃうと言うのだけれど、

そもそも、不随意神経を随意して来たのだ。とても難しいことをして来ていた。


話がズレた。へへ。

湯船で話していたら、ろれつが回らなくなって、病院に搬送され死んだとか、先月も女子風呂で起こった。

死ななかったけど、湯船で意識を失い、気が付いたら病院だったという人もへろへろとかなりいる。

湯船でやたらとあくびする人もいる。

会社でも会議中にあくびする人がいたが、あれはくつろいでいるんじゃない。

脳血管細くなり酸素を運べてないという、脳梗塞が迫る緊急告知のシグナルです。


で、とにかく、お風呂で瞑想なんてすごく危険なのです。

でも、わたしはなぜか、湯船でしてみたくなった。

で、してみた。

代謝激しい血筋なのに、まったく平穏だった。

呼吸がチェンジし、エネルギー消費がミニマムに突入していた、と思う。



5.瞑想とは何か?


いろんな難しいことを人はいうけれど、本来、瞑想はとてもシンプルなものでしょう。

腹を膨らませ吸う。腹の力を抜いて息を自然と吐く。

吐く時、「何もしない」ということをする。

ふつう、人は何もしないということが出来ない。

きっと、あなたもそれは出来ない。

だから、non doingをする。


わたしたちは、何も考えないということは出来ない。

脳に生じる心配事や不安、怒りに乗って流れてしまう。

仮に、何も考えてない、何もしていないとあなたが思っていても、

実際には、微小な「する」ことが全身で起こってしまう。

五感の感覚刺激が入り続けてもいる。

体は脈打ち、呼吸し、腸はぜんどう運動する。

血が流れ、筋肉もピクピクしている。

座り続ければ、足腰痛いし信号が来る。(湯船だと足腰の痛みは無い)

「何もしない」ことは、かなり難しいのです。


だから、専用に静かな空間で座禅を組んで、となる。

でも、さぁ、瞑想するぞっと意識してする瞑想は、瞑想とはいえないのです。

瞑想する、というdoingをしてしまうから。

いいや、手放さないとならない。

わたしは、腹への「何もしない」ということにチャレンジした。


どうするかというと、吐く時、腹に「何もしない」という”わたし”を落として行った。

「何もしない」をどんどん腹に落として行く。

委ねて、落ちて行く。果てしなく、落ちて行く。

これで安堵しないことの方が難しい。


呼吸もそれにつれてチェンジして行きます。

わたしたちは、意識を変化させるだけでは変われない。

エネルギーの配分の仕方も変えないと「瞑想経験」にはならない。

エネルギーの配分は、唯一、呼吸によって変えれる。

だから、禅でも瞑想でもヨガでも呼吸についてやかましくいうのです。

エネルギーが変化しなければ、チェンジできない。


で、下腹とは何かということなんだけれども、どこぞのふるさとに繋がっている大地。深く広大なところ。

頭だけを変えても、安堵しないのです。

どっしりと、山のような不動になれるのは、下腹にあなたが深く沈む時。

深い安心、果てしない安堵がやって来るところ。

わたしたちの母なる大地、宇宙に繋がるところ。

これ以上言うと、かなり怪しい話になるのでしないけれども、下腹はとんでもなく大切なところです。


腹に「何もしない」ということを落として行く。

「何もしない」、「何もしない」、「何もしない」・・・・

どんどん落として行く。

よく、「手放す」というけれども、それは主体としての意志の匂いがしてしまうから、うまくはいかない。

落とす。どんどん、深く「何もしない」という”わたし”を落として行く。

ということを湯船でした。


意外なことに、動悸は早く成らず、汗もほとんど出ない。

どこまで落とせたのかは分からない。

なにせ果てしなく深く広大だそうなので。

そして、時間がうんと経過していた。

エレベータの前で、「いったい、何してた?」とかのじょが言って来て、初めてかなり時間が経っていたことに気が付いた。



いつでも、どこでも瞑想はできるし、また、する価値があると言える。

電車に乗っている時、テレビを見ている時なんか最高かもしれません。

腹に「何もしない」を落として行く。

「何もしない」は、すごくお薦め。

でも、やっぱりお一人風呂では、お薦めしない。

100回ほど、やれたら、またご報告致します。

たぶん、まだ存命かとおもいますほろほろ。



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