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年寄りのいない世界がある―規律と自由のこと


規律(制度)とこころの自由とは、相反するものだと思っていました。

けど、この世のリアルが何かを伝えてきた。



1.年寄りのいない世界

ちょっとした水たまりをオスのライオンはもう飛び越せなかった。

毛並みも悪く、腹もたるみ、覇気がない。

老いた彼の目の先には15匹ほどのハイエナが取り巻く。

ハイエナはとんまな顔をし無関心のような表情をしているが、確実に輪を狭めてゆく。

オスライオンにこんなことは一度もなかったでしょう。

今までハイエナなんて小賢しい草原のオマケでしかなかった。

おれが獲った獲物、その残りをあさる、卑しい小僧どもっ。

が、今回は、その”おれ”が彼らの獲物だった。


ハイエナたちは、ライオンの死が近いことを嗅ぎつけ執拗に迫って来た。

ライオンは、あまりに近づき過ぎた1匹を噛みついて追い払う。

彼がハイエナにかみつくと、別なハイエナたちが彼の背を襲う。

そうでもしないと、ハイエナは仲間が重傷を負ってしまう。

背後を襲われライオンは噛みついていたハイエナを口から離し向きを変えた。

呼吸が荒くなり、よだれが垂れる。。


ライオンが吠えた。

でも、ハイエナはけっして諦めない。

1匹、1匹は弱そうな犬ほどの大きさしかないけれど、集団ではまったく別な存在と化す。

死神にしつこく迫られたライオンは、ついにお尻を地面にぺたってついてしまう。。


ライオンといえども、老いると食われてしまう。

見ていたわたしは、集団で彼一人を襲うハイエナたちに嫌悪しました。

こずるそうなハイエナのイメージだから、あなたもこの老いたライオンを応援してしまうでしょう。

いや、ハイエナたちも腹を空かせていた。

このライオンを倒すんだと群れが決めたのなら、命を賭して倒さねばならない。

倒して食らいつかねば、自分の子たちが飢える。

とぼけた表情に騙されそうになるけれど、ハイエナたちも必死でした。

性格悪くてしつこいのかもしれないけど、そもそも自分たちの命が掛かっていた。


X(Twitter)でBBC earthが伝えた3分ほどのシーンでした。かなり多くのアクセスがなされました。

https://twitter.com/i/status/1552904954846773248



2.過酷なハイエナの階級社会の意外

以前、テレビでハイエナの生態を教える番組をたまたま見たのです。

彼らは”完全な階級社会”でした。

順位の低いメスから生まれた子供は生涯、下位として扱われる。

捕った獲物はなかなか下位の子まで回って来ない。だから、かれらは大きな体を持てない。

そして、下位の子どもはいじめられることもたびたびだった。

わたしは、なんでそんな掟がそこに貫徹するのかと、ハイエナの子に同情した。


驚いたことに、ハイエナの子たちはいったん遊ぶとなったら、そこには階級という序列が完全に消えたのです。

下位の子であろうと、上位であろうと等しくプレーした。

おい、おまえ!分をわきまえろ、なんてことにはならず、下位であっても勝者になることもあった。

番組では、なぜかを言ってはくれなかったのですが、あまりの意外さに、わたしの記憶にその番組が残った。



3.最後の時の美しいシーン

先のXの映像の話に戻ると、いくら追い払っても追い払っても、老いたライオンはハイエナたちを追い払えなかった。

ライオンの尻や足がガブリと噛みつかれることが徐々に増えてゆく。

もうライオンには体力が残されていないように見える。

見ていると辛いのです。

草原には老人はいません。王者必衰の地。


どんどん輪が狭まり、もう最後かという時に、1匹のオスのライオンが草原に現れました。

どうするんだろう?助けるんだろうか?来たライオンがハイエナたちを追い払いはじめた。

おお、、、、彼の子なのか、仲間なのか、偶然通りかかった単独ライオンだったのか。

ライオンが2匹になってはかなわないと、ハイエナたちは諦め退散したのです。

ハイエナたちが去ったあと、素晴らしいシーンがあります。

この映像には胸が熱くなった。

最後の最後の2匹の交わした姿が美しい。

何度もなんどもお互いの顔をこすりあうのです。そして、疲れ果てた2匹は地面に倒れ込む・・。

とても、美しい。

ああ、だから、投稿者は「最後までみてね」と最初に断っていたのだ。

草原は、くっきりとした生と死と、そして愛がある世界でした。


4.優秀な兵士を育てるには

実は、テレビのハイエナの生態をみてから、わたしはもう彼らを卑しいとは思えなくなっていました。

彼らが必死に生きていたからです。

彼らに階級があるのは、集団を統率し維持するための知恵だと思った。

下位の子が可哀そうだとかいう主観は、わたしがじぶんの道徳観をそこに投影しているにすぎない。

どんな群れ動物も、種を残すことがなによりも優先するのです。

集団で狩りをする体系は、群れに「統率者」と「段階的な従者」とをきびしく要求するでしょう。

サルも犬も群れとはなるけれども、集団で狩りはしない。

その統制は、ハイエナや狼の方が断然厳しいものでしょう。だって狩らねば、自分たちが死ぬのです。


だから、個の尊重なんてことは、集団狩りの前には蹴散らされた。

下位の子はわたしが思うほど、”惨め”じゃないでしょう。

個人より先に”お役”がある世界。

下位は下位なりに群れに貢献する在り方というのがあって、それを”役目”として受け入れているのかもしれない。

差別があることは個としては辛くないかい?と聞いてみたくなる。

もしハイエナに産業革命でも起こって集団狩りをしなくてもよくなる時代が来たら、その時Yesというでしょう。


ハイエナの階級社会が遊ぶとなる時、こころ開いて自由に動くことを群れが要求したのでした。

道徳観が蘇って下位の子供も平等にしてあげようかというようなことじゃなくて、集団のDNAがそう命じた。

遊びはただ遊んでいるのではなく、それは狩りのための練習なんですね。

非常に優秀な者を育てないといけない。

あごの力が強く、俊敏な兵士を。ルールの中で統制されるという軍隊機能を。

そして、実際の狩りではいろんな要素が重なり、ハプニングが起こるわけです。

個々の兵士は、創造的に対処しないといけない。

お前は兵隊でおれは将校なんだからいうことを聞け、なんていうような状況じゃない。

老いたライオンに対してさえ、しくじれば群れの誰かの致命傷になってしまう。

1匹、2匹と減り続ければ、老いたライオンでさえ群れは捕食できなくなってしまう。

個々は、集団に従わないとならない。

でも、集団狩りをするためには、その前提として柔軟な判断ができる個々が必須だということです。

だから、集団狩りをする上で、”遊び”は階級制と並ぶ、いやさらに上にそびえる掟だったのです。


だから、遊ぶとき、かれらはいっさいの制約をはずし動く。

規律と柔軟な発想をハイエナは実現させていた。それがハイエナたちのリアルだった。

こころ自由でなければ、創造的にはなれない。

あなたも気にするであろう創造性とは、芸術家のためにあるんじゃなくて、種が生きるための知恵だった。

それ無くしては変化するこの世界から種が脱落してしまうのです。

だから、集団動物の末裔であるにんげんたちも、かなりしつこく”創造”というメッセージに惹きつけられてきたわけです。



5.なぜスポーツ選手が敬われるのか

人種差別が消えないアメリカで、なぜ黒人やアジア人がスポーツだと敬われるのかが分かります。

1流のスポーツマンなら、それだけで十分になってしまう。

すごい投手がまたすごいバッターでもあるなんていう奇跡を見せられると、肌の色や道徳なんて完全にどうでもいいことになっちゃう。

人間もハイエナと一緒なんだなと気が付く。

わたしたちの社会でも、「集団狩りをする上で、”遊び”は階級制よりさらに上にそびえる掟」なのです。

ふつうのわたしたちには、息苦しいほどにしきたりを重んじさせられる。

そのしきたりは、また、相反する創造性の発揮も求める。

わたしたちも遊ぶとき、身分も人種も金持ちかどうかは問わないのは、こころ自由に遊ばせるためでしょう。

「状況に応じて臨機応変に発想してゆく個々がどうしてもいる」という群れ動物の掟。

スポーツは真剣な遊びなんだ・・・。


こころ自由に解放されたとき、確かに、わたしたちは創造的に世界に対処できるのです。

ずっと昔の先祖がこの世界に対処するためにDNAに刻み込んだ、それは種としての最高の知恵でしょう。

狩ることは無くなりましたが、集団で子を育て、教育し、生産する”群れ動物”のわたしたちにも、「自由さ」と「統率」という相反する要素は今でも刻印されている。



6.ああ、この世界はほんとに美しい

”老人”が野生にいないのは、老いればすぐに食われてしまうからです。

やがて、この難を逃れたライオンも再びハイエナたちに取り囲まれたでしょう。

ひどく厳しい掟の世界でした。

けれど、追い払った後の2匹のシーンを見て、ああ、この世界はほんとに美しいと思った。

そして、ハイエナは社会の掟と個人の自由という相反する問題をダイナミックに乗り越えていた。

基盤に”体制”という掟をすえるものの、”遊び”という上部構造を許容していた。

それは、わたしたちの社会にそっくりだった。


「いじめ」を許容するのか、LGBTQのような「少数者」を排除していいのか、とあなたは問うでしょう。

「体制」維持を是としたお前は、社会の問題を無視するのかと。

体制のためには、老人はさっさと死んだ方がいいのかとまで聞くかもしれない。

これらの問いは、「体制(統制)」と「個人(自由)」とを対立概念として見ている。


ハイエナたちの遊びが教えていたのは、

最上位に「自由」というこころ緩ませる層があり、そして、下位に生きるための鉄壁の掟(体制)があるということです。

わたしたち人類が生き延びるためには、子を産み育て働くための下部構造が絶対に必要です。

だから、今後も、学校に行け、引きこもるな、結婚せよ、まじめに働けという掟は貫徹し続ける。

そうすればいいのです。

社畜と言われようとも、生きるための”お役”ですから。AIが勝手に労働をするようになるまでは、従う。

問題は、そのような”お役(義務)”に沿うと、自由が奪われると「思い込む」ことです。


とんでもない制約下で人間は自由を表現して来ました。

ロシアに蹂躙されたポーランドを祖国としてキュリー夫人やショパンが見せた創造性。

ナチスから逃れたアインシュタインの偉業。

アウシュビッツに収容されたフランクルが書いた『夜と霧』。

生涯たった1枚しか絵がうれず、弟にお金をねだらねばならなかったゴッホ。

3重苦の生にも関わらず、気高さを示したヘレン・ケラー。

おお、大谷さんもずっと非難され続けていたのに二刀流を諦めなかった。有名になっても奢らない。

こうして並べてみると、”偉業”は、どれもむしろ制約がひどいにも関わらず、”創造的”であった人たちが紡いでいます。


”お役(義務)”に沿うと、自由が奪われると思い込むのは、苦難を背負うのが怖い者の言い訳かもしれないのです。

人類をもっとも元気づけ励まして来たのは、下部の制約にも関わらず上部の”自由”の発露だったと思います。

みな、それぞれが置かれた状況で「お役」を務めるしかなく、また、許された範囲で「自由」と言う創造性を発揮したということです。


自由のためには、排除される少数者をわたしたちは守らねばならない。

それは、わたしたちが生き残るために最上位に置かれた掟が求めるからです。

戦争、飢饉、パンデミックの時、この自由が種の問題解決を担保してくれました。

今回のノーベル医学生理学賞は、コロナワクチン開発に寄与した移民の女性に贈呈されました。


もちろん、体制維持のためにいじめていいとはなりません。

それはライオンたちが見せた美しい「友愛」という第3の掟に背くのです。

ああ、この世界はほんとに美しいと信じられる必要がある。

わたしたちは、生き延びるだけでは満たされないのです。



社会組織に従属し、かつ、創造的であるということが可能だとハイエナは教えていた。

いいえ、社会組織に従属し、かつ、創造的であるということを種はあなたに求めていたのです。

体制に不備があればそれを解消する。わたしたちは、体制と戦わねばなりません。

でも、単に文句を言っているのは逃避でしょう。それを超えて行く底力が求められていると思います。

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