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ひとり苦しい時、僕たちは


わたしは、必死にあがいた。

くそっ、負けるもんかっ。元凶さえ取り除ければ楽になる!がんばれっ!

ほんとうだろうか?

振り返ると、苦しい時わたしは自分自身を受け止めていなかった。

そうだよね・・、辛いよね・・なんていう声掛けをじぶんにした記憶が無い。


実は、苦しい中、じぶんの気持ちを知ることも起こってきた。

アップアップしているじぶんを知るには、すこしスキルがいると思う。

中に居るわたしを外に出して、自分の目で眺めてやる。

でも・・眺めようとすること自体難しいし、ただ眺めれば良いというわけでもなかった。



1.役員に詰め寄られて


仕事でとことん追い詰められることが多かったです。

その苦しいさ中に、アクションリストを書き出していたことを想い出しました。


人柄の良い役員もいたけど、そういう人はたいがい2,3年でクビになり去って行った。

というわけで、残っている役員は鬼ばかり。

鬼たちが、渡る世間に法外な要求を降ろしてきました。


意外なことに、あなたが社長だと想像してみると、この状況が納得できるかもしれません。

ふたりの候補を見て、あなたは後任をどちらかを選ばないとならない。

ひとりは仕事も優秀で人徳がある。

もうひとりは社の利益拡大のみを最優先する者。自分でも彼を好きにはなれない。

あなたは、みなの人権を尊重し従業員のしあわせに異存はもちろん、無い。

けれど、あなたは、きっと無情な利益優先候補に社長を譲る。

ここは仲良しクラブじゃない。株主への説明責任にあなたも屈するしかない。

役員には鬼しか残れないのです。



今朝、直属だったその鬼役員の夢を見た。

夢の中でわたしたちは、ほんとはこう思っていたんだよというような話をしていた。

鬼の役員が腹を割った。わたしも割った。

目つきは相変わらず厳しいけれど、目が寂しそうだった。

専務まで行った彼は、何か諦めていて、彼は妙に優しかった。


時々、わたしはその鬼から猛烈なプレッシャーを受けていました。

早く商品を出せ!と、四の五の言わせない厳命を鬼は言う。

納期も品質も理不尽なほどの要求だった。


わたしは、孤立しプレッシャーに負けそうになった。

メンバーたちは、わたしが責任を受けとったと見ると、それはあなたの問題ねぇ~となった。

で、「わたしたちは時間が来ましたので、お先にぃ~」。

なんということか、歴代上司に恵まれなかったわたしに、上司も「お先にぃ、無理しないでねぇ~」。

夜の10時も過ぎたら、広いフロアに残っているのは数人しかいなくて、がらーんとしました。

六本木の高層階のオフィスで、みんな帰ってしまった1時、2時まで企画書を詰めていた日々のことです。


もう解決策など無い、納期は絶対無理だっ!という土俵際まで追いやられていた。

こころがぱんぱんになる。

やらねばならないことが無限に残ってる。あ、、くそっ!

かなり追い詰められ、ふと思いついて、アクションリストを書いていた。

わたしがすべき個々のことがいっぱい書かれて行く。

ほら、やっぱり、こんなに山盛りだ!

でも、わたしを取り巻いている状況がだんだんと整理されて行きました。

2つの事は1つにまとめられる。他の人に任せればいいもの。とかとか。

個々のアクションに対するじぶんのスタンスや苦しさや優先度が見えて来る。

敵が一斉に取り巻いていたはずだったけど、敵にもいろいろいた。

デカイやつ、すぐ攻めて来るやつ、役員の威光を着てるやつ、

最悪放置しても愛嬌で許してもらえそうなやつ・・とかとか。

それぞれをじぶんがどうとらえていたのかがクリアになって行く。

状況はすこしも変わっていないのだけれど、なのに、わたしは何故か安堵して行く・・。


全て書き出されたリストを眺める。

まぁやれることだけやろうと、わたしは思った。

出来てない!と責められても、これ以上は出来ないんだ。

わたしのことが気に入らないなら、他のヤツに替えてくれ!と言おうと腹をくくる。

気が付くと、朝方だった。

机にうつ伏せに寝たんじゃなかった。寝る気なんかなかった。

途中で気を失っていた。朝が来て気が付いた。


わたしは、リストの優先順位(緊急度ではなく重要度)に従って、1つ1つまたこなして行ったのです。

もう、慌てることも恐れも不安も無かった。

役員に提案し、承認され、商品はリリースされた。

な~んだ、殺されるほどのことでも無かった、、と毎回思った。

意外なことに、まじめなわたしを追い詰めた一番の下手人は、鬼ではなく、わたし自身だった。


そう言えば、あの鬼はときどきわたしをからかいに机に寄って来た。

そして、つまらないことを言った。

鬼なりにわたしを可愛がっていたのかもしれない。

いや、鬼だもの、そんなはず、ないっ。

いったい今朝は、どういう風の吹き回しだったんだろう?



2.外在化


ダンサー、歌い手は無意識にそれをしているのかもしれません。

作家や詩人、陶芸家や画家は、たぶん、外に現わすという価値をはっきり認識している。

創ってみて、ああ、わたしはこんなものが作れる人だったんだと納得するプロセス。

それがとても嬉しい。

わたしたちも、英語や数学で良い点が取れる自分、運動会で早く走れる自分を見て喜ぶ。

競争に勝って自分が優秀だったということより、

ああ、そうか、ここまで出来るんだわたし、と自分を集団の中に確認する喜びだと思う。


自己を表現するまでは、わたしとはモヤモヤした観念の集まりでしかないでしょう。

表現することで、ようやく自分という者が目で見て了解できる。

苦しみもそうだと思う。

苦しんでいる等身大の自分を確認できれば、自分が分かりほっとする。大地に根付く。

根付けば、次にやるべきこと、やれることがはっきりして来る。

だから、わたしたちは自己を外在化したいから、歌い踊り話し、書くんだと思う。

外に自己を表出すること自体、わたしたちの根源的な喜びだとわたしは思う。


自分というものをいくら考えてもつかめないから、外在化というスキルを育てる。

苦しいのが問題なのではなくて、きっと混乱に巻き込まれ我を失っていることが辛いのでしょう。

スキルが豊かなほど、きっと人は喜びを感じて生きれると、そうわたしは信じている。



3.花ちゃんが泣いた


同僚に、花ちゃんがいた季節でした。

伸び盛りだった事業本部は、アメリカ本体への研修生を募集した。

彼は、SEの仕事に飽き飽きしていた。

これ幸いと応募し、事前にわたしの所にあいさつに来たのです。

彼はものをはっきり言うドライな性格でした。

なので、わたしも日本側のビジネス状況を率直に説明した。

ありがとうございました、では。という会話で終わった。

慌ただしい日々の1コマでしかなく、わたしは彼に会ったことなんかすぐに忘れてしまった。


1年経って、彼がまた挨拶に来た。

アメリカから戻り、ここで働くことになりました、よろしくお願いしますという。

話しているうちに、以前挨拶に来た人だと思い出した。

それから数年、彼は同僚としてわたしたちと苦楽を共にした。

ある時、アメリカでは何してたの?と彼に聞いた。

つらかったこと、ふがいないことがあったという。


わたしは、なぜ彼が事前に挨拶に来るのかを知らされていなかったのでした。

また、事業本部は、明確なミッションを彼に与えていなかった。

きっと、役員が思い付きで社内公募を掛けただけだったんだと思う。

送り出す側がそんないい加減なのだから、受け取る側のアメリカ本体も彼を持て余した。

何を達成するのか?彼も誰も分からない。

アメリカ人たちに混じって仕事をするわけでもないし、お客さんだというわけでもない。

何をどうしたらいいのか分からずに、自分の身分も分からずに、言葉と習慣の違う異国に1年もいたのでした。

さすがにドライな彼でも、かなり辛かったという。

こころがへし折れてしまいそうだったと。


彼は、辛い時ノートに手書きしたそうです。

開いたノートの左側には、その日あった事実だけを書く。

右のページには、その出来事に対する自分の気持ちを書いて行った。

僕は、不安と苦しさの中でこのノートに救われたんですと言った。

いっけんお気軽な、なんの葛藤も無いような外見の下に苦労を抱えていた。

「僕は救われたんです」と言った彼が、わたしたちの仲間に深く入って行った時期でした。



4.先ずは落ち着かせる


いろんな悩みやもめ事は、ふだん自分の頭でしっかり考えていないからだ、と言う人が多い。

もっとよく考えろ!と言う。

いやいや、しっかり考えられないにはワケがあるし、時がいる。


足がひどく痛むのに、先ずは他人の足の世話をしないといけないみたいな状況ばかり。

険悪になった彼女との関係も修復しないといけない。

ようやく最後に回って来る自分のケアをしたいのに、

自我が、おまえは情けないヤツだとかバッシングしてきて、これをしのぐカサが無い。

ああ、都会ではカサが無い!みたいな日々なんだもの。


道徳論、べきだ論を振りかざす人たちが見過ごしていることがあると思う。

こういう何重にも入り組んだ日常だから、わたしたちは考え始める。

誰のせいだ?おれが悪いのか?

それは堂々巡りや他責に陥り易いけれど、しかし、こんな複雑な状況だから、考えるということが起こる。

お子たちが天井でピヨピヨ羽ばたき、妙なる調べが奏でられては、もう何にも考えない。


人はほんとに必要を感じてから、はじめて考える生き物だと思う。

ただし、考えるにはスキルがいる。

日記でもいいし、その高級バージョンであるSNSでもいい。(他者対応は楽しみだけど負担も大)

書くことでわたしたちは、自分と対話してゆく。

そうやって客観視し、先ずは落ち着かせる。

お嫁さんとの会話もさぼれないけど、自分自身とも必須だ。毎日、必須だ。


意図的にわたしたちは、自身を振り返り受容するなんてできない。

順番に苦しみがコマを進めてくれて行き、辛さがピークに来る。

もうどうしようもなくて、エゴを手放す。

そうしてようやく整理されたものを見たとき、わたしたちは素直に事実を引き受ける。

アクションリスト信者に成れば、それでいいわけではないのです。

時が満ちるのを待たねばならないし、満ちれば人はしっかり考えるんだとわたしは言いたい。



5.花ちゃんは去った


花ちゃんは追い詰められた。そして、ノートに書き出した。

わたしが聞いたから、彼はそう答えてくれた。

聞かなかったら、ずっとわたしは知らなかった。

わたしは、彼の助けが必要だった。

さらに、どんな趣味を持っているの?と聞いた。

SEはプログラムを自分で書くから、きっとロジカルを好むのだと予想していた。

でも、彼は意外な趣味のことを話してくれました。


僕は、家に帰ると、日に何本も映画を見ます。

そして、見た感想というか考察を短く書いてSNSに上げています。

もうずーっと続けています。僕は昔から編集が好きなんです。

映画をどう編集して見せるのか、それぞれの記事をどういう順番で、どこをもっとも手厚く書くかを考えます。

僕は、写真でも曲でもなんでも、そんなふうに大量に編集し溜めています。

僕は、編集が好きなんだなぁ・・・と、自分で納得した。


花ちゃんは論理的で、ひらめきもある。

でも、自らアイデアを提案して、わたしのようにガリガリ実行するというタイプではなかったのです。

他者の意見には鋭い分析を差し挟む。でも、実行は苦手のよう。

わたしからすれば、評論家に近い性格かなと思っていた。でも、彼は違った。

彼はすぐれた編集者になる素養を持っていた。

編集者に実行者や従順を押し付けては、彼が死んでしまうとわたしは気が付いた。


やがて月日が経ち、ある日、花ちゃんがずいぶんお世話になりましたと転職することを告げた。

わたしたちは、かなり驚いた。

花ちゃんがずっと居てくれるものだと思っていた。”仲間”だと思っていた。

でも、彼はわたしたちに頑張って付き合い、無理してきたのでしょう。

わたしたちは、無法地帯を切り開く実行部隊だった。


帰国してから、アメリカ側との調整をしながら自分で気が付いたのだと思う。

僕は、より編集に近い仕事に就きたいっ!

単に会社が傾いて来ただけが理由だったとは思えないのです。

それは、自分を書き出すというノートを続け、映像編集を繰り返しながら、至った結論だったと思う。

辛い想いや苦しい想いを経たから、彼はほんとの自分を受け入れたのだと思う。

今後も職を転々とするかもしれないけれど、ジグソーパズルがぴたっと合うまで探すと思います。

自分の中をよく見た人は、曖昧にはできなくなる。もう誤魔化せなくなるでしょう。



最後の日。

懐かしいなぁと言うかのよう、横浜港にそびえる自社を彼は見上げました。

初めてこのビルに来た日。

それはわたしたちと新しい事業を一緒にするんだと、アメリカでの屈辱を振り払おうと意を決した日だったと思う。

元気にしてるでしょうか?

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