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「共振する知性を求めて」 書評:『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』今福龍太/みすず書房

 ChatGPTという大規模言語モデルによる対話型AIが世界中で論争を呼んでいる。Web空間上のあらゆる知識を学習したChatGPTは、どんな質問にももっともらしい答えを出す。その答えはまだ完璧からは程遠いものの、人々に「シンギュラリティ」という言葉を思い出させるには十分だ。人類は更なる進歩を目指してこれの活用を図るべきか、それとも直ちに開発を禁止すべきか。
 本書の著者今福龍太なら、そんな心配をする暇があったら、本書『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』を片手に、近くの森を歩いてみなさい、と言うだろう。なぜなら、人間にとって重要なのはネット上の無機質な「知識」の寄せ集めではなく、精神が大自然の野生と交わり合ってはじめて受粉し実を結ぶ「知性」という名の果実なのだから。
 本書は、文化人類学者としてメキシコ、キューバ、ブラジルを自らの足で逍遥し、現在は奄美群島において巡礼型の野外学舎「奄美自由大学」を主宰する今福が、19世紀のアメリカ、マサチューセッツ州にあるウォールデン湖畔に自ら建てた小屋で自給自足し、毎日森の中を何時間も歩きながら思索を深めた先達、ヘンリー・ソローの思想を、残された数少ない著作と膨大な日記を丁寧に読み解くことで伝え、真の知性とは何かとわれわれに問いかける。
 ソローは、「理性だけでできた散文的人間は、不毛で、実を結ばない雄花である。詩人こそが受精能力のある完全な花である」と日記に書いた。今福はこれを、「当時台頭し始めた資本主義的イデオロギーに汚染され、詩的想像力を枯渇させ、合理のみを旗印に商売と儲けに走り始めた同時代人に向けての手厳しい批判だ」と読み解く。さらにソローは、「森羅万象のなかに表明された「意志」を詩的想像力で感じ取ることで、自分の意志をだれか他のものの意志に譲り渡すことのない自立した人間になれる」と考えた。そして、「自立した人間であれば、ある閉ざされた特定の社会に属する「市民的な」自由意志という、借り物に過ぎないものを絶対的価値として信奉することなく、”より高次の法”に則って生きられるはずだ」と。
 実はソローは1846年、29歳の頃、人頭税の不払いを理由に投獄されたことがある。それは、奴隷制による黒人奴隷への搾取と差別が絶頂を迎え、さらにメキシコへ一方的な侵略戦争を仕掛けるアメリカ国家が掲げる「正義」への、”より高次の法”に従った抵抗の意思表示だった。ソローは「統治することの最も少ない政府こそが最良の政府」をモットーに、「人間はおのれの良心をこそ社会的生存の根拠とし、それを不断に鍛え続けることで、最も正しい社会参加が可能になる」と信じていた。
 ソローは、私たちが到達できる最高知とは「知識」ではなく「知性との共振」であると説いた。彼が日々森を散歩し続けたのは、仕事について思索するためでも、市民としての義務について考えるためでも、ましてや社会からの逃避でもない。野生と交わることで「正気をとりもどすため」にこそ行われていたのだった。
 先日、我が国の経済産業相が、chatGPTの国会答弁などでの活用を検討するとした発言には耳を疑った。そんな国会、それを取り仕切る政府などもう必要ないのではないか。今福は、「知識という実利的な価値への度を過ぎた依存は、結果として法や規則による画一的な支配を無意識的に生み出す」と指摘する。現代に生きるわれわれこそ、時にはスマホを捨て、社会の束縛から離れて、自らが共振できる知性の芽を探しに、森の学舎へと出掛けてみるべきではないか。

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