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「時の流れに」

子供の頃は、この目の前の長くて退屈な時間が永遠に終わらないんじゃないかと、早く大人になりたくて仕方がなかった。逆に大人になればなったで、今度は慌ただしく過ぎてゆく月日に翻弄されることになる。思い直してみれば時間というのは、いつも余ったり足りなかったりするばかりで、自分にとって丁度よい時の流れの中に身を置いたためしがない。

時間の流れについてニ種類の考え方があるのだと、とある有名な元大学教授が仰っていた。一つは時間軸を未来に向かって自らが進んでいるという考え方。例えば「明日に向かって歩いて行こう。」というのが、それに基づいた言い回しで、現代人のほとんどがこの考え方なのではなかろうか。かくいう僕もその内の一人だ。もう一方は、時間は大きな河の流れのようなもので、本人はその流れの中に身を置いて止まり、未来はどこからかやってきて、やがて過ぎ去ってゆくという考え方。「未来」「過去」という熟語の成り立ちを見れば、その考え方が日本古来のものだと推測できる。つまり時間軸を主観で捉えるか、客観で捉えるかの違いがポイントだろう。

さらに突き詰めて考えれば、時間なんて人間の都合で考え出されたのもで、観念的なものでしかないのだが、これから先の人生をより豊かなものにするために、日本古来の考え方を見直す必要があるのかもしれない。と、昔の写真を整理しながら、そんな思いが頭をかすめた。

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