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病棟内の人生

前回も書いたけど、私が入院した時はコロナまっさかり。入院中はお見舞いや面会も禁止、院内のコンビニに行けるのは外来患者がいなくなる夜だけ…という制限がありました。

夜、運動不足を解消がてらコンビニ目指して移動していると、いろんな人に会います。そんな状況で出会うのは、当然ながら医療関係者か患者だけ。ある意味、特異?な環境で、いろんなことを思いました。

病棟内の人生。
 
みんな、それぞれの人生がある。それぞれの個性がある。それぞれの病気を抱え、それぞれの将来に不安を抱く。わかりあえそうでわかりあえない、支えあいたいけど支えきれない…
 
夜、病院内を徘徊する人。点滴スタンドが手放せない人、松葉づえをついてる人、車いすに乗る人、外見からは一見、何の病気かわからない人(私もそう)。年齢も性別も背格好もばらばら。
 
院内のカフェで2時間以上、机に突っ伏していた若い女性。明るい茶色に染めた髪の毛がおしゃれではやりの服が似合いそうなスタイル。だけど、周囲にさまざまな人が行き交うカフェで2時間以上も机に頭をうずめたまま起き上がれないなんて、どんな心境なんだろう(もしかしたら、単に前夜に眠れなかっただけかもしれないけど)
 
いつも食後に、病棟フロアで歩行訓練をしているおじいちゃん。点滴スタンドにエコバッグをぶら下げ、廊下の端から端まで行っては戻り、また歩き出す。ゆっくりとゆっくりと、また一歩ずつ。どんな家族が待っていて、どんな思いで一歩を踏みしめているんだろう。どんな未来のために、訓練を重ねているんだろう。
 
いつ会っても、常に忙しそうにノートブックをたたく人もいる。点滴スタンドをかたわらに、一心不乱に画面と向き合う。パジャマ姿でなければ、まるでオフィスにいるみたい。見つめているのは、没頭したいのは、仕事?それとも、この時間を忘れさせてくれる別の何かだろうか。
 
同室だった、抗がん剤の治療で入院していた85歳の女性。カーテン越しに看護師さんとのおしゃべりがよく聞こえてきた。退院が近づくと「私、忙しいの。帰ったら買い物、料理、洗濯に掃除。庭の草むしりもしないといけないのよ」と、早口でしゃべりまくる。大変な治療の後なのに、家事や草むしりなんてちょっとほうっておいても、誰かに代わってもらってもよいのにな、と思うけど、それでも「日常」に戻れることがうれしくてたまらないんだろうな、と思う。
 
向かいのベッドには、イラストを描くお仕事なのか消灯後も深夜までいそしんでいたお姉さん。副作用も多い投薬治療をしているのに、不平不満も愚痴も言わず医師や看護師さんにいつも腰が低い姿勢だった。
 
みんな、さまざまな事情を抱えている。それでも一時、この場所に集い、それぞれができる最大限のことをする。なんとか早く元気になりたい、と願いながら。自分の身体はひとつしかないから。最大限、大事にしてあげるられるのは自分だけだから。

 

いろんな人生が一時、同じ場所で交錯する



毎日限られた範囲しか行動できず、限られた人としか会えない状況にいると、本当にさまざまなことを考える。気分のアップダウンも激しい。

でも、こんな風に考えられる機会があることはありがたくも思う。

生まれてきてよかった、生きてきてよかった。ダウンサイドのときに支えてくれる人たちがいてくれることに感謝。私がどんなぐちゃぐちゃになっても、どんなわがままを言っても、変わらず接してくれる人たちに感謝。
 
ありふれた日常は、当たり前に存在するものではない。一瞬一瞬が貴重でかけがえのないものだ。

そのことを改めて胸に叩き込み、また明日からがんばろう。
 

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