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俳句の時間 2022.01.30

春が半月早いなんて気のせいだった、というくらい寒い。防寒のための腿までのたっぷりしたセーターを着ると、目下つかまり立ちに夢中な甥っ子がいい具合につかまって立っている。私が椅子に座っているときに抱っこしたのを降りようとして、セーターの裾まで滑り降りていったところで豊かな裾に捕獲されてしまい、時にハンモック状態でぶら下がっている。おもろ。

今朝は母に市内の比較的大きな書店に連れて行ってもらった。最近は日本の小説はまったく受け付けず、家出のときにとっさに手にして新幹線で読んだハリポタの賢者の石の原書をちまちまと読み終えてからは、一緒に持ってきたAmy TanのTHE JOY LUCK CLUBを読み返している。英語は大丈夫で、母国語はダメというのは一体なんだろう。母国語は読めすぎてしまうからかもしれない。暗いものを読めば激しく落ち込み、明るいものを読んでも現実に傷つく。案の定、平積みの日本の小説のタイトルを見ただけで拒否反応が出る。エッセイは言うに及ばず。

期待していなかったが、やっぱり組長の新句集「鶴」はなかった。県庁所在地の書店でなかったら今度こそネットで頼もうと思う。

食指が動いたのは谷川俊太郎詩集「モーツァルトを聴く人」と長谷川櫂「四季のうた 美しい日々」。いずれもこの新年に出た文庫版。あとは料理のレシピ本、星野奈々子「ワンパターン買いが平日晩ごはんをラクにする」。このタイトル、いまだ現役で働く忙しい主婦(母)と、カタカナ・漢字・平仮名の配合の絶妙さで俳句を作る人(一応ワタシ)の心をがっちりつかんでくれた。昼食後にレシピに書いてある便利な買い置き食材を買いに行ったら、組長のyoutube句会ライブをすっかり忘れていた。

忘れていた、というよりは、今は明るいあの場にうかつに行けないのだ。優れた俳句の中にたまに死だとかなんだとか平気で出てくるので、「てめえ、ほんたうに死なれるつてことがわかるつてのか?」と脳内が喧嘩っ早くなり、やはり疲れてしまうからだ。プレバトすらたまに辛い。

鳰首をすくめて浮かぶ湯殿川  要

いくら川の名前が湯殿だろうと、寒さ極まれば、潜るのが本性の鳰だってこんな調子なのだ。オンラインでもリアルでも、今の私はまだ人の多い所へ行けない。


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