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俳句の時間 2021.12.30

9年ぶりに故郷の冬を満喫しているが、あまりに何もしていないというか、食客に甘んじてばかりもいられないので、生家の仏間の大掃除を手伝ってきたのは昨日の午後のことだ。神棚の掃除は、子供のころの大みそかの定番お手伝いだった。

昼寝して30分ほどだったという父をたたき起こし、神棚の掃除をさせる。私が言うと父が動いてくれると母が言う。まるで私が父親にかわいがられている孝行者のように思われるかもしれないが、これでも30年ほど前は鬼か蛇かのように大嫌いな父だった。変わったのは大学進学後だ。上京したてのころ、父が出張のたびに下宿に逗留していた。ある晩、布団の中でもうすぐ寝入るというときに、隣で寝ていた父が私の手をぎゅっと握ってきたことがあって、こんな邪険な娘でも父はかわいいと思ってくれているんだなと嬉しく思った。上京して少し、親の苦労が分かったころだった。父は私が眠っていると思ってのことだろうし、私がこんなことを覚えているなんて、夢にも思っていないだろう。

榊の花瓶、木枠のガラス戸、神鏡や釣り灯籠やお神酒の徳利、ミニチュアのお社などが、脚立に上った父からどんどん手渡され、それを片っ端から拭いていく。昔手伝ったときにあったお社は数年前に新しいものに代えられていて、どこで買ったのか聞いたらホームセンターだという。そんなもんまであるのか、とかなり認識を改めた。そういえば神棚のしめ縄もホームセンターで買ったとか。大人になってから実家で正月を過ごす機会が少なかったから、準備もなにもかも浦島太郎。父と妹たちと神棚掃除を毎年していたことは幼少期における比較的よい思い出だが、こんなに更新されていたとは。近年では小中高の姪っ子甥っ子たちが良い戦力で、本家仏間を盆暮れに片づけてくれていたらしい。彼らにとっても大掃除がよい思い出になる日が来るんだろう。

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神棚掃除が終わってしまうと、浦島太郎の私はあっという間に手持ち無沙汰になり、仏壇にはたきをかけたり、触ったら嫁に行けなくなると脅された屏風や火鉢、茶箪笥なんかを懐かしく眺め、次いで庭に目をやった。

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狭いがいい庭だったのだ。早くに亡くなった祖父がいろいろこだわったらしい。池に一枚の石で橋がかけられていたり、結構大きめの庭石が据えられていたり。昔はこの庭のうえに、冬は雪囲いとして屋根がかけられた。屋根に積もった雪の明かりで、二階は夜でも明るかった。暖冬といわれ始めてから、屋根までかけるような雪囲いはもうしなくなったが、小さなころ、一度はそこで駆け回りたいと思っていた(させてもらえなかった、もちろん)。

さて、その庭の池といえば、鯉に餌をやってるときに確か2回くらい落っこちたのではないかと思う。今はもう落っこちるような子供も鯉もいなくて、秋に落ちた楓の葉がくすんだ暖色で沈んでいた。一昨日(28日)までの寒波で水面がシャーベット状だ。初氷だったなと、なんとなく写真を撮っておいた。
本日30日の季語を確認したら初氷。これは神様が仏間の掃除のご褒美に見せておいてくれたのに違いない。どう作ろうかなあ。考えあぐねているところに母が買ってきたどら焼きが目についた。初氷って名前の和菓子があったよね、なんて話していると、伯父が金平饅頭を持ってきてくれた。金平饅頭の外袋には最中という字があった。

最中来てどら焼きも来て初氷  要

冗談みたいな一句。神様のご褒美に報いるためにも、もう少しましな句を考えようか。

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