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偏愛・FMW【エンタメプロレス期】1999年

むちゃくちゃ更新に間が空きました。FMWサンプリングコラムを続けます。

前回は98年をまとめてみたので今回は翌年の99年です。今回同様に全ての興行を羅列しているわけではないのですが、書き上げてみて「あれもあったなぁ」「これもあったなぁ」と書き足りていない部分に不甲斐なさを感じるばかりです。しかし性懲りもなくやってみますので生暖かく見守っていただけますと幸いです。
書きそびれた中でも、1998年2月18日に旗揚げしたアルシオンもディレクTVと独占放映契約を結んでいたことはここで触れておきたいところです。ファッションブランドのタイアップや各国からの名レスラーの参戦、浜田文子ら期待の新人の入団など華々しいスタートをきり、当時の話題を集めていました。

さて1999年、聖飢魔Ⅱが地球制服を完了し、解散黒ミサを行った年として高名です。
聖飢魔Ⅱも好きですが、より強く推しているソニー三大色物バンドの一角である米米CLUB(あと一つは爆風スランプ)、パソコン音楽クラブ、ぷにぷに電機など、なぜ私が好きなアーティストは総じて可笑しく名乗るのでしょうか。いや名前や語感で選んでいるわけではないんですけども。ちなみにパソコン音楽クラブの公式サイトは一見の価値アリです。
この年のヒット曲で辿ると「だんご3兄弟(速水けんたろう・茂森あゆみ・他)」がシングルで一位、なによりマジヤバかったのが宇多田ヒカルのアルバム「First Love」でしょうか。全世界売上だと1,000万枚に迫る出荷数らしいです。閉口するほかありません。

聴いて調子良くしといてください。99年は「Never Let Go」ぐらいですけど、この日のためのカバーである「traveling(PJG "Just Do It" 90s Rework)」(John Gastro)とか最高ですよね。90年代を駆け抜けていくような一曲なので今テーマソングじゃないですけど、かけておくのもいいかなと。00年代幕開けの象徴であるヒッキーで90年代の終焉を感じるってのもいいじゃないですか。ねぇ。21:31ほどから。

あとはノストラダムスが大噓つきだと判明したぐらいでしょうか。この年の日本の総人口は1.266億人だとか。こんだけ数いればノストラダムスを(正確には勝手に解釈して流布したバカの言い分を)信じて、全財産使いこんだり恐怖におののいたりラジバンダリな人もいたことでしょう。そういう人のその後の人生ってどうなったんでしょうか。非常に気になりません。ちびまる子ちゃんやこち亀にそんな描写があったことを思い出します(まる子は予言を信じ勉強を一切やめる)(同じく信じた両津勘吉はどうせ2000年はこないからと借金しまくる)。

2000年問題も話題を呼びました。1999から2000になるとコンピューターが誤作動を起こすとされ、Year、2Kiro、つまりY2K問題とか言われまして、これを文字ってジェリコのY2Jとなるわけですね。

本題

FMWエンタメ期の最盛期といっていいのが99年です。なので今回もかなり長いです。11.23横アリという大きな興行に向けてスクラップ&ビルドを試みます。
そして後々に繋がるDDTのエンタメ路線参入や、大日本プロレスのデスマッチ新世代への本格移行もこの年です。

まずプロレス界では、猪木なき新日本プロレスのイッテンヨンから。東京ドームで大仁田vs健介が行われます。大仁田はこれが新日本初参戦。
言ってみれば一人でエンタメ・プロレスが完結できてしまう明星・大仁田が単身乗り込んで大旋風を巻き起こし、いわゆる「大仁田劇場」は新日本プロレス史に色濃く刻まれる作品になっていきます。
当時のワールドプロレスリングはテレ朝・真鍋由アナウンサーと大仁田との関係性を追う大河ドラマみたいになってました。その模様は「ワールドプロレスリング 実況アナウンサー2大受難史 〜飯塚vs野上 大仁田vs真鍋〜」でまさかのソフト化されています。ちなみにジャケットデザインは私がやらせていただきました。光栄です。

話を戻して。こうして再考しますと、地上波レベルで一つの番組を成立させてしまうほどのエンターテインメント性を大仁田が一人で持っていたことはれっきとした事実ではないでしょうか。レベチ。
ちなみに大仁田はこの年、自主興行も行います。今回は全ての団体、プロモーションを同時系列にブチ込みます。プロレスのいわゆるエンタメ化に強く関係する事項や、後々にFMWと絡む事項、ほか大きな出来事やまるで関連ないっぽい事項も織り交ぜつつ、99年にタイムスリップしていきたいと思います。
キッチリしているようで所詮は個人の拙文です。くれぐれもお手柔らかに。

1999年のFMW

さぁ我らがFMWは1月5日の後楽園からスタート。
前回98年のコラムの最後に触れたECWで活躍を残した田中が凱旋。中川を新たな代名詞技・ダイヤモンドダストで秒殺します。
シングルトーナメント「オーバー・ザ・トップ」決勝は雁之助が、勢いに乗る大矢を下して優勝。試合後に田中を呼び出すも金村が襲撃し、それを保坂が救出し、冬木、大矢、ハヤブサらも介入してのっけから大混乱。
興行のラストは黒田がハヤブサからマイクを奪い、台頭を宣言。田中が黒田に共闘を呼び掛けるも拒否するというエンディングでした。

1月6日冬木軍後楽園。メインは冬木が大矢を迎え撃った二冠戦。大矢のお株を奪うグラウンド卍固めで冬木が初防衛に成功。試合後、冬木軍興行の終了を宣言。
邪道と伊藤豪がTNRを離脱し、FMW機構入り。

1月9日FMW千葉。金村vs黒田で雁之助が乱入しノーコンテスト。
田中vs吾作のシングル。わずか4分6秒で吾作が沈む。吾作は自ら放ったダイビングヘッドで負傷してしまう。田中は「全然あかん。やる気ないんやったらFMW辞めてください」と苦言を呈す。
メインはハヤブサとレザーのシングル、ファイヤーバードでハヤブサ勝利。

FMW統一機構最強タッグリーグ戦の開催を発表。ハヤブサのパートナーはもちろん人生、と言いたいところですが、スケジュールNGで宙に浮いてしまいます。
ハヤブサ&人生は全日本プロレスへのスポット参戦を継続していて、1月16日に多聞&泉田が持つアジアタッグに挑戦するも敗北。
リーグ戦の優勝者には空位のブラスナックルタッグ王座に認定されるとのこと。

1月31日、プロレス界の巨星、ジャイアント馬場が死去。61歳だった。

混迷の全日本プロレス2月13日後楽園で、アジアタッグの再戦が行われ、ハヤブサ&人生が見事勝利し、初となる他団体選手の戴冠となりました。やや門出を開き始めた全日本プロレスとはいえ、当然現代よりも団体間のハードルは高く、ましてや鎖国とまで呼ばれた全日のベルトをヨソの選手が巻いたのは快挙といっていいでしょう。

2月14日新日本プロレス武道館。マサ斎藤がスコット・ノートン相手に引退試合。

2月16日FMW大阪。田中がハヤブサに挑戦を表明。
2月18日FMW広島。池田大輔が離反し、ハヤブサとの関係を拒絶。パートナー不在問題が解決しない。
2月21日FMW博多。モハメド・ヨネ&臼田勝美が参戦し、格闘探偵団バトラーツとの対抗戦の機運が高まる。

2月21日RINGS横浜アリーナ大会で前田日明がアレクサンダー・カレリン戦を最後に引退。

2月27日FMW後楽園。ハヤブサは大矢とのタッグも、大矢がバックドロップで造反し、雁之助&保坂と結託する。孤立無援のハヤブサを救出したのは意外にも冬木。冬木が歩み寄る形でタッグ結成が決定。
田中と黒田のシングルがメイン。熱戦を制した田中が改めて黒田に共闘を呼びかけ、一度は背中を見せた黒田だったが、佐々木嘉則の説得により承諾し、リーグ戦のエントリーとアジアタッグへの挑戦も表明。

2月28日黒田イベント三鷹スタジオアイ。黒田哲広のトークライブイベント。
以下のサイトに尋常じゃないぐらい詳細なレポートが書いてありましたので参照してください。日武会のボードのくだりとか正に最高です。おそらくこのnoteを最後まで読めるぐらい、プロレスという治らない風邪をひいている読者ならば一旦こちらを離脱して時間を割くべきかと思います。

※ネット黎明期に作成されて浮遊しているサイトだと思いますので早くしないと消える可能性・大です。

2月某日SHAZNA。IZAMUが吉川ひなのと結婚。

3月6日全日本プロレス武道館。ベイダーが田上明を下し三冠王座を戴冠。これでIWGP、三冠の両メジャータイトルを制覇したことに。
現役引退、取締役辞任を表明していたジャンボ鶴田の引退セレモニーが行われる。

3月19日FMW札幌。中山がこの大会を境にOzアカデミーへ留学。
アジアタッグの防衛戦がFMWマットで行われ、王者が防衛。もちろん他団体での選手権はこれが初。
雁之助が冬木のシングル王座に挑戦。ラフファイト合戦の末、冬木が防衛。
タッグリーグにアルマゲドン1・2号の参戦が決定。バトラーツからは池田&ヨネがエントリー。ハヤブサ&冬木、雁之助&大矢、田中&黒田がリーグ戦の主軸に。

各所で始動するエンタメプロレス

3月21日川崎EWF「レッスルマニアック」。団体ではなくプロジェクト・チームとされる。この日が初回イベントで、メインでロイヤルランブルをパロった時間差式バトルロイヤル「ロイヤルランボー~怒りの脱出~」が行われた。
ストーン・コールド・スティーブ・オースチンに成りきった高木三四郎はもちろん、MCで観客を惹きつけるレッスル夢ファクトリーの加藤茂郎、4年ぶりにサプライズ復活したツボ原人、組員を引き連れダーティーなファイトで高木を追い詰める二瓶組長など、この時点でエンタメ要素を自分のものにできていたレスラーがズラリ。

3月29日FMW後楽園。公式戦ハヤブサ&冬木vs田中&黒田は時間切れ引き分け。

3月29日埼玉プロレスが旗揚げ。サバイバル飛田vs原始猿人ヴァーゴンという衝撃。

3月31日アルシオンでリング禍が発生。その影響か、ディレクTVによるアルシオン中継は打ち切りに。

4月10日新日本プロレス東京ドーム。第0試合で蝶野正洋vs大仁田厚。大仁田が電流爆破を新日本に初めて持ち込んだ。

4月20日FMW後楽園。バトラーツの御大・石川雄規が登場、非道を絞め上げる。
外道クラッチ炸裂で外道&中川が優勝候補の一角である田中&黒田に勝利。
冬木はこの日「俺とハヤブサが組んだらIWGPだろうが世界タッグだろうがすぐ獲れる」と豪語。二冠防衛戦についてはハヤブサを待つ構え。

4月22日、闘龍門JAPANが設立。既に闘龍門は1.31後楽園でメキシコから逆上陸興行を打っており、これで本格的に団体として運営されていった。ゆくゆくDRAGON GATEと改称され、現在も歴史は続く。
ドラゴン・キッドや新井健一郎、ミラノコレクションA.TなどFMWにゆかりのある選手が在籍し、ハヤブサをゲスト解説招くなど後年の交流が深い。ドラゲーのエンディングテーマは「カーテンコール」というハヤブサの楽曲を使用。

4月29日、大阪プロレスがなみはやドームで旗揚げ戦。

5月2日全日本プロレス東京ドーム。「ジャイアント馬場引退記念興行」と銘打たれた。6万5000人の大観衆。
FMWから中川、金村、外道、ハヤブサが参戦。
中川、金村、外道はスミス、本田、渕と対戦。ハヤブサはサスケ、タイガーと組んで小川、モスマン、垣原と対戦。

5月3日FMW愛知。雁之助と池田が火花を散らす。
リーグ戦の決勝は田中が冬木を下し、田中&黒田が優勝及び20代王者に。
ハヤブサと冬木は仲間割れ。

これぞ理不尽大王!暴動を呼んだ5.5

5月5日FMW文体。FMW創立10周年記念第一弾のビッグマッチ。
OPで選手一同が舞台上に横並び、中央の荒井社長が挨拶で「本当の意味での新生FMWに生まれ変わる所存」と宣言。
数少ない邪道vs外道のシングルマッチがラインナップ。
中山がOz勢と組み、GAEA勢との6人タッグマッチで結果を残す。
全日本プロレスから森嶋猛が参戦し、同じく若手の佐々木嘉則とシングルマッチ。メジャーとインディーの格差を感じることのない対等な試合に。最後は森嶋がスクラップバスターで勝利。ちなみに全日本プロレス所属の選手が日本テレビ以外の試合中継で放送されるのはこれが初めて。
インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビーのベルトがFMW認定ジュニアヘビー級王座の名称に生まれ変わり復活、田中稔がリッキーを下し初代王者に。しかし冬木はジュニア路線を不要とし、後のインタビューでは「(ベルトは)田中にくれてやる」とした。
セミ前ではFMWvs全日本プロレスと銘打たれた中川vs菊地毅が。
セミはFMWvsバトラーツの対抗戦10人タッグイリミネーションマッチ、大矢と石川の猪木イズム対決。解説席に島田裕二が? 対抗戦はバトラーツ勢の勝利。続きは5.14札幌バトラーツ興行にてハヤブサ&黒田の出陣が決定。
勝者が冬木への挑戦権を与えられるハヤブサ&人生vs田中&黒田で、黒田がハヤブサに勝利、遂にビッグマッチのシングルメイン戦へ。
メイン。冬木のセコンドにTNR勢がズラリ。冬木の真骨頂ともいえる理不尽な試合運び。乱入、凶器攻撃のオンパレードで黒田は血だるま。更に伊藤豪も不公平なレフェリングでTNRが完全復活。
生放送はメインの途中で終了。
結果は冬木が3度目の防衛に成功。すぐにハヤブサが乱入するもTNRが蹂躙、納得がいかない観客はリング上に物を投げ込み暴動に発展。
冬木がコミッショナー代行宣言。ブッキング、マッチメイクも全て手中に。統一機構も撤廃、ベルト一新にも言及。
田中が入ってくると冬木はすぐに退散、ハヤブサが乱心気味に叫び続け、混乱に包まれたまま大会は幕。
今だったらTwitterで声高な人がやいのやいの煩かったことでしょう。過去も現状もぶち壊す。「スクラップ&ビルド」でいうスクラップ色が強かった興行だったと見れます。

プロレスのタフな概念というか、それはヒップホップと限りなく近いなあ、と。“ムチャクチャなその先に見えるもの”というか“破壊のための再生”みたいなものがアリだな、と。

出典 ラッパーD.O、プロレスを語る「プロレスのタフな概念はヒップホップに近い。“破壊のための再生”」

「WWFのようなノリで見てほしい」といいきれる団体があってもいい。そういう時代は必ず来る、と予言する。

出典 週刊プロレスNo.915(宍倉氏のコラム見出し)
プロレスは格闘技じゃなくちゃいけないだとか、したり顔で言うヤツもいるけど、そもそも日本で言うプロレスってのは、アメリカン・プロレスを指すんだよ。そこんとこカン違いしちゃダメ。ハッキリ書いておくぞ。プロレスっていうのは、アメリカン・プロレスのことなんだ。

出典 「理不尽大王の高笑い」冬木弘道

5月7日全日本プロレス。三沢光晴が全日本プロレスの社長に就任。副社長には百田光雄と川田利明。実に三か月の時間を要した人事となった。

5月14日バトラーツ札幌中島体育センター。田中稔vss佐野なおきのFMW認定ジュニアヘビー級王座戦。FMWに参戦経験のない佐野が王者という不思議な状態に。その後、冬木の言葉通りFMWは同王座を放棄したため、名称が再びインディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座となった。
折原昌夫&小野武志vs臼田勝美&山川竜司、土方隆司vs佐々木喜則、ハヤブサ&黒田vsモハメドヨネ&アレクサンダー大塚、石川雄規vs松永光弘の五寸釘デスマッチなどが行われた。

苦境のIWAジャパン、新社長に浅野起州

5月16日IWAジャパン神奈川。ターザン後藤vsミスター・ポーゴのシングル。
社長兼レスラーだった山田圭介が退団を表明。これにより浅野起州が新社長に就任。

Iジャは95年に川崎球場でテリー・ファンクやキャスタス・ジャック、ダン・スバーンなど超豪華なラインナップを実現させ、翌96年には先駆けてECWと業務提携して日本へと呼び寄せた、ハードコア及びデスマッチ史において非常に重要な団体でもあります。レイヴェンvsトミー・ドリーマーとか見れちゃってたんです。
しかし中牧昭二の退団、キニョネスもターザン後藤ら真FMWも撤退し、活動休止に追い込まれますが、ファンの声によって辛うじて存続します。その時、若手選手だった山田が苦境の中で代表を務めることになったわけです。

引き続き苦境が続くIジャですが、浅野体制になると社長自らが身体を張った(ひたすらひどい目に遭う)「二丁目劇場」なるものがコアなファンに響き、他と全く被らないというか被りようのない独自路線をひた走ります。リング内外で話題を呼ぶ闘うオーナーがプロレス界に一人加わりました。

5月18日FMW記者会見。冬木が肩を負傷したため、FMW二冠統一王座が返上及び解体され、世界ブラスナックル王座は金村に、インディペンデント・ワールド・世界ヘビー級王座は雁之助に授与。

5月23日WWFカンザス。オーエン・ハートが演出のアクシデントにより死去。一般マスコミからも激しいバッシングを受けた。

デスマッチ新世代の象徴・山川竜司、デスマッチヘビー初戴冠!

5月30日大日本プロレスJR新川崎駅小倉陸下広場。同じくデスマッチ新世代で括られるシャドウWXは一足早く結果を出していて、レジェンドであるアブドーラ・ザ・ブッチャーを下してデスマッチヘビー級王座を獲得。
この日、大日本版のピープルズ・チャンピオンともいえる山川が初戴冠の期待値をグイグイ上げ切ったところでWXに挑戦し、蛍光灯で深い痛手を負い、ドス黒い血を流しながらも死闘をリバースタイガードライバーで制しました。
「盆と正月がいっぺんにきた騒ぎ」なんて見出しが週プロに躍っていたかと記憶しています。蛍光灯とベルトを高々と掲げ、そのまま救急車に乗り込む姿はオーラビンビンでした。
蛍光灯の初使用は松永光弘ですが、より豪快で無茶な使い方や、スピーディーな試合展開に組み込むなど、使用方法を進化させて定着させたのは間違いなく山川、WX、ウインガー、本間らでした。

FMWがエンタメ路線に踏み切ったことにより、少なからずデスマッチ色が薄れた。そこに大日本が新しいメンツでより独占的にデスマッチの市場を固めた、という見方もできるかと。

リストラ大作戦、スタート

5月31日FMW後楽園。この日より正式に冬木がコミッショナーに就任。スーツ姿で登場すると強権を発動しリストラ選手を発表、田中の名を挙げる。一度でもフォール・ギブアップを奪われたらクビという酷い条件。しかも無期限。これにリッキーが異を唱えるも荒井が厳しい口調で退ける。冬木&荒井体制があらわに。
メインはエニウェアイリミネーション10人タッグ、冬木はスーツのまま試合。とっととギブアップして退場。正規軍がストレート勝ち。非道の弱さが会場ウケを呼ぶ。マイクでは「誰にも真似できない連敗記録を生み出すからな!」と絶叫。
ハヤブサが田中&黒田に明確な共闘を呼びかけ、これにこたえる二人。ベビーとヒールが分かりやすくなっていく。

「エンタメ路線こそ生きる道」1999年のDDT

ここでようやく高木三四郎率いるDDTに言及できます。
この頃よりDDTはプロジェクター(スクリーン)を導入し、事の顛末を編集されたビデオで紹介する手法を開始します。
97年旗揚げ直後はバチバチスタイルだったDDTだったが、とあるファンがストンコとビンスの抗争劇のビデオを高木に差し入れし、それをきっかけにバックステージを会場に映し出す手法を取り入れる等して路線を変え始めた、とされます。
プロジェクター導入前より、ネオ・レディースの篠泰樹代表がDDTを買収にかかるなど映像以外では既に足を踏み入れていました。
そして元気美佐恵やシャーク土屋絡みのカードでは前提として「明らかに女子の方が強い」という価値観のカード、WWFのチャイナ的な要素も早くから見られています。

ある程度資本のあるFMWとは対照的に、DDTは今日まで続く優れた発想力を武器に持ち徐々に人気を集めます。この時点ではまだ交流はありませんが、いわゆる「エンターテインメント路線」と言われる方向性に踏み切ったのはFMWとほぼ同時期ということが分かります。生き残るために思い切って新たな道を選んだ点ではIWAジャパンとも同じですし、時期も近いのだなとまとめながら気づきました。

その当時、新日本さんも全日本さんも、どこもやってなかったことです。FMWさんが唯一、そういうのをやろうとしていました。ただ、僕からすると、向こうのエンタメをそのまんまやろうとしていたせいか、日本人の志向にマッチしてない。僕はそうじゃなくて、テレビのバラエティを、そのままプロレスでやったほうがいいだろうと思ったんです。

出典 「俺たち文化系プロレス DDT」高木三四郎

その言葉通りに何よりも高木三四郎というレスラーが、毎週楽しみにしているテレビ番組のように「次も観たい!」と思わせてくれる表現力の怪物なのが成功の要因かも知れません。加えて既にイベントプロデューサーの才能と実績は学生時代に証明されていたようなもの。

時系列は前後しますがDDTだけではなく高木が出場するEWFやネオレディースでもスキットやビデオ使用が見られるようになってきます。

やっと半年経ったところですが、マジで初期衝動が多くてまとめきれる自信がありません。あちこちで礎が築かれています。
兎にも角にもこの年は大仁田、冬木、三沢、小鹿、高木(趣向が全日派)…と巨星の系譜が亡き後に目まぐるしく躍動します。そして黒田、高木、飛田、二瓶、森谷と元PWC勢の活躍も見逃せない。
ちなみにポイズン澤田はしばらくリングから遠ざかっていましたが、この年6月のミスター空中追悼興行で復帰し、7.4EWFのランブル戦を経てDDTを主戦場としていきます。この時はまだみさえちゃんこと元気美佐恵に圧倒される立ち位置でした。

ドッグフード、女子部復活、セクシー女優、さよならハヤブサ、植毛、演歌歌手、お化け屋敷…もう何が何だかの大動乱!

6月2日FMW葛西臨海公園。正規軍が合同合宿を。冬木に「敗者ドッグフードマッチ」を要求する。

6月4日全日本プロレス札幌。ハヤブサ&人生がノーフィアーに敗北し、アジアタッグ王座陥落。

6月11日FMW記者会見。冬木は正規軍の要求を飲み、固形ドッグフードを逆提案。
3月にIジャを退団した元川恵美がFMWに入団し、女子部の復活を掲げる。
セクシー女優・若菜瀬奈のマネージャー就任も発表。

6月15日FMW後楽園。ハヤブサのマスクを脱ぐ提案について荒井が言及、社として了解。冬木は「スター気取りのマスクマンは、これからのFMWには必要ないんだ」と江崎に戻ることを命令し、続けて「夏休みが終わるまで待ってやる」などと一方的に決定。8.25札幌でハヤブサはマスクを脱ぐことが決定してしまう。そのシリーズ名は「さよならハヤブサシリーズ」に。憤慨するハヤブサだが、ヘビー級の身体で飛び続けたボロボロの肉体を考慮し、これを受け入れることに。
若菜は市原のマネージャーに就任。連れてきた冬木は若菜の股間蹴りを喰らい、墓穴を掘る結果に。邪道が若菜に迫るもフラれてしまう。
トゥナイト2スペシャルとしてミルキー香里が登場。着用していたブルマは荒井社長がブルセラショップで購入したという。時代!
中川&外道が持つブラスナックルタッグ選手権に、サブゥー&レザーが挑戦も仲間割れ。
メインではTNRが敗北し、冬木がドッグフードを食べるも吐き出し、固形のドッグフードをまき散らす混沌とした結末に。
田中が冬木に対戦要求。ハヤブサと荒井の公開討論も話は平行線。

6月16日FMW千葉。さよならハヤブサシリーズ開幕。
冬木は負傷欠場の南条隼人の穴を田中で埋め、一日二試合を強要。
サブゥーとレザーがまたもモメる。

6月20日FMW千葉。正規軍vsTNRのサバイバルイリミネーション10人タッグ。勝者も敗者も退場となるこの新ルールはファン公募によるもの。

6月20日大日本プロレス札幌テイセン。王者・山川に本間が初挑戦。敗れはしたものの、スワンダイブ式の蛍光灯殴打(剣道でいう面)などアイテムを使った攻防に立体感をプラス。

6月24日新日本プロレス。坂口征二が社長から会長に、新社長には藤波辰爾が。

7月2日FMW記者会見。冬木が杵で破壊した田中の剥離骨折したレントゲン写真を公開。田中の欠場を認めず、もし欠場したらリストラに。
冬木は大矢にも言及。半端なハゲを許せないとして植毛を勧告。ただし希望していた演歌での入場を実現へ。

7月12日埼玉プロレス。ファン感謝デーで「サバイバル飛田グラフィティー」のビデオ上映が。

7月31日FMW後楽園。ハヤブサ自身がマスクを脱ぐことを宣言。邪道がしつこく瀬奈に迫る。
大矢が演歌歌手の谷本知美を連れ「女の大将」の生歌と共に入場。植毛と思われた毛はカツラだった! キレイさっぱり剃り切ったスキンヘッド、額に「男」の字には会場バカ受け、冬木あんぐり。後の新宿鮫である大角に勝利。
WEW初代6人タッグ王座決定1DAYトーナメントが開催。ハヤブサ&田中&黒田がレザーアルマゲに勝利すると休みなくそのまま雁之助&金村&邪道戦に。ハヤブサ組はこれにも勝利するがさらに間髪入れず冬木&中川&外道を相手に3連戦。なんちゅう理不尽な。ズタボロのハヤブサ組を冬木組が下し、初代王者&賞金300万をゲット。荒井、薫子も祝いに駆け付けて記念撮影。その後3大会のメインカードを発表。

雁之助vs田中の死闘 in エンタメ路線に後楽園が沸騰!

8月20日FMW後楽園。この日の装いはお化け屋敷仕様。ダークサイドハヤブサの再登場や選手がペイントを施すなどの企画興行。
市原vs邪道の再戦。邪道が勝利したら若菜は邪道のオンナになるか脱ぐかの条件。男性客から圧倒的支持を受ける邪道。ハイアングルのマンハッタンドロップからテキサスクローバーでアッサリ勝利した邪道に変わらぬアツい声援が。水着になったところで「今日はこのぐらいにしといてやる」。若菜との三角関係は続く。
リッキーvs荒井のシングルマッチ、レフェリーは冬木。鳴き声と共に大男が出現し、入れ替え介入を駆使して荒井勝利。
インディヘビー選手権は田中vs雁之助。この試合のレフェリーも冬木だったが、雁之助のラリアットと田中のエルボーにより途中で失神して姉崎サブレフェリーに交代。最後は田中が勝利して後楽園大爆発。死闘とエンタメ要素が見事に融合した成功例か。
田中「いつまで逃げとんのや。もうそろそろお前出てこんかい」冬木「あ~!やってやる!」

8月23日FMW後楽園。雁之助&邪道vs市原&山崎。市原が負けたら若菜は脱ぐ約束を。まんざらでもない山崎がイジられる。邪道がアッサリ勝利するも若菜は二重水着で回避。市原の「今日は最初から勝てると思ってなかったもんね」に一同ズッコケ。これが冒頭にあるから遅刻できないという声もチラホラ。
田中&リッキーvs冬木&荒井。田中が冬木に一騎打ちを迫ると、今日勝利すれば横アリで一騎打ちをと承諾。田中は薫子と手錠で繋がれると戦線離脱。しかし若菜が鍵を奪取してあっという間に形勢逆転、カミカゼで荒井が撃沈し、横アリでの一騎打ちが決定。この敗戦により冬木と荒井の関係が悪化する。
黒田&大矢がWEWタッグ王座を戴冠し(ブラスナックルタッグ王座から改称されそのまま中川&外道が初代王者だった)、FMW後期を代表する名チームに。
ハヤブサ後楽園ラストマッチで金村を退け、ブラスナックル王座を戴冠。セレモニーで著名人が多数駆け付け、冬木も正装で花束を渡す。

深く根を下ろす“ど”インディー

8月23日埼玉プロレス。「お詫び」と書いた貼り紙には交通トラブルによりリング到着が遅れているとある(棒読み)(レフェリーも遅れた)。ということでリングなしのマットプロレスが行われた。
メインは飛田vs木人ケン。200キロ近くあるという木人ケンの打撃に苦しんだ飛田は敗戦。
いわゆる「“ど”インディー」という言葉と階層?的な概念が定着していく。プロレスの進化なのか深化なのか分かりませんが、選択肢が多くなったことは確かです。
どこからを“ど”とするか断定できませんが、この頃の国際プロレスプロモーションは興行数も多く隆盛を誇っていました。各地で話題を振りまく勢いのある選手たちに加え、お馴染みの怪奇派たち、そして鶴見五郎vsミスター・ポーゴとかも見れちゃう充実ぶり(こういう濃い目のカードが古参の同団体ファンの多くに受け入れられたかはわかりませんけど)。

豪華カードと鉄板の熱戦!…も最後は超バッドエンド!

8月25日FMW札幌中島体育センター。この会場でのプロレスは最後の興行となった。
この日も市原は邪道にすぐに負け、嫌がりながらも市原のために脱ごうとする若菜に邪道が根負け。
インディヘビー王座戦で田中vs金村の名勝負数え歌。二階からボディスラムで叩き落すなどのエクストリームマッチに札幌は熱狂、田中が防衛。
ハヤブサラストマッチの相手は同郷同期のライバル・雁之助。フェニックススプラッシュでも決まらない死闘の末、ファルコンアローで勝利。
ハヤブサ引退の10カウントゴング、涙のお別れ。セレモニーの最後は冬木の花束贈呈だが、ここでTNRが一斉に襲い掛かり、コスチュームを切り刻み首輪を付けマスクを剥がし引きずり回す。あまりにも酷い仕打ちに荒井もこれには抵抗するが、遂にはハヤブサのパンツまで切り裂かれる。文体に続く稀に見るバッドエンド。
ハヤブサは素顔で反撃を宣言。ブラスナックル王座はこれにて封印。

ECW on TNNが華々しくスタート…一方で軋轢も?

8月27日。ECWがTNNで放送を開始。全国放送網を持つ局で「ECW on TNN(ECW WRESTLING)」という番組が始まり注目度も加速。しかし最大の売りである過激さが仇となったのか当初の要望であった3年契約は破棄され、映像表現や発言も厳しく規制された。放送基準に合わせた中継設備など、経費の高騰も起こってしまう。
ポールEとTNNとの衝突は開始直後からあったとされる。

H登場!ハヤブサ登場!?
マイク・アッサムがECWの頂点に&タズが移籍

8月27日FMW旭川。Hが初お披露目、Hエッジで邪道、非道、金村、冬木を完封。

8月28日新日本プロレス神宮球場。グレート・ムタvsグレート・ニタが電流地雷爆破ダブルヘルデスマッチ戦。
佐々木健介vs高田延彦が、高田サイド曰く「交渉決裂」により中止。

9月2日WWF「SMACKDOWN」。ECWから移籍したダッドリー・ボーイズが登場。

9月3日FMW函館。雁之助扮するハヤブサがHを急襲。不死鳥伝説第二章を勝手に宣言。対立が深まる。H(コメントブースで)「お楽しみはこれからだ」。
ハヤブサがチョコボール向井と会見、AV出演を発表。チョコはかつて新日本プロレスの新弟子だった。大矢と同期になる。

9月3日DDT。シティテレビ中野(JCN中野/JCNシティテレビ中野/J:COM 中野/ジェイコム中野)での定期放送がスタート。
ちなみに東京都中野区出身の宮武俊はこれを見てDDTに興味を持ち、ゆくゆく入門することになる。

9月14日。Hが週プロ表紙に。ちなみにモチーフはコギャルではないそうです。

9.18ECW。ダッドリー・ボーイズが最後のタッグ王座戦でまさかの防衛。
試合後、けなされたドリーマーが現れてパートナー不在のまま王座戦を強行。そこへ突如WCWとの契約を解除したレイヴェンが登場し、DDT一発フォールでECW復帰を果たした。

9月19日ECW「ANARCHY RULZ 1999」。タズvsマイクvs田中の王座戦、マイクが王者に。
過激な試合展開が少ないためか、TNNが重要視していたとされるタズは皆に見送られWWFへ移籍。資金力でメジャー2団体に劣るECWはトップ選手のヘッドハンティングに度々悩まされる。一方で新たな看板選手を瞬時に作り上げる手腕が度々発揮された。

荒井社長、あまりの屈辱に再び奮い立つ! 田中の無敗を援護し、共に冬木を追い込む

9月24日FMW後楽園。処刑タイムと称し、縛られた荒井がリング上で横たわり、冬木が放尿という暴挙に。荒井は号泣。
非道が首を負傷のため試合ではなくバット折を披露し、見事成功させ格闘家に転身を宣言。
冬木が新設されたWEWシングルベルトを巻き、闘いもせず初代王者に自らを認定。「ゴミ箱にでも捨てておけ」と田中の持つインディ王座は廃止に。これでブラスナックル、インディ両王座共に封印及び廃止され、ことごとくが塗り替えられた。
田中が1vs3のハンディ戦に勝てば王座挑戦の資格を与えると明言。田中vs冬木&金村&邪道。当然のごとく田中は劣勢も、屈辱を受けた荒井が決死の黒スプレー攻撃で加勢して冬木の顔を真っ黒にし、金村の足を引っ張り、その隙をついて田中が速攻で勝利。
荒井は「私がバカでした」と責任をとって社長の座を辞退し、刺し違える覚悟で冬木のコミッショナー退任を要求するも、冬木は「バーカ!やめるわけねぇだろ!」と断固拒否。社長の権利は田中が預かり、賭ける代わりに冬木のFMW撤退を迫る。試合形式は冬木が逃げられないようデスマッチ戦を要求。
Hが後楽園初登場。チョコがFMWマットでデビュー、駅弁固めを披露。やたら盛り上がる男性客たち。ハヤブサが若菜を蹂躙すると女性の味方・チョコが造反し、なぜか遅刻した黒田がバイクに乗って入場して一気呵成、佐々木も覚醒して最後はHエッジが炸裂、外道からピン。
Hがハヤブサに対し「キミ、赤点!」。次の後楽園で肛門爆破マッチを要求。次から次に動乱が止まらない。

9月26日喧嘩プロレス二瓶組川崎。旗揚げ戦が行われる。
その看板に偽りなく、もちろんメインに出場した二瓶組長は路上に繰り出しサンボ浅子めがけてチャリンコをブン投げまくるなど大暴れ。
出場した所属選手にはタノムサク鳥羽、鴨居長太郎の姿も。

10月7日FMW。冬木の記者会見。冬木が横アリの詳細を勝手に発表。田中のリストラを解除宣言。
10月8日FMW。道場で荒井の記者会見。荒井が冬木の発表に反発、試合順に関して否定し、Hvsハヤブサをメインに。肛門爆破の実験を行う。カボチャが砕けるほどの威力の爆破。
10月14日FMW記者会見。荒井がデスマッチ形式を発表。プラズマ放電形式の15000V放電金網サンダーボルトデスマッチに。

10月18日FMW千葉。ハヤブサがスランプに陥る。制裁のない試合が続き、この日も敗戦。Hはハヤブサにビッグファイヤーをするなど以前のイメージを覆す奔放さを見せる。
試合後、ハヤブサは冬木の頬を張るなど乱心。
冬木が後楽園のカードを発表。本気の強さを見せるとうそぶく。

ビッグマッチの前哨戦こそメッチャ面白い説
外道によるプロレス史に残る名スキット!

10月29日FMW後楽園。Hvsハヤブサの敗者肛門爆破マッチ。Hが「本田」に入門当初からの思い出に言及し、呼びかける。ハヤブサは試合の途中にも関わらずHを縛り付け無理やり肛門爆破を決行、無効試合に。
ウィリー・ウィリアムスの弟子、タレックパスカが登場。とんだ食わせ物すぎて後楽園大爆笑! 非道が圧勝し、横アリでのウィリー戦へ進む。
若菜がデビュー。リッキーがレフェリー、市原&チョコ&若菜vs外道のハンディ戦。圧勝した外道がマイクを握り「横浜の話しようか、あ? 俺のパートナー誰だか知ってるか? 知ってるよな。ミスターダブルクロスとよ、金星ハンターだよ、あ? おめぇのパートナー誰だ、後ろ見てみろ。名前なんつーんだ。カスだよ、カス! カスカスカスカス! おめぇもカスだけどな。そこでよ、寛大な俺様がおめぇらにハンデをやろうじゃねぇか、あ? 前チャンピオンの俺様がよ、ハンデやるよ。空位になってるシックスメンのベルトをよ、天井からブラ下げんだよ。それをハシゴを使って、奪い合おうじゃねぇか。そうすりゃカスのおめぇらにもよ、コソ泥みてぇにコソっと盗れるチャンスあるかもしれねぇぞお前、あ? 言ってみりゃぁよ、針の穴ほどのチャンスってやつだよ、あ? わかるか? ほんで横浜終わった後お前らどうなるか知ってるか? 寛大なる俺様によ、感謝しつつ死ぬんだよ! 死ねカス!」と見事なまくしたて。あまりの圧巻さに拍手する者、圧倒され唖然とする者多数。
田中と冬木のキャプテンフォールマッチ。鉄檻を駆使し反則の限りを尽くす冬木組。田中が孤軍奮闘するも、最後は冬木の強烈な地団駄ラリアットで直接ピン。
冬木が高らかに横アリでの勝利を宣言。そこへ錯乱中のハヤブサが「俺は誰だ!?」と絶叫しながら暴走。荒井を突き飛ばすとHがリング上へ。中村リングアナを突き飛ばし、中継用カメラを壊し、記者にも暴行、挙句の果てには杉作をHがボディスラムでブン投げ、警備員が出動して若手セコンド陣と共に止めるに入るという狂乱の展開。最後は責任を感じる荒井が謝罪のマイクで幕。

11月7日ECW「NOVEMBER TO REMEMBER 1999」。マイクvs田中の王座戦。

11月10日FMW博多。特別レフェリー荒井を冬木が暴行して右腕を破壊するも、荒井は田中のフォールを残った左腕で渾身の3カウントを叩いて後楽園のリベンジを成功させる。

荒井、冬木、田中でサンダーボルトのデモンストレーション。田中と冬木は一億円の生命保険に加入。
横浜駅にて選手総出でティッシュ配りをしてPRするなど横アリの告知をできる限り努めた。

11月21日PRIDE8有明コロシアム。桜庭和志がホイラー・グレイシーをキムラロックでレフェリーストップ勝利をおさめた。日本人による対グレイシー一族の勝利は1951.10.23にエリオから勝った木村政彦以来。

「ジャッジメント・デイ」FMWエンタメ期最大のビッグマッチ

11月23日FMW横浜アリーナ。
荒井の挨拶中に冬木も挨拶に登場、荒井も負けず舌戦を繰り広げる。WWFのショーン・マイケルズがスクリーンに登場し、二人とも閉口して退散。客入りはやや寂しいものの、この展開で期待感に包まれた。
WEW6人タッグ王座はラダーマッチ。若菜と薫子のキャットファイト。リッキー組が勝利。「市原、チョコさん、獲っちゃったよ」。
中山&元川vsモンゴル&ジャズ(ECW)&マリアホサカ(WWF)のハンディ戦、中山が勝利。
非道ウィリー戦、勝ったウィリーが非道を称える。非道はお墨付きとバンダナをもらう。
ファンクスがスクリーンに登場。スピニングトーホールドが流れドリーの息子と共に入場、佐々木&山崎と伝承マッチ。
金村が悪役商会を引き連れて入場、マホーニーとハードコア選手権。会場裏で、車上でと暴れまわる。その模様は会場のスクリーンで映し出される。最後はかなり高所の入場ゲート上から爆YAMAという超ハードコアな決まり手。マイクを手に金村は「W★INGを捨てて2年ぐらい経ちます。日本初のヴィジュアルファイターとして、最初はブーイングくらったりもしたけど、冬木さんや兄者のおかげで自分のスタイル、ヴィジュアルファイターとしてやっていけそうな気がします!」ビジュアルファイター宣言を終えると悪役商会と共にブリブラダンス。
バイク5台を伴って黒田が入場、大矢は人力車に谷本を乗せて入場。再びCome Out And Playが流れる。レイヴェン&ドリーマーとWEWタッグ王座戦。最後は黒田がフォール勝ち。
冬木vs田中戦、解説に荒井。稀代の大ヒール・冬木が仕掛けた総決算。田中が満場一致の声援を背に死闘を制してWEWシングル戴冠。冬木をゴミ収集車に乗せてFMW追放。サンダーボルトマッチは、電流爆破系統の視覚効果があり、なおかつ金網式なのでロープワークが可能なことにより展開の幅があって私的には推したい形式です。
メイン、Hvsハヤブサ。レフェリーはマイケルズ。Hが勝利し、マイケルズが二人の握手を見届け、エールを送る。10年の時を経て遂に和解した二人は抱擁を交わす。「お楽しみにはこれからだ!」と叫ぶとFMWのテーマが流れ、FMWエンタメ期を象徴する最大のビッグマッチに幕。

リングで雁之助と仲良くしてられるというのが本当にうれしかった。
今思えばちょっとハメを外しすぎた感は否めないが、それほど嬉かったということだ(笑)

出典 ハヤブサオフィシャルブログ「愛と勇気とあるこーる」

この大会のVHS、週プロ増刊号をホント何度見たか分かりません。今こうして振り返ると、ビッグネームが団体も国も超えて名を連ね、長きにわたり丁寧にこの日を着地点として繰り広げられた抗争があり、色とりどりな試合形式が見られて「これでもか!」というほど盛り沢山の超絶ビッグマッチでした。
しかし。
第一試合の時点で5割強ほどだったやや寂しい集客結果など課題も多かったことは事実かと。
ラダーマッチやバックステージにまで及ぶエニウェア戦は現在ならば何の違和感もなく見られるのでしょうが、この当時はまだ定着しきっているとは言えず、拒否反応があったわけじゃないが、何というかこう、どう盛り上がっていいか分からない的な雰囲気があったかと思われます。

試合を組み立てる上でレフェリーの存在は本当に大きい。
そういった意味でもレフェリーとの信頼関係が非常に重要な意味を持ってくる。
もちろんショーンの事を信頼していないわけではないし、そのずば抜けたプロレスセンスも十分に理解している。
それでもやはり 初めてのレフェリーであることには変わりない。
デリケートな部分が大きいこの日の試合では、わかっていても無意識に不安を感じていたせいだった。

出典 ハヤブサオフィシャルブログ「愛と勇気とあるこーる」

Hが全開の気持ちまで入らなかったこと、そのうえ伝達ミスなのかショーン・マイケルズのルール理解が足らず場外カウントを数えてしまい、ちぐはぐな部分が出てしまったことにより、Hの回復時間が半端に…など。
二転三転スミマセン。それでも、です。エニウェア戦のバックステージバトルで少なからず下がったボルテージを、危険を顧みず一発で取り返した金村のスーパーダイブと受けたマホーニーのド根性、噛み合わない展開を何とかグダグダになる一歩手前で成立させるHの技量、エンタメを超えたレスラーのポテンシャルで足を運んだファン、中継を見ていたファン、ビデオを見たファンを満足させたと思います。
そしてエンタメ仕様でここまでのビッグマッチはFMWはもちろん日本初だったわけですから、「たられば」になってしまう恐縮ですが、願わくばトライ&エラーを繰り返し、あと何度か、いや何度も見たかったな…と思うばかりです。エモいだなんて一言で片づけられません。「えもいわれぬ気持ちはエモいじゃない」ってやつですよ。

ECWジャパン設立!?
田中、FMWとECWを制す

12月1日FMW大阪。H&雁之助のいきなりのタッグ挑戦に田中が異を唱え、会社にも噛みつく。
H&雁之助vs黒田&大矢のタッグ王座戦。合体Hエッジで情念を超えた親友タッグが勝利、戴冠。
田中のコメントを耳にした二人は理解を示し、リング上で交わると言及。

12月3日FMW名古屋。H&雁之助が田中と組んで勝利も、田中は試合後の握手を拒否。

12月10日新日本プロレス大阪。天龍源一郎が武藤敬司からIWGP王座を奪取。これにより両メジャー団体のシングル、タッグを制覇。

12月11日FMW後楽園。佐々木&山崎vsランスケイド&アメリカンドラゴン。
中山が女子タイトルの設立を荒井に要望するが「良い試合をすること」と条件を提示される。そしてFMW女子部のテコ入れとして井上京子の全戦参加を発表!
ECW直輸入カード、TAJIRIvsスペルクレイジー。
WEW6人タッグ王座で同カードの再戦、邪道がチョコをあっさりと粉砕。外道のマイクがまたも冴えわたる。チョコとリッキーが市原をダメ出し。若菜にかまけて腐向けに? 古株のリッキーと市原が奮起のためシングル戦を決定。市原が負けたら若菜と別れることに。
金村、アクセルラットン相手にハードコア王座防衛。エニウェアルールが根付いてくる。甥っ子のぽんちゃんがHファンに。漫談のような金村のマイクが人気を集める。
こちらもECW直輸入カード、田中vsマホーニー。
WEWタッグ戦、H&雁之助vs黒田&大矢。大矢が粘って大奮闘もファイヤーサンダーに沈む。爽やかな名勝負に。大矢「こういう勝負がしたかった」。

12月12日FMW後楽園。非道がウィリー高山に改名。山崎と異種格闘技戦。弟子は一人欠席(学年末試験で)。
チョコが新弟子としてFMWに加入し、イチからレスラーを目指す。
リッキーvs市原、若菜瀬奈争奪戦。あっさりギブアップして市原敗退。市原は諦めて無言で退場する。
マホーニー&ラットン&TAJIRI&クレイジーとTNRの8人タッグ戦。TAJIRIvs外道に酔いしれる観客。最後は爆YAMAでイケイケの金村が勝利。ハードコア戦線のボルテージが高い。エンタメ路線になろうとも古参のFMWファンはやはり荒っぽい試合がお好みか。
ノンタイトルでH&雁之助vs田中&黒田。タイトルホルダーが三人の純血カード。ニール&ドロップ、ヘブンインパクトなど連携技の攻防多数。Hサンダー(初使用?)で黒田をフォール。試合後、田中がH&雁之助を批判、後ろにはマホーニーとラットンの姿が。正規軍を離れてECWのTシャツを手に合流し、反旗を掲げる。雁之助「お前のリングはFMWだろ!」。H「FMWは世界で最高のリングだ!」。

12月16日FMW記者会見。追放された冬木が渡米し、ポールEと対面(したとされる)。帰国後にECWとの提携と、ECWジャパンの設立を勝手に発表。自身はECWジャパンの代表に就任。加入者を募集した。

12月17日FMW記者会見。荒井が冬木の会見内容を否定。ポールEに確認したところ、冬木との接触はナシとのこと。
井上京子が登場。そこに京子ペイントを施した冬木が乱入。両者は乱闘に。そこに割って入ろうとしたHと京子が誤爆。
冬木「H、そして荒井! お楽しみはこれからだ!」。

田中が会社に無断で渡米。

12月17日ECW。マイクvs田中の王座戦。ローリングエルボーで田中が勝利し、ついにECWヘビー級王座を戴冠! FMW、ECW両団体の王者に上り詰めた。これ以上ないインディーの頂点を極めた。

DDT初後楽園、大成功!

12月22日DDT後楽園「イチかバチか」。ニセ大仁田こと森谷さんと下北のカリスマ又は代々木の若様又は三四ロック様こと高木、そして真鍋ことキムタクによる一連の爆笑まとめVTRからスタート。今も色あせない傑作。森谷さんもフォーエバー! 森谷さんことニセ大仁田(逆)は、大仁田興行に準じてニセ大仁田興行を主催してポーゴ戦を実現させるなどこの年、目覚ましい活躍でした(あと10.24鶴見にてIジャの裏で小野浩志を登場させたのは当テーマから遠い出来事ですが書き残しておきたい)。
DDTはこれが後楽園初進出。超満員札止め2000人を集め、興行を成功させる。
メインの煽り映像がトラブルにより流れなくなるも、咄嗟の機転で流すのをやめてすぐに入場したところを見ても、現在のDDTにも通ずる対応力、逆境の強さを感じます(エラーが起きたとしても、好対応でむしろ印象上がる的な)。
しかしこれはあくまでまだDDTエンタメ路線の黎明期。翌年は更に「ファンタジー」とまで呼ばれる飛躍が待ち構えています。

12月25日FMW空港にて。田中が帰国し、ECWとの契約成立を発表。

この年をもって営業の高橋英樹氏がFMWを退社。

不足している点は山ほどあるかと思いますが、この辺で99年を終わりたいと思います。
ちなみにこの年のプロレス大賞MVPは武藤敬司が二度目の受賞、G1は中西学が優勝、世界最強タッグリーグ戦は小橋建太&秋山準の超世代軍が二連覇、金本サイクル安打達成、ソン・ドンヨル引退といった具合です。よろしくお願いします。

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