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好きな人と自分と、ナポリタン。

カフェ、喫茶店好きはやはりナポリタンは鉄板だろうか。

私には不思議だなあと思う成長がある。

それは、昔

「ねえ今日夕飯何?」

と母に尋ねた。多分小3くらいの時かな。

「おでんだよ」

「…ふーん」

すごくすごくテンションが下がった。そんな気持ちになったのを覚えている。

「ナポリタン」と「おでん」は、かなりランク外だった。

子どもの頃、好きじゃなかったのに、どうして大人になってすごく嬉しいご馳走になったのだろう。

そしてこの、 ナポリタン と おでん この二つには何故だか同じような魅力を感じるし、同じようなポジションでファンを集めているような気がします。

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(⤴︎ばあちゃんと食べに行った近所の喫茶店のナポリタン)

栄え とはなんなのだろうか。

色々な種類の「栄え」がありますが、そのうちの一つに記憶に刺さる栄えもありますね。ノスタルジックというのか昭和レトロというのか、そこへのlikeってきっと誰もが自身の思い出をちゃんと美化したい気持ちがあるからだと思うんだよね。

私は子どもの頃にナポリタンもおでんもなんの思い出もないのだけどね、そうそう大人になってからなんですよ。憧れというのかな。なぜだか、自分でお金を稼ぐようになってから、何かのきっかけになったり始まったり終止符を打つときにはナポリタンを食べている気がします。そしていつも記録したいと思ってしまう。そして喫茶店に行った際にはできるだけ雑に撮影したいと思う。その時の感情を。写真を見ると思い出す味は感情と共に美味しく終わるから。

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この時は あんなに好きで好きで好き同士だった人と 時間が経ってから再会して食べたナポリタン。不思議ともうナポリタンの味だけが残った。彼がうまくいきますように。私もうまくいきますように。美味しい時間は銀皿のピカピカをしっかりと見つめてお腹いっぱいになってバイバイした。


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でも何よりも、私は自分が好きでナポリタンを作る。

簡単だけど、美味しいし幸せな気持ちになる。食べている時間と思考を愛せる。そんなご飯だから。

私は好きな人とナポリタンを食べる。嫌いな人、嫌いになった人は多分そう想うくらい好きだったに違いない。

目の前の人がどんな人でも、口元にケチャップがついていたら、死ぬほど恨む気持ちにはならないはずだ。

どんなに悲しいに日一人で食べたナポリタンでも口元にケチャップがついたら死ぬほど不幸には思わないはずだ。

どんなにカッコつけてあなたの前でスマートに振る舞っても口元にケチャップがついたら気が緩んで微笑んでしまいそうだから。

私はこれからもそんな日にナポリタンを食べるんだろうなあと想う。

もちろん普通の日にも。

私にとって、美味しいとマヌケはとても大切なエッセンスなのです。

愛なのです。

ちなみに、おでんの話はまたいつか。私は昆布としらたき、卵が大好きです。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

そうだなナポリタンにハンバーグもつけてあげたくなっちゃうくらい嬉しいです。


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