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世界の解像度をあげる

世界をより鮮明に。生きやすい自分を追い求めて。


最近、自我が芽生えるようになった。
18年間自分は、親の敷いたレールの上を走る感情のない木偶の坊だった。友人もいない、好きなものが何かもわからない、自我が見えない空っぽの人間だった。




大学に入って、昔習っていたヴァイオリンを再開した。約10年習って得た経験から、自分は上手いと思ってた。直ぐにその自信は折れたけど。何も見えてない下手くそだった。
音の形、響き、身体の使い方、力の入り方、音の方向性、音色、フレーズ感、抑揚、音の表情、様々な要素を1年間ゆっくりと時間をかけて言語化していった。楽器が上手い人と自分との差を明瞭に。足りないところ、必要なことを一つ一つ拾っていって、試行錯誤して、少しずつ自分の演奏を見つけられるようになっていった。
まだまだ未熟ではあるけれど、少しずつ自分の理想を掴んでいく感覚は楽しかったし、ヴァイオリンだけではなく名前も知らなかったほかの楽器の演奏も音も覚えていった。


就活をした。
自分の人生について考えた。考えると言うよりは思いを馳せるの方が近いかもしれない。今まで目の前のことで精一杯だった自分が、初めて長い時間をかけてこれからの自分が歩みたい道について考えた。正解が無いのは分かってはいたけれど、自分がしたいことや未来を明確にしなければならなかった。
自己分析をした。自分がどういう人間かを言語化した。人に聞いても見えなかった自分の輪郭を、生活、考え方、得手不得手、他人との考え方の違いや価値観を通して、少しずつ見つけていった。自分が何に感情が揺れるのかも。目の前の生活に精一杯で客観視出来ていなかった自分を見つけて、恥ずかしくなったり戸惑ったり、愛おしくなったりした。



最近人から指摘されて気がついたことがある。
私は感じたことややりたいことを明確に言語化しないと昇華出来ないらしい。演奏も自分も、多分友人関係も。
2023年は人との関わりが深くなる年だった。今までの人生とコロナ禍で構築できなかった「人間関係」を、初めて感じられた年だった。受動的な出会いに流されるまま、なんとなく繋がったやんわりとした人間関係が少しだけ明確になって、人間の感情や言葉に裸の状態で晒された。暖かいと感じたことも、冷たくて痛いと感じたこともたくさんあった。
前回のnoteでも書いたが、今年はもう少し自分を大事に生きていきたいと思っている。

前回のnote


受動的だった人間関係を能動的なものにしたい。あやふやだった自分と他人の境界線を言語化して、好きな人の好きなところをいっぱい抱きしめたい。嫌なものは嫌と言えるようになりたい。人付き合いにいちいち言葉をつけるの?って思う人もいるかもしれない。でも自分を大事にするために、毎日楽しく生きるために、誰といる時の自分が好きで、誰といる時の時間が幸せかをきちんと噛み締めて、形にならない感情を素敵な言葉に変えたていきたい。世界の彩度をあげて、落ち込む暇もないくらいハッピーな毎日を送りたいから。

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