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#19 真実

私にしては珍しく、鬼の連続投稿。でも今回のことは今感じていることを鮮明に残しておきたかったから投稿。

最近寝ても覚めても就活のことを考えている。朝起きたとき、ぼーっと散歩しているとき、ご飯食べているとき、YouTube見ているとき、シャワーするとき、寝る前。考えたいわけじゃないのに、自分の頭にずっといて、私の思考を支配する。

「自己PRまとめなきゃ」「志望理由考えなきゃ」「ガクチカとかほんまにないのに何書こう」「企業研究もまだ足りないし」

そんな中で自分に生まれる疑問。

「自分は就活ほんまにやりたくてやってるんか?」

いやまあやりたくてやるものではないのかもしれない。仕事なんて、大金持ちでもない限り生きていく上でほぼ必須だろうし、将来暮らしていくために今行う就活というものは必要だ。でもそういう意味じゃなく、自分がこう疑問に思ったのには訳がある。

私は自分が、心の底では「何かを教える仕事に就きたい」と確信を持って思い続けていることにうっすらと気づいているから。だからこそ、それを押さえてまで就活してる自分に、それでいいのか?となったのだ。

「教育」という分野には元々興味があって、それは「教育環境の改善」とかの仕事とかそういう意味ではなく、私は多分教えること自体の方に興味があると思う。言語自体が好きということもあって、自分の「好き」を擦り合わせていくと、最終的にはいつも「教師」という終着点にたどり着く。

でもいつも、教育には関係のない就活にも取り組もうとしている自分がいた。教員採用試験に向けて勉強をするわけでもなく、留学中の今も、大学の授業ではっきり「教育分野」とされている授業をとるわけでもなく、「教育」というタグに関連した就活のサイトはなんとなく回避して、「コンサル」とか「商社」とか、自分が今のところ興味のない職業ばかりを気にかける。

なんでだろう。それはたぶん、自分の中でなんとなく「教師を目指す」ということに後ろめたさを感じているからだと思う。

私もまだ詳しくはわからないけど、聞いている感じだと、教師という仕事は大半の職業における就活とは別ルートを歩む気がする。私が今なりたい種類の教師は特にそう。近くにいる、私がなりたい職業を生業にしている先生にお話を聞いたときも、その人は初めはアメリカの大学院に来て、Graduate Assistantとして働いたのちに細いコネ(普段使われる悪いコノテーションを含むものではない)を手繰り寄せて今の安定した地位を獲得したとおっしゃっていた。

その先生もおっしゃっていたのが、この業界はすごく狭い世界で、色々コネを持っておくことも大事だそう。その先生に紹介していただき、私が就きたい職業を長くされている方とも一度お話させていただいたのだが、その方も同じようなことを言っていた。

そんな小さいコミュニティで、自分がやっていけるのか。みんなが就活して仕事を決めていく中、自分は本当に海外の大学院に来て、本当に就けるかわからない職業を目指してやっていけるのか。そんな不安が絶えない。

まあ多分こういう不安感は何をしようとも多少は生まれるものやとは思う。今なりたいと思っている職業ではないけど、「日本で英語教師をする」ということもそうだろう。ある程度コミュニティが広くて、身近にもまあまあな確率でそういう人はいるだろうけど、やっぱりそれでもなんだか、教師を目指すということは「普通の就職」から外れるような気がして、すごく不安に駆られてしまう。

「教師の仕事は大変そうだから」「自分に教えられる自信がないから」「自分より年下の人と接する自信がないから」

そういう理由で教師という道を避けていたつもりだったけど、結局自分が恐れていることは、「自分の周りの大半の人がやっていることから逸れてしまうこと」なんだろうと思う。

Noteでも、ES出して、SPI受けて、面接を何次にわたっても受けて、内定もらいました!みたいな記事が多かったり、周りではいわゆる「企業」的なのを目指す人が多いし、ボスキャリとか、学校からくる就職の案内とか見ても「教師以外の仕事」ばかりが目につく。(まあそういうイベントとか学校のキャリアセンターの特性上そうなるのは間違いないことではあるが)

そういう、「普通」から外れていってしまえる(ように自分には見えてしまう道に向かう)勇気が自分にはない。(教師が普通じゃないとかそういう意味ではなく、、個人的になんかそういう気持ちになっちゃうという意味で、、)だから今まで興味のないものに、周りを見て焦りつつ色々した。ボスキャリについて情報収集して、この企業でもない、あの企業でもない、と無駄に時間を使う。経験談を見て、「まあ受かるのはこういう人だよね」とどこか遠い目で見る。企業説明会に参加して、「なんでこの人たちはここまで熱心に自分の職について語れるのだろう」「参加者たちもなぜそんな意欲的に質問できるんだろう」とぼーっとしてしまう。友だちが活発に、着々と準備を進めているのを眺めて、「自分はまだやりたいことすら見つけられてないんだ」と自分に残念に思う。

そういう就活に対する自分のやるせなさに飽き飽きしていたときに、あるnoteの記事を読んだ。

「就活とは、残りの人生の大半を占める「仕事」という時間をどう過ごすか、どう過ごしたいか、なんのためになら残りの人生を使ってもいいと思えるか、の納得いく仮説を見出す"時期"だ」

これ勝手に引用しちゃっていいのかな、、一応その方のnote貼り付けておきます、いや、これも勝手に貼り付けたらダメなのか、、?わからねえ、、

不快に思われたらすみません。

まあそういうのはさておき、この言葉がぐさっと来ました。自分が今、確実に自分に納得いくであろう「教師」を目指すことを押し殺して、自分だけが考える「普通」を求めて違う職業を探そうとしている段階だったこともあって、特に心に響いた。

どうせ教師以外の道に進んでもすぐ心が病む気がする。興味のない、ときめかない仕事に奇跡的に採用してもらえたところで、結局周りにいるのはおそらく「その職業に就こうという気持ちを持って努力してきた人」がほとんどで、自分との意識の差に絶望するのがオチであろう。

「自分の残りの人生を使ってもいいと思える職業」。そんなの教師しかない。

ああ、最初から結局やりたいことなんて決まっていたんだな、と難しく考えていた自分に呆れつつ笑える。でもきっとこういう過程を経験したことは無駄ではないと思うし、こういう過程が自分に自信をつけるきっかけにならなくもないのかな、とボヤッと考えるのです。

長くなりましたが、そんな感じでこれからは「ザ・就活」というしがらみにとらわれず、大学院の道なども考慮してゆるーく自分の進路について考えていきたいなと思ったというお話でした。