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#34 性別

自分が男性であることには満足している。それでも、「女の子だったらどうだったのかな」と考えることは日常的にある。

周りとの関わりを考えなければ、自分は男でよかったなと思うことが多い。

細々と続けている筋トレも、男性だからこそ成果が目に見えてわかりやすいから続けやすいし、よくないことではあるけど、"男性だから"で済まされること、楽してることはとても多いと思う。化粧をしなければいけないわけではないし、やろうと思えばパジャマでコインランドリーで洗濯ぐらいはいけてしまえると思う。(これはわたしが怠惰なだけかも)

でも、周りとの関わりの中で生活をしていると、ふと「ああ、女性として生まれていたら何か違ったのかな」ってないものねだりになってしまうときがある。

特に感じるのが友だちといるとき。

昔から女の子の友だちの方が圧倒的に多い。というか男の子の友だちがほぼいない。なぜかはわからない。姉がいたからなのか、幼少期からおばあちゃん、お母さんっ子で女性といるのが基本になっていたからなのか。何はともあれ、学校生活で言葉を交わすのはたいてい女の子の友だちばかりだった。

そんな中で感じる自分と友だちとの差異。自分以外の友だちは一緒にトイレ行ったり着替えに行ったりするけど、もちろんわたしはできない。修学旅行とかでも同室になることは当たり前にない。体育も男女別で、体育の時間は結構暇だったり。

どれだけ親しくても、性別の壁というものはつきまとう。その壁が、自分でも「あるべきもの」、「当たり前にあるべきこと」(バイナリー的な考えに賛同しているわけではなくシンプルに性犯罪防止とかの意味合いで)であると自分で理解しているからこそ、「あ〜自分が女性に生まれてたら何か変わっていたのかな」とふと思ってしまうことがあった。

それの延長線なのかもしれないけど、わたしには基本bestieみたいな人がいない。なんというか、ずっと一緒にいる友だち(?)的な。この人といえばこの友だち、みたいな感じの、そういう友だち。

わたしはもちろんずっと一緒に行動する友だちなんて作れなかったし、周りの友だちたちが二人一組とかで行動してるのをみて羨ましかった。もちろんそういう女性特有の(?)団体行動的なのが好きじゃないっていう人もいっぱいおるやろうからなんとも言われへんけど、わたしは個人的に羨ましかった。

仲良いのに、仲良いけど、性別が違うとどこか壁があるというか。自分の勝手な思い込みかもしれへんけど。

男女の友情は成立しない、なんてよく言うように、女性といる方がなんだかしっくりくるのだけど、性別のせいでずっといる友だち!みたいな人は作れなかった気がする。

実際、友だちだと思っていた女性の友だちから好きだと言われたこともある。正直気まずかった。わたしは友だちだとしか思っていなかったから。

他にも、自分がただ友だちとして仲良くなりたいと思って近づこうとした異性の人がいても、それが相手からしたら恋愛的な好意があってそうしていると勘違いされたりしないかなってちょっと思っちゃったりして、仲良くなろうとできなかったりもする。

なんで、心地いい友だちと仲良くなろうとしただけなのに、性別が違うだけでこんなにいろいろ悩み事が増えていくんだろう。自分の性別自体には満足しているのに、、

この前は逆に、アメリカの同性の友だちに「君は男だから喋りかけたんだよね」って言われて、ちょっとショックだった。

わたしが留学していたときは男の留学生があんまりいなくて、その友だちは日本人と仲良くなりたいけど女性に話しかけるのは、と思ったらしくわたしに話しかけてくれたそう。

その友だちはめっちゃいい人やから、話しかけてもらえたきっかけが自分の性別なら、自分が男でラッキー、って思える場面でもあるにはあるのだけど、あ〜、わたしが選ばれたのはただ単に同性やからっていう理由が発端なんか〜って考えるとちょっとモヤッとしたり。

なんか上手く言葉に表せている気がしないけど、難しいなと。

一番マジョリティの恋愛の形が"男女"っていう枠組みやから男女で友だち、みたいなのは難しいのかもしれないけれど、わたしみたいに異性の友だちといた方が心地いいって感じる場合は、ある程度の孤独感を感じながら生きていかないといけないのかしら。

難しいな。

関係ないけど、最近のわたし的ナンバーワンソング。歌詞が今の自分の状況にぴったりで。