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#14 諦め

今日の記事は#13-2といったところのような記事になるので、ぜひ#13期待を読んでからこちらの記事を読んでいただけると幸いです。

前回の記事では、「相手の動きを予測しない/相手に期待しない生き方」をするようになってから人生楽になったという話でした。今回はそういう生き方に伴う悪い面について。

「協力」という概念の欠如 / 成長の機会損失

当たり前ですが、一番大きい損失。相手に期待しないということはすなわち、「自分以外の人の力を考慮しない」ということ。基本「自分でやろう」という思考に持っていこうとする。それは決して「自分でやったほうがいいものができるから、他の人が自分の考えていることを体現できるはずがない」みたいな傲慢な思考ではなく、「相手に自分の思考を正しく伝えられる自信もないし、相手に任せてしまうと進捗状況がわからず不安」みたいな何様やねんなネガティブな感じのもの。一回それを伝えてみたり、他の人ときちんと話し合って、計画を練り合えば解決するようなものなのに、そういうコミュニケーションを煩わしい、それなら自分でやるわ、みたいな排他的な思想に持っていかれてしまう。

それは他人との協力からの逃げでしかない。し、その逃げは間違いなく自分自身が成長する機会を失っている。逃げの思考に走ってしまうときは、間違いなく他の人への無駄な配慮がもとになっていて、相手の一番最悪なシチュエーションを想像してしまっている。もし相手の人が色々忙しい時期でグループワークなんかできる状況じゃなかったら迷惑やな、もし相手の人がこのグループワークに対して自分と同じ熱量を持ってなかったら?じゃあ初めからあまり「これくらいは他の人がやってくれそう」とか思わん方がいいかな、みたいな無駄な配慮。もしそうじゃなかったら?その人がやる気、才能に満ち溢れていて、自分一人でやるよりもはるかにいいものを生み出す原石を持っていた人だとしたら?わたしはそういう素晴らしい原石のような周りの人の才能と触れ合う機会を、自分の勝手な逃げの思想のせいで失い続けている可能性は大いにある。

これから学生という立場ではなくなっていくにつれて、自分一人でできることの限界なんてすぐに見えてくると思う。大学の課題とかそんな生半可なものじゃなくて、大きなプロジェクトとか、そういう他人との協力が必要になってくるときに痛い目を見るのは間違いなく自分だ。

就活について調べ物をしているときも、「自分が集団の中で活躍した経験を振り返ろう!」みたいな記事が山ほど出てきて、余計自分が切り捨ててきてしまっていたものの価値を認識させられる。やはり会社側は一人でなんとかしようとするような人なんか欲しくはないと思うし、他人と協力して何かを達成できる、そんな人材を求めているんだろう。

でもたまに考える。「協力」ってなんなんやろう。協力とかいうものは、結局どちらか側が妥協して初めて生まれるものなのではないかなと思ったり。もちろんそれが妥協する側が「妥協だ」とは思わず、本当に相手の考えが自分のものよりもいいものと思った上で折衷できるならいいと思うけれど、経験上基本折れる役割は一般的に各自の案の良し悪し関係なく「内向的」と呼ばれる人な気がする。そういう人はたとえいい案を持っていたとしても一生損な役割を背をっていくのかな、なんて思ったり思わなかったり。主導性のある人が強引に決定することは「協力」というのだろうか。

まあそれを主張できる・できないっていうのが優劣をつける裁量になっているというのは理解できなくもないけれども。協力するっていう経験を経ていく段階で内向的・外向的にかかわらず「主張する」っていうことを学んでいくのか。そう考えると企業側が「協力する」という経験を積んできた人を好むのはわかる気がするな。

あと、あんまり関係ないことでもう一つ就活する上で気になったことがあるのだけど、それが「リーダーをした経験」を謎によく聞かれる文化。そんなに「リーダー気質の人」を集めて何になるの、?将来各リーダー気質の人がぶつかる未来しか見えないのだけれども。「リーダーを補佐する」という役割は軽視されているのか?

こんな感じの就活している中で疑問は尽きない。まずESに書く自分の長所とかって、本心から長所はかけない問題。"就活向けの長所"しか書けない、outgoingな人以外の長所は長所とは呼ばない風潮。他にも、日本の英語力はまだまだだ!教育ちゃんとしろ!な割には英語は今どきみんな話せます、武器になりませんな風潮。大学は勉強する場所という主張の層に反して、「大学で勉強だけしてきたの?」という面接官からのご指摘。これの何が嫌かっていうと、課外活動めっちゃやる人の中には大学の課題とかほっぽりだしてグループワークとかには迷惑かけときながら自分がやりたいことして、大学のグループワークはグループとして評価されるから自分の成績が下がることもなく、課外活動めっちゃやってきた実績が残りそれが賞賛される風潮。結局そういう立ち回りの上手い人が勝つのね?みたいな複雑な気持ちがなきにしもあらず。いや、まあ課外活動に挑戦しようっていう心意気自体が欠けていた自分にそんなこと言う資格はゼロだよな。ごめんなさい。

就活考えれば考えるほど自分が面接に向いてない人材すぎて嫌になるのよね、最近。いやなんの話?

途中話大脱線してしまったけど、とにかく「相手の動きを予測しない/相手に期待しない生き方」は楽だけど、協力とかそういう就活で重視されるようなスキルは失われてしまったということ。楽した分今痛い目見てる感じで、就活に対する不安が現れてしまった。(情緒不安定)

これで今回は終わりにします。