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#6 言語

今日はわたしの興味分野、言語についてのお話。言語ってすごく不思議ですよね。国によって、人によって発する言葉は違っていて、ある人は母語以外も話せて他の人と意思疎通できちゃう。そんな状況って個人的には奇跡のように感じるのです。

で、何から書いたらいいか正直わからないので、自分が話せる言語のことについて書きつつそこから派生させていけたらなと思います。(なんかもう身バレとか気にしてたら書けなくなってきたから全然オープンに書いちゃう)

わたしは日本生まれ日本育ち、両親も日本語しか話さない、生粋の日本語ネイティブスピーカー!(ネイティブという定義に引っかかった方、"ネイティブ"についてのわたしの考えはまた別の記事でシェアしようかなと思います。)もっというと、関西弁ネイティブスピーカーです。日本にいるときはもちろん、留学してからも留学先の大学にいる日本の方に「関西出身ですか?」って聞かれたり、日本語勉強してる現地学生に「君の日本語はなんか違う」と言われ、個人的には結構自分のアイデンティとして重宝しています。

それに関連する話なんですけど、最近今学期受講しているEnglish linguisticsの中で面白いなと思ったことがあったので書きます。このクラスでは毎週言語に関するテーマが設定されていて、今週のテーマは"dialect"でした。そこで先生が、"Everyone speaks accents/dialects"という見解を出していて、世界で話されている英語のaccentについて話してくれました。「"standard"で、クリアな英語なんてないよね。」そんな話だったのですが、ふと日本語について考えた時に私たち日本人は東京の人たちが話す言葉を文字通り「標準(standard)語」と呼ぶな〜と思ったのです。東北弁、大阪弁、九州弁、なんていうのに「東京弁」とは言わない。ちょっと不思議ですよね。実はわたしは「東京弁」という言葉をよく使うのですが(東京の言葉が"標準"って誰が決めたん?と思ってたから)そのたびに周りの人から「東京弁って何?標準語でしょ?」と言われ続けてきたこともあり、先生の「"standard"なんてないよね」って言葉が刺さったわけです。アナウンサーとか、大学の日本語言語学の先生とか、そういう"公式的な"職業の人たちは"標準"語を身につけるように求められるし、日本語にある"standard"の概念ってなんか不思議で面白い。

それに関して、別の授業で読んだリーディングの中にこんな言葉がありました。

“Identity formation functions through exclusion: we define who and what we are by excluding who and what we are not”

(Keating, 2007)

確かにそうだなと、言語学の授業で考えていたことに反映させながら少し納得。"standard"という概念が日本語にあるからこそ、自分は「関西弁を話す、"standard"の日本語を話す人とは違う誰か」みたいな自認方法が生まれるんだろうなと感じました。最近は"standard"とか"normal"っていう概念自体が否定されがち(?)で、「普通って何?」って問いをよく聞くけど、個人的には特に悪い含意とかなく、大多数を普通って呼んでるだけかな〜と楽観視している派の人なので、改めて"standard"のプラスの面(?)を言語を通して見れて良かったような気がします。

話がちょっとずれてしまったけど、自分の話す言語に話を戻したいと思います。日本語以外の言語に関しては、日本人なら誰しもが通る道、英語学習に中学一年生の頃から晒されてきたので英語はある程度話します。今の時代的には、中一から始めたというのは他の熱心な英語学習者と比べると遅めになるのかな。母はあまり早期教育とかに興味はなく、英語を小さい頃から触れるなんてもってのほかという感じでした。そこですごく自分の中で印象深い話があるのですが、とても小学校高学年くらいの時に英語に関して意味不明な疑問を持っていた時期があります。その疑問っていうのが、「英語ってカタカナにしたら日本語と同じやのに文字の配列が違うだけで意味変わるの不思議やなあ」みたいなものでした。これ伝わりますか?わたしは当時、もちろん英語についてよく知らず、テレビで出てくるForeign Loan Words的なカタカナ言葉を英語やと思い込んでいたのです。例えば、appleはアップル、teacherはティーチャーみたいに、日本語発音の英語が本物の英語やと思い込んでやまなかったわけです。だから、アップルって、"ア"と"ッ"と"プ"と"ル"の結合やと思って、それって日本語のカタカナの音並べてるだけやん!そやのになんでわざわざりんごとアップルを分けて考えるんやろう、英語と日本語って違うの?と謎の疑問が頭をぐるぐるしていたのを覚えています。もちろん今考えたらめっちゃ頭悪いし、もしかしたらこれがまだちゃんと皆さんに伝わってないかもしれへんってくらい意味わからへんこと言ってるかもしれません。まあそんな感じの意味わからん疑問を親とか祖父母に投げかけてたんですけど、それを言った時に母が、「いや全然違うやん日本語と英語」と言ったんです。特になんでとかはなく、その一言だけ。(これキツく聞こえるけどそんなことなくてただ発した言葉やったと思います。わたしはお母さん大好きです。)もちろん英語の基本知識がないわたしにとったら、「なんで?」の塊なわけです。何が違うの?教えてよ、って感じでしたが、母はもちろん、私の親族全員英語はほぼ話せないので回答は得られず。今振り返ると、本当の英語を聞かせて各文字の発音の仕方とか説明しながら「lとかr、vとかfとか、日本語にはない音の出し方するよね」とか、「英語は母音の数がそもそも違うよね」なんて言ってくれていたら言語に対してもう少し早くから興味を示していたんじゃないかな、なんて思ってしまったりするんです。はい、結果論ですね。この辺の早期教育についても興味あるので、このことについてもいつか書けるといいなと思います。

そんな感じがわたしの英語に対する初めての感情です。こう思うと昔から言語に対して興味はあったのかなと思います。そんな言語学を今こうして留学しながら学ばせてくれていることに感謝しないといけないですね、お母さんありがとう。

今回のお話はここで終わりにします。ほんまに思いつくままに書いたので支離滅裂、話題が行ったり来たりですが皆さんの言語に関する見解も良かったらコメント欄で教えてください。ではまた次更新するときに会いましょう。

My success not the best, but a work in progress