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#32 悔しさ

ファイナル真っ只中の私です(思ってたよりは押しつぶされていない、なんならジムにも行けている)。テストはいろいろありますが、今回は私が久しぶりに悔しいと感じた出来事について記事を残そうと思います。


最近「悔しい」という感情を忘れてしまっていたような気がする。そんなことを昨日考えていた。

事の発端はルームメイトと何気ない、でも深い話をしていたとき。授業で習ったsex workerについて、授業で消化しきれなかったことをルームメイトにお話しすることで消化しようとしていた。(いつも授業中萎縮して話せないから、授業中に思ったことは話しやすいルームメイトに聞いてもらってしまう。いつもありがとうルーミーくん)

いつもはうんうんって聞いてくれるけど、sex workerについてはいろいろ思うことがあるみたいで、珍しくルーミーくんも意見を述べてくれてプチディスカッションみたいになった。

私と彼では多分たぶん考えていることが違って、ディベートのような感じになったのだけれど、その中で私はうまく自分の言いたいことを伝えられなかった。

彼が「でも君の考えは、、」って言って私の考えを要約して、それを元に意見を述べようとしてくれたときに、彼が、私が伝えたかったこととは少しずれて理解してしまっているように聞こえた。

その語弊(?)、誤解(?)を解きたくて頑張って話そうとするのだけど、ルーミーくんの速い英語に気押されてできなかった。

私が意見を述べている間も、私が少しでも英語のせいでつっかかるとルーミーくんが話し始めてしまって、英語のせいで自分の意見を終わらせることさえできなかった。

ああ、英語ができないと私の意見は聞かれる余地すらないんだなあ。

そんなことを考えると悔しくて悔しくてたまらなかった。こんな悔しさ、感じたのはいつぶりだろう。

振り返ってみればこんなことはしょっちゅうある。友だちの話を聞いていて、「え、それは違うくない?」って思いはするけど咄嗟に英語にして話せなかったり、私が言ったことが正しく伝わっていないまま議論が進んでしまって、身に覚えのないことで反論されたり。

英語で話しているとき、なんだか自分が頭悪くなった気になってしまう。(笑)

でもこういうことに対しては、なんだか諦めてしまっていたように思う。周りはみんなネイティブスピーカーで、英語のできない私が意見したところで、、と思ってしまっていたし、自分の意見を修正したところでなあって思ったりもしていた。だから自分の意見が言えなくてもそれが当たり前で、悔しさなんて感じなかった。

自分の英語力に関してもそう。ある程度の諦めと驕り。自分はまだアカデミックな領域では十分にディスカッションできるレベルじゃないというある種の諦めと、周りから"留学生にしては"英語上手いねって言われてきて、成長しようという意気込みを忘れていたような気がしなくもない。

今回の一件で、自分が悔しさを感じなくなるほど自分に対して諦めていた、また驕っていたことが判明した。

当たり前だけど、なに言ってるかわからない人の話なんて誰も聞きたくない。私は英語を使いたい。なら英語を磨かなければならない、自明なこと。

忘れかけていた悔しさを思い起こされたファイナルウィーク中の一件でした。


味気ないので写真を一枚。

最近ルーミーくんの影響でpoolに少々ハマっています。なんか難しそうでできるわけない!と思ってたし、最初は球を突くことすら難しくておもんないな〜って思ってたんですけど、ハマりだすと面白い!

全然テクニックとかはないけど、ただ単にボールを穴に入れようと試行錯誤するだけで今は面白いです。

日本に帰ったら気軽にはできなくなるのかなと考えると、、🥲

帰りたくないなあ