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相模原障害者殺傷事件「植松聖死刑囚の言葉に向き合うべき」と7回面会した記者が語る理由

 2016年7月に神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた大量殺傷事件。45人の死傷者を出した平成最悪の殺傷事件は、20年3月に死刑判決が確定した。
 裁判での証言や供述調書、植松聖死刑囚と記者との面会記録を中心に、取材記録をまとめた『相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞取材班・著、朝日文庫)に詳しく綴られている。
 この事件は社会に何を突きつけたのか――。事件発生から取材を続けてきた朝日新聞横浜総局次長・太田泉生が振り返る。(写真:朝日新聞社)

 私は事件発生当初から死刑判決の確定まで継続取材し、植松聖死刑囚とも7回面会した。障害者を不当に差別する植松死刑囚のことばに共感する事はあり得ない。だが、私のなかに差別意識はないのか、常に突きつけられる思いがした。

「障害者は不幸を作ることしかできません」
「全人類が心の隅に隠した想いを声に出し、実行する」

 植松死刑囚が事件の半年前に衆院議長に宛てて出した、「犯行予告」ともいうべき手紙の一節だ。事件直後に同僚記者が入手し、読んだときのなんともいえぬ嫌な気持ちを今でも覚えている。いのちの尊厳や権利をどんなに訴えようとも「きれいごとだ」と切り捨て、「そんなこと本当は誰も思っていないだろう」と突きつけるかのような、強い露悪性を感じた。

 裁判が近づいた19年10月から、植松死刑囚(当時は被告)と面会を重ねた。なぜ不当な差別意識を募らせたのか。生い立ちから探った。

 植松死刑囚は、障害者との接点が多い環境で育った。小中学校には複数の障害児が在籍した。学校の近くには津久井やまゆり園があって、散歩する利用者が地域を行き交った。

 幼少期に、差別意識の萌芽を感じさせるエピソードはいくつかある。だが強い敵意や憎悪があったようには感じられなかった。思春期にどんな障害者観を持っていたのか、面会で尋ねた。

「障害者を『キモい』とか『汚い』とか言って、弱い者いじめってあるじゃないですか。そういうのはよくないと思ってましたよ」
「でも、社会、いや学校とかで教わったことを口に出してるだけで、自分の考えではないですね」

 植松死刑囚は少し考えながら、こう答えた。衆院議長に宛てた手紙の「全人類が心の隅に隠した想い」という表現と呼応する。教科書的なタテマエで、本人も自覚しない内面の差別意識を覆い隠してきた姿を象徴する言葉だと、私は感じた。

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写真)居住棟の撤去工事が終わった津久井やまゆり園。植松聖被告が侵入した箇所も、跡形もなく整地されていた=2019年3月26日、相模原市緑区千木良 (c)朝日新聞社

 裁判で明らかにされた証言によれば、思春期の植松死刑囚は明るい性格で、高校ではクラスのリーダー格。大学時代から危険ドラッグを使い、その後に大麻を常用するようになるが、津久井やまゆり園に就職した当初は利用者に優しく接し、周囲には「仕事は楽しい」と口にした。

 差別的な言動を繰り返すようになるのは、事件の1年ほど前からだ。友人に「障害者が人間扱いされていない。かわいそうだ」と言い出し、やがて、「殺したほうがいい」「俺は殺せる」と言うようになった。

 驚いたのは、米大統領選を報じるテレビ番組でドナルド・トランプ氏の排外主義的な発言を見たことで、「障害者は要らない」という考えに確信を深めたと説明している点だ。

 2016年2月初旬。トランプ氏は「メキシコ国境に壁を作る」「イスラム教徒の入国禁止」などと過激で排外主義的な発言を繰り返し、国内でも盛んに報じられていた。

「(トランプ氏は)真実を語っている」
「真実だけど言っちゃいけないと思っていること(を言っている)」
「正しいことを言ってもいいんだ」

 トランプ氏の発言を知ってそう思ったのだと、植松死刑囚は面会で語った。過激で排外主義的な発言が、差別意識を解き放ったかのようだ。突き動かされるように、衆院議長に宛てた手紙を書いた。東京の議長公邸に手紙を持参したのはトランプ氏の発言を見た2週間後。トランプ氏の服装をまねたと見られる、黒いスーツに赤いネクタイ姿だった。

「大金持ちになるために事件を起こしました」
「深く考えていないが、人の役に立つのがお金になると思った」

 なぜ事件を起こすことを決断したのか、核心部分の説明は支離滅裂で、植松死刑囚個人の病理性が強く影響したとみるほかない。だがその手前で積み重ねた差別意識は、身近に潜みうるものだと感じさせられた。

 障害者差別だけの問題ではない。性的少数者への差別や在日外国人に対するヘイトスピーチにみられるように、いのちの尊厳を訴えることばをあざ笑うような場面は、世の中にあふれている。政治家が弱者や異質な他者を切り捨てる発言をするのも、トランプ氏に限った話ではない。こうした時代の空気が植松死刑囚の病理性と結びつき、背中を押したように見えた。

 取材に取り組み、事件について考えるなかで、私自身、これまでにいかに障害者と接点が少なく、障害者について知らなかったかを、痛感させられた。朝日新聞神奈川版では、事件について考える企画記事に、「ともに生きる」というタイトルをつけた。「私はともに生きているか」「ともに生きるとはどういうことなのか」と、何度も自問することになった。

 植松死刑囚のことばに向き合うのはつらい。だが多くの問いを含んでいる。向き合わなければと思う。タテマエだけの、スローガンだけの「ともに生きる」では、植松死刑囚に見透かされると思うからだ。

(朝日新聞横浜総局次長・太田泉生)


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