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野村克也氏がボヤき続けた決断に「神のお告げ」退団まで…プロ野球「暗黒時代」の歴史

 正統派ノンフィクション『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』から、プロ野球本の奇書『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』まで、球界の光と闇を書き続けるノンフィクションライター長谷川晶一。2021年9月に発売された著書『プロ野球ヒストリー大事典』は、日本プロ野球の約90年にも及ぶ歴史(正史・秘史・俗史)を佐野文二郎の膨大なイラストと写真で明解にまとめた集大成(!?)的作品。そのPART2「キーワード別 日本プロ野球史」から「暗黒時代史」を紹介する。
(文・長谷川晶一/イラスト・佐野文二郎)

■高橋ユニオンズは3年間で消滅、権藤正利は怒涛の28連敗を記録

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 わが世の春を謳歌するチームがある一方で、どんなにもがいても、あがいても、真っ暗なトンネルから抜け出せない暗黒時代に苦しむチーム、選手もいる。

 1954(昭和29)年、球界再編騒動によって誕生した高橋ユニオンズ。「日本のビール王」と称された高橋龍太郎オーナーが、球界発展のために私財を切り崩してチーム運営をしたが、創設初年度の54年こそ53勝84敗3分で、8チーム中6位になったものの、55年は勝率.300、56年は勝率.351で、いずれも8位。この年限りでチームは解散。わずか3年の「最弱球団」と揶揄された。

 この頃、(悪い意味で)話題となったのが大洋・権藤正利投手の連敗記録。55年7月から57年6月まで、およそ2年間、まったく勝ち星を挙げられずに、怒涛の28連敗を記録。57年7月7日に待望の白星を記録した。苦難の道を歩んだ権藤だが、73年まで現役生活を続けた。

 50年の2リーグ制発足と同時に誕生したものの、球団創設以来なかなか優勝できなかったのが広島とヤクルトだ。広島は75年、途中でジョー・ルーツの後を継いだ古葉竹識の下で、空前の「赤ヘルブーム」を巻き起こして、創設26年目にして初優勝。

 遅れること3年、78年には広岡達朗監督率いるヤクルトも創設29年目で初優勝。日本シリーズでは、当時黄金時代の真っただ中にあった阪急ブレーブスを倒し、悲願の日本一に輝いた。

 しかし、ヤクルトの栄華も長くは続かない。翌79年は開幕早々、チームは絶不調。広岡監督はシーズン途中で休養、そのまま退団の憂き目にあう。80年こそ2位に躍進したヤクルトだが、81年から90年までは10年連続Bクラス。野村克也による黄金時代到来まで、長きにわたる雌伏の時は続いていた。

 鶴岡一人監督時代に黄金時代を誇った南海ホークスは、野村克也兼任監督時代の73年に優勝したのを最後に、長期低迷期に突入。80年代に入ると、80年6位、81年5位、82年6位、83年5位、84年5位、85年6位、86年6位、87年4位、そして88年は5位。この年限りでダイエーへの身売りが決まり、戦前からの「名門南海」に終止符が打たれた。その後、「ホークス」の名はダイエーから、ソフトバンクに受け継がれ、令和期には他を寄せつけない黄金時代にある。

■90年代は阪神、00年代は横浜、いつの時代も、暗黒期球団が

 90年代暗黒時代の主役は阪神だった。92(平成4)年こそ、シーズン終盤までヤクルトと激しい優勝争いを展開して2位になったが、それ以外はずっとBクラスに低迷。この間、何もかもがチグハグだった。92年オフに野田浩司とオリックス・松永浩美の大型トレードを敢行するも、野田は移籍先で最多勝に輝き、獲得した松永は在籍わずか1年でダイエーにFA移籍。大損となった。また、97年に入団した期待の新外国人、マイク・グリーンウェルは実働7試合の出場のみで、「神のお告げ」で緊急退団。暗黒時代を象徴する出来事として語り草に。99年、ヤクルトで黄金時代を築いた野村克也を監督に迎えたものの、99~01年までの在籍3年間はいずれも最下位。野村は晩年、「阪神監督を受諾したのは生涯の失敗だった」とボヤくことになる。

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 98年のロッテは何もかもがチグハグだった。特に6月13日から7月18日にかけては、打つ手打つ手がことごとく裏目に出て、現在も記録となるまさかの18連敗。エース・黒木知宏を先発から抑えにし、再び先発に配置転換するアタフタぶり。7月7日、9回二死からオリックスのハービー・プリアムが同点2ラン。マウンド上でガックリとひざをつき、涙目になっているジョニー黒木の姿は今でも多くのファンの記憶に残っているはずだ。

 21世紀が訪れた00年代は横浜にとって試練の時期だった。02~15年までの14年間で実に10回も最下位に沈んだ。08年は48勝94敗2分で、勝率は.338。この年、首位打者に輝いた内川聖一の打率が.378だったので、「打率よりも低い勝率」と揶揄されることになった。08~12年までは5年連続最下位で、08~10年までは3年連続90敗以上という屈辱も経験。主力選手は続々と流出。重苦しい雰囲気の中、ひたすらもがき続けた時期だった。

 一方、何度も何度も黄金時代を満喫していた巨人にとって、「唯一の暗黒時代」と言っていいのが、堀内恒夫監督が率いた05年、第2次原辰徳政権が誕生した06年の2年間が巨人史上唯一の「2年連続Bクラス」となったのがこのとき。巨人ファンの多くが、負けに対する耐性が少ないと言われることが多いのも納得。

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 広島は91年以来、25年間も優勝から遠ざかったが、16~18年は3年連続優勝で暗黒時代の記憶を帳消しに。現在はオリックスが、96年以来、24年連続V逸継続中。前半戦を首位で折り返した21年はどうなるのか? 光あれば、影あり。栄光あれば、屈辱あり。黄金時代を謳歌する陰には、暗黒時代をもがき続ける存在があるのだ。

長谷川晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(以上、集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『虹色球団 日拓ホームフライヤーズの10カ月』(柏書房)、『プロ野球語辞典 令和の怪物現る!編』(誠文堂新光社)、『プロ野球バカ本』(小社刊)ほか多数。
Twitter @HasegawSh


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