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野生の大根と初めて対面


野生大根はどこに?

自生していた浜大根

タイトルにも示した通り、本日の記事は、野生の大根との出会いについてお伝え致します。

それは、土の事を考える日々に偶然訪れました。おそらく今まで35年近く関東近くをウロウロ移動していましたが、雑草に関心が持てていなかったのか、多くを見過ごしていたことに気づかされました。

残土の山

土の山

よく通る道沿いの一角に、区画整理か何かで出た残土が山積みになっている土地が以前から気になっていました。私有地とは異なる国道沿いの盛り土の土質が気になってしょうがなかったのです。

そこは毎年猛省な勢いで雑草が生え、何年も土を掘り返していない土です。自然農の観点で言えば、地力のある土地と言えます。農家さんからすれば、雑草の種や、石混じりの土をそのまま使う事はないと思いますが。。
その土質の状況がどうなっているのか。石混じりの固い土しか最近触っていない私にとっては、期待にあふれた未知の土でした。

考えていても、なにもわからないので、夕方薄暗くなった頃、少し土質の様子を手で触れてみる事にしました。

自然の育む土に触れて

切った木にきのこが自然と生えてきました

すると、よく動画で拝見するようなフカフカの土に仕上がっているではありませんか!特にスコップを当てなくても指先を立てて、土を深く掘り起こそうとすると、指先いっぱいまで軽く入っていきます。

小石は混じっているようでしたが、とても豊かな土質です。
土は持ち帰れずとも、雑草だけでもと思い、搔い摘むようにして辺りの雑草を頂いていると、ひと際目立つ大根の様な葉が。。

野生大根とご対面

浜大根

周りをかき分け、その葉を抜いてみると、葉の大きさから小ぶりな様子の大根がそこには生えていたのです。その周囲には、ギシギシという厄介扱いされている雑草も群生していました。

ギシギシという雑草

ギシギシは昔こども遊びの中で、葉を擦り合わせた際の音が、ギシギシとなる事で遊び道具となっていた事もあるようですが、そんな遊び方を知らない私たち世代は、子供と一緒に遊んでみたい気持ちにもなります。畑を覆いつくす程の勢いで他の作物の生育を阻害してしまう事もあるようですが、ギシギシと共生しながら育てられる作物もあり、様々な方法を試してみない事に自然農の楽しさ、柔軟さが試されるものだと思います。根が非常に硬く、木のような根は簡単に引き抜くことが出来ません。少し根の先を傷めてしまいましたが、一株もらってきて、こちらも畑の隅で様子を見ててもらいます。

その名は浜大根

浜大根、葉の形や色も様々

大根とのあまりの偶然な出会いに、畑に定植し、もう少し深掘りして調べてみる事にしました。葉の形状などをよく見てみた所、その名は浜大根という名前がついていました。浜辺や、河川敷などの土手沿いに群生しているようで、全国的に見られる大根です。普段私たちが食べる大根とはDNAが異なるようで、大根のこぼれ種から野生化したということではないとのことです。図書館から借りてきた植物図鑑にも海辺に咲く植物といった分類で浜大根がしっかりと明記されていました。

野生の味は濃厚?

浜大根を食べる楽しみがあります

定植した後は、葉がしおれてきてしまっておりますが、中からも元気な葉が顔を出しているので、無事種取りまで育ってくれればと楽しみにしています。まだ白い大根の部分は、食べたことがありませんが、野生化した大根というだけあって、力強い濃厚な味であるのだろうと今から楽しみです。

この機会をきっかけに、道端で雑草を観察していますが、意外にも大根の葉を多く目にすることが出来ます。中には、ここのエリアは畑?農道?雑草の中に混在している大根で、管理されているのか微妙なラインの大根たちもいます。ただ土手沿いを散策してみる際の楽しみの一つが増える事は間違いなさそうです!

今後の楽しみ

木道は子どもにとって遊び場、虫たちには憩いの場

中には野生化した大根の中でも、雑草と混雑した品種や、大根以外の野生化した野菜達を見つける事ができるかもしれません。今後は野草を採取して、畑の一角で育てたりなんかの楽しみもできそうです。

自然とは観察すること、観察できる楽しみがあること

にんにくを観察

手つかずの自然が貴重な存在になってきている昨今では自然の営みを目にする機会が大幅に減ってきてしまっていると感じます。野放しにされた環境は自然とは言えず、人が管理された土地は自然とは違うと思います。
恐らく多くの人は、人が管理された土地を見て、自然に触れる。と言ったり、美しい、綺麗、癒される。といった感覚を持っている事だと思います。自分自身にも言える事ですが、よく紅葉を見にお寺や、国立公園を歩いたりしたものです。しかし、農の世界観を立ち入った際に感じる事は、自然の美しさというのは、小さな世界感を切り取っても、矛盾なく命の営みが連なっていて、人の目に触れずとも、多様な生き物が存在することなのではないかと、考えさせられます。建築の世界でも同様に考える事があります。本物を見た事のある良い目を持っていなければ(例えば無垢の木の良さを伝えるなど)自分の頭の中だけは、本物に触れた際の感動は生まれてこず、自然の世界も同様であると、痛感させられます。

少し話が逸れてしまいましたが、是非皆さんも一度、野草探しの休日に出かけてみてはいかがでしょうか?
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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