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ナーンデード(インド)2018


Nanded ナーンデード

 

インド、マハーラーシュトラ州のナーンデードは周りにヒンドゥー教徒、イスラム教徒が住むインド中央部では異質的な存在でここだけがパンジャブ州のごとくシク教徒のターバンで埋め尽くされている。ここにおいては「ナマステ」ではなくパンジャブ語の「サテシリアアッカ―ル」といって挨拶するとちゃんと普通に反応してくれるインド中部のパンジャブワールドだ。

 ナーンデードはシク教の5大聖地の一つで(五つのうち三つはやはりパンジャブ州、以前に紹介したシルヒンドは5大聖地には入らない)第十代グル、ゴービンシンが暗殺され火葬された場所にグルドワラが建てられている。ゴービンシンには4人の息子がいたが既に全てムガール帝国との闘いで殺されていたので、ここで亡くなることによりグルの系譜が途絶えてしまったのである。甥とかがいたのかもしれないがゴービンシンは自分の亡くなった後はグルグラントサーヒフ(シク教の経典)をグルとする、としていたので事実上人間としてつまり絶対的指導者というのは消滅してしまったのである。要するに、ここはシク教徒にとってはグルが地上から消えてしまった歴史上最大の悲しみの場所なのである。

 

Hazur Sahib

 このナーンデードに建つグルドワラはハザルサヒフ(Hazur Sahib)と呼ばれる。ゴービンシンはナーンデードで暗殺者に刺され致命傷を負い七日後に亡くなってしまった。アナンドプールの軍事的要塞のような装飾が少なめのグルドワラを見ると、比較的装飾の多いHazur Sahibの建物はグルドワラというよりも霊廟的な意味合いが多いのだろう。霊廟的なと書いたが、シク教徒の葬儀について記しておくと、亡くなると火葬され遺灰はいうとシク教の聖なる川とされるサトラジ(Setlej)川に流すことが多い。つまり遺体や遺灰に霊的な力という概念が他宗教に比べると弱い。それでもわずかに残した遺灰を入れた墓を建てたりもするので完全にないわけではない。したがってシク教においては偉人聖人の遺体や遺灰を安置するような霊廟というものはあまり存在せず、亡くなった又は火葬された場所に霊的宗教的重きをなし、そこにグルドワラを建てている。

 まずここのパーキングに到着するとどうやらこの日はシク教の聖者らしき方がHazur Sahibにお見えになったようだ。もしくはシク教の聖典グルグラントサーヒフがお戻りになった日のようだ。ちょっと理解しにくいが聖典グルグラントサーヒフはグルゴービングシンが亡くなった以降は指導者グルとされているので本とはいえ人間の聖者さながら移動の際には華やかに執り行われるのだ。しかもそれぞれのグルドワラに置いてあるのでちょっとわかりにくいけどグルが無数に分身しそれぞれのグルドワラに置かれていると考えれば何となく雰囲気がつかめるのではないだろうか。全身白一色に包まれたシクの聖職者達がお迎えする車にマリーゴールドの花が飾りつけていた。マリーゴールドで飾られた写真の背景には近代的ホテルかマンションのような建物が写っている。この周辺にはこのような建物がいくつもあり、気になってその一つをのぞいてみた。中はドアとかがない大部屋がいくつもある状況でホテルやマンションのような部屋が並んでいる状況ではない。中ではシク教徒らしい人々が何人も雑魚寝している。つまりどうやらこれは巡礼宿のようなのだ。おそらくゴービンシンの命日には多くの巡礼者がここで寝泊りし、Hazur Sahibで手を合わせそして涙を流すのであろう。アムリトサル、アナンドプールのことを思うとここまで立派かつ多くの巡礼宿があった記憶がないので予想をはるかに超える巡礼者が集まるのではないだろうか。


 どこからか景気のいいマーチが聞こえてくる。音のする方に向かうとお揃いのターバンとユニフォームに立派な髭をたくわえた音楽隊が人々に特別な日を知らせるようにマーチソングを景気よく演奏していた。いつも思うことだけど、日本人からすると髭があるだけで何となくみんな似ている感があるのにさらに同じ制服、同じターバンまでしてしまうと見分けがつきにくく兄弟か一族のように見えてしまう。はたしてインド人はどう感じているのか一度聞いてみたいものだ。


 ゲートをくぐると中庭は広大で多くの信者が祈るには十分な広さだ。5大聖地の一つパトナーが小さい規模であったことを考えるとアムリトサル、アナンドプールに次ぐ規模を誇るのかもしれない(私は実は5大聖地のうち4つまでしか見てないので正確なことは分からないが)

 中を歩いていると一人のド派手なニハングに会った。ターバンは戦士としては役に立たないぐらいに大きく、立派なタルワールという刀を携えている。このような大きいターバンのニハングは青色一色で統一されているケースが多いがターバンに赤や黄色の布を混ぜていたり青の日よけ布をターバン下に入れている所が珍しい。今まで見た中では最もおしゃれなニハングだ。


 ランガルという食事をするところに向かう。シク教においてはこの食事という人間にとっての最重要課題について重要視している。ヒンドゥー教においてはカーストが異なると一緒に食事ができない。イスラム教だと男女別々で食事をとる。初代グルであるナーナクはそういった現実に異を唱え老若男女問わずに一緒に食事をとるべきだとしたのだ。そしてランガルにおいて無料で食事が振舞われる。つまり老若男女だけでなく貧富の差さえ否定して一緒に食事をとるものだとした。これは富の配分も兼ねていて、収入の十分の一をグルドワラに納めることになっているシクならではのシステムだ。

 さてここのランガルに足を踏み入れると他のグルドワラで見た光景とちょっと異なっている。普通は食べるところと食材の準備や調理をするところは別になっているものなのだが、ここでは食べるところで食材の準備が行われていた。調理はさすがに別の部屋だったけど。写真の手前では野菜を選別とかしているようだが奥の方では食事をとっているのが見て取れる。その他、玉ねぎの皮むきとか野菜を下準備、さらにマリーゴールドの花飾りなどもここで行われていた。


 今回は裏口の方から入ったのだが、参拝の最後に正面ゲートを外側からしっかり拝もうとゲート外に出ると大勢の人だかりできていた。運のいいことにニハング達がシク教徒の武術であるガトカ(gatka)を披露していたのだ。様々な武器をそれぞれ短時間だが振り回したり、刃で切りつけたりしている。後で動画を見ると刀の一対一の斬り合いは子供ながら結構迫力がある。決まった型がなさそうで思いっきり刀を相手に斬りつけている。万が一当たったら大変そうだが、きっと練習の賜物でちゃんと盾で避けるのだろう。30秒前後と物足りなさはあるが、背景に立派なゲートがそびえ立ち実に絵になる光景だった。


 ナーンデードはHazur Sahibがある以外は特に何もない(私が知らないだけかもしれないが)。それでも空港があり、なんとムンバイからの飛行機の直行便があるという。きっと機内はシク教徒で埋め尽くされているのだろう。予想外の大規模で立派なグルドワラであった。Hazur Sahibはパンジャブ語で「主の存在するところ」のような意味を持つという。ゴービンシンはこの地で亡くなったが、たとえ肉体としての「主」は消えたとしても、その「主」の魂はナーンデードでシクの人々の心の奥底にしっかりと永遠に「存在する」のだろう。


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