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辺境の谷底にひそむ美しき村、フンザ

パキスタン北部の山岳地帯は、以前ここにあった王国の名からフンザと呼ばれる。

次々に人が話しかけてくる。
小さな田舎街だが、皆英語を話せる。

パキスタンは1947年までイギリス領インドであった。
独立する際、インドの大部分を占めるヒンドゥー教に対してイスラム教国として分離独立したのがパキスタンとバングラデシュ。

ということで英語の通用度が非常に高い。
買い物をするにも道を尋ねるにも、英語が通じるって本当に楽だと感じる。
中国からやって来るとなおさらホッとする。

「日本から来た」と答えると「Japan Good!」、「Japan Beautiful!」と言って笑顔を見せてくれる。

国語はウルドゥー語。
ウルドゥー語は、話し言葉はインドのヒンディー語とほぼ同じで、文字はアラビア文字を使用する。

フンザでは、街ごと村ごとに民族と言語が変わる。
北部の人はワーヒー族と呼ばれ、ワーヒー語を話す。
ここの人々は、ワーヒー語、ウルドゥー語、英語、の最低でも3言語、クルアーンも読まなくてはならないのでアラビア語も、さらに中国との国境も近いので中国語も少しわかるという。

宗派はシーア派の一派であるイスマイール派。
モスクもなく、アザーンも聞こえてこない。

バイクで通りすがった人が「宿を探してるのか? ついて来い」と言ってきたのでついて行った。
彼は建設中のホテルのオーナーで、なんとタダで泊まらせてくれた。

おもてなしのチャイ。

今まではトルコ系のストレートティーや中国茶が主流だったが、ここからはインド系のミルクティー。

引き続きカラコルムハイウェイ。

ユーラシア大陸に入ってからずっと右側通行だったが、インド界隈は左側通行。

右側通行の国と左側通行の国がある理由は諸説ある。
最初はヨーロッパも日本も、刀は左腰におさめているので、すれ違う時に刀がぶつからないようにするため左側通行が好まれた。
その後は馬車の都合で、右手で鞭を打つ御者が対向車を確認するのに、馬車の構造次第で右側通行の国と左側通行の国とに分かれた。
フランスが最強だったナポレオンの時代に右側通行が奨励され、その後イギリス最強の時代に左側通行が奨励された。
自動車の時代になると別にどっちでもいいのだが、陸続きの国々は大陸最強のフランスにならって右側通行でそろえ、イギリスはなんぼ最強でも島国だったので左側通行はそこまで広まらなかった。
現在は圧倒的に右側通行の国が多く、左側通行は海に面した旧イギリス植民地など一部のみとなっている。

自転車で旅をしていると、国境を越えて通行が変わったりするとけっこうな驚きなのだが、バスや電車で移動する旅人にこういう話をしても全然興味を持ってもらえない。

パキスタン名物、デコトラ。

トラック自体は日本の日野自動車。

キレてるな。

乗り合いタクシーは「スズキ」と呼ばれる。

かの美しき谷へ。

大人も子供も、皆フレンドリーでピースフル。
そして超親日。

すごいよカラコルムハイウェイ。

これでもハイウェイだよ。

すごいよカラコルムハイウェイ。
土砂崩れで川がせき止められて湖ができちゃったよ。

ハイウェイは水没しちゃったから、舟で渡るよ。

上陸して坂を登っていると、少年たちが自転車を押してくれていた。

世界旅行をしている者としては、当然この子たちはチップ目当てなのだろう、と疑ってしまう。
小山のてっぺんまで来て僕がチップを払おうとしたら、「ノーノー」と拒否する。
えっ、本当に親切心だけで手伝ってくれたの?
僕は半ば強引にチップとチョコレートを渡した。
子供なんだから素直に受け取っとけ。

「ワンペン! ワンペン!」と言ってくる子供もいる。
「アングレー!」と言ってくる子供もいる。
これは「イギリス人」という意味。

アンズの香りが風に乗る。

標高2400m。
フンザの中心地、カリマバードからの眺望。

7000m級の山々に囲まれた谷の村。

ラカポシ山(7788m)。

ウルタル峰(第1峰7329m、第2峰7388m)。

アクセス困難な辺境だが、多くの外国人が訪れる人気観光地でもある。

しかし、外国人旅行者はほとんどおらず、滞在した宿では客は僕一人だけ。
なぜなら、この地域にあるナンガパルバットの登山に来ていた外国人9人とパキスタン人2人が殺されるという事件が起きた直後だったからだ。
タリバンなど複数の組織が、「敵である外国人を狙った」と犯行声明を出した。
テロとは無縁の平和なフンザでこういった事件は初めてのことで、現地でも衝撃が走ったようだ。

そんなわけで、フンザから旅行者が消え去ってしまった。

でも実は、テロの直後というのは警戒が強まるのでむしろ安全。
旅行者でごった返すことなく、地元民とだけ触れ合うことができるし、ふだん以上に歓迎される。
それに、テロリストの目的は観光業に打撃を与えることによって現政権を追い詰めることだろうから、テロが起きたからといって旅行を断念したらテロリストの思う壺である。

フンザの中心地とはいえ、インフラも不十分でしょっちゅう停電するし、スーパーもATMもない、近代的な文明生活とは程遠い不便な僻地。
にもかかわらず、貧しさがまったく感じられない。
知性と品性すら漂う。

本当に会う人会う人、皆フレンドリーでピースフル。

パキスタンは親中反米。
中国とパキスタンはインドという共通の敵がいるため、結託している。
カラコルムハイウェイのパキスタン側も、ほとんどチャイナマネーでつくられているそうだ。
パキスタン人と話をしてみると、中国に対して好意を持っているのがわかる。

そして親日でもあり、あちこちで日本語や日の丸を見かける。

もともと日本の経済支援があったこと、難関といわれていたウルタル峰が日本の登山隊によって初登頂されたこと、ウルタル峰で遭難死した日本の登山家の奥さんがカリマバードに学校を建てたこと、など日本とのつながりは多々あるようだ。

滞在した宿には部屋の鍵がなく、敷地外からも誰でも出入りできてしまう。
でも僕の私物が紛失することはない。
宿に併設されているレストランはツケ払いで、ノートに自分で料金を書く。
適当な金額を書くと、「それじゃ多すぎる」と言われ、もっと少ない額を書かされる。
ネットカフェでは、1000ルピー札で支払おうとするとお釣りがないので「今日は払わなくていいから明日また来てくれ」と言われる。
彼は僕の名前も身元も何も知らないし、明日また来るという保証もない。

食はインド料理に似ているところがあり、カレー風味で辛い。

チャパティをちぎって具を包んで食べる。
かれらは器用に右手だけで手際よく食べるが、僕はうまくできないので両手を使う。

フンザウォーター。

川の水も水道水もトイレの水も、全部この色。
地元民が「これはクリーンないい水だよ」って言うんだから大丈夫。
飲んでみると、うん、スッキリとしてクセがなく、おいしい。

「Come! Come! Tea! Tea!」と僕を家に誘ってくれた少年たち。
この年齢にしておもてなしを心得ているとは。

カリマバードのローカル言語はブルシャスキー語。
この年齢にして、英語、ブルシャスキー語、ウルドゥー語のトリリンガル!?

しかし、家にはお父さんもお母さんもおらず、チャイも入れられないということで、「はい、ドリンク!」

!!!

フンザウォーター!!!
これは、この子たちの唾液の味、ヒトの味、なんだかとってもヤバイ味がした。

いー笑顔ゲット!

治安がいいだけの国なら他にいくらでもある。
こんなにも「平和」を感じさせる土地は、そう多くはない。


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