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5%の万が一

「かなり大きな手術になります。力を尽くしますが、万が一の事態も5%ぐらいの確率でありますので、ご家族の皆さんともよく相談してください」という医師の言葉に、「5%なら万が一とちゃうやん……」と横から心の中でツッコミを入れられる程度には冷静だった。

手術をすることになったのは母だ。

一昨年の秋に大動脈解離で緊急入院となり、その時は血管が裂けた場所も裂け方も不幸中の幸いで致命的なものでなかったので、1ヶ月ほどの入院で済んだ。その後の経過観察のための通院で、心臓から出て脳に行く血管が分岐している場所の近くに動脈瘤があることがわかっており、そろそろ切除手術が必要な大きさになったので「次の通院はご家族にも同伴してもらってください」と呼び出されたというわけだ。

22歳で私を産んだ母は、今よりも結婚が早い時代だった当時でも若い母だったと思う。実年齢も若いのに見た目も気も若くて、40代になっても30代前半、下手をすれば20代に見られることもあった。当時は年齢よりも上に見られることが多かった私と並んで「どちらがお姉さんか分からないですね」といわれて「いや母娘なんですが」ということもわりとよくあった。

そして40を過ぎて、「通っているヨガ教室の先生がご主人の転勤でアメリカに行くことになって、教室引き継いで下さいって言われたの」と、いきなりヨガ教師に転身してしまった。いや私、あなたが家でヨガしてるところとか見たことなかったんですが。実際、始めてから3年めぐらいで、もっと長い間習っていた人もいたはずなのに、なぜかご指名が来たようだ。だがそれから40年、生徒が途切れることなく今も週に数回教え続けているのは、向いていたのだと思う。

私が家を出てからいつの間にか吸うようになっていたタバコを除けば、私よりもずっと健康な母だった。70才を過ぎても骨密度は30代なみ、食事は和食中心で食欲旺盛、体重は少しずつ増えてはいたけれどもそれでも洋服は7号サイズ。杖もつかずに真っ直ぐ背筋を伸ばして山歩きとゴルフを楽しんでいられたのはヨガのおかげも大きかっただろう。

帰省の3日めには、「少しは自分の身体をケアしないとダメよ」といわれてヨガのレッスンが始まる。昔は苦手だった。それでもベリーダンスを始めてからは少しは自分の身体の動きや柔軟性を上げたいと思うようになって、こちらから「股関節をもっと開きたいんだけどどんなポーズが効くの」「足首が固いのどうすればいいの」などと聞いて教わるようになった。「最近ちょっとサボってるので固くなってるのよ」といいながら嬉しそうに教えてくれた。だんだんとレッスンの時の口調とテンポに変わってくるのが、普段見ることのない母の姿を見るような気がしてちょっと嬉しかった。

そんな母だから、死ぬかもしれないってあまり考えたことがなかった。なんなら私より長生きするんじゃないかと思っていた。それが、「5%の確率で万が一」の手術である。

それを聞いた母は「手術しなかったらどうなるんですか?」と聞き返していた。「手術をしないと、1年以内に5%ぐらいの確率で破裂すると思います。破裂したらそこで寿命はおしまいです。1年もっても、次の年にはもっと高い確率で破裂すると思います」と言われた母は、「どっちも5%やったら、いつ破裂するかと思いながら生きてるよりは手術して失敗したら運がなかったと思う方がいいですね」と即答していた。「いやそこ比べるところとちゃうし」と思ったけど言わなかった。比べるところが違っても本人が即答したのだから反対する理由はない。

この時の医師は「80才ってカルテにあったんでもっとおばあちゃんが来るかと思ってたらお若いのでびっくりしました。60ぐらいの娘さんかと思いましたわ」と母を喜ばせていた。60才だったら57才の私とはやっぱり姉妹だ。還暦近くなって母と姉妹だと言われるのも複雑な気分である。

そんなことを書いているけれども、来週の今日には母は入院している。翌日は手術だ。5%の確率で万が一が起こってしまったら、母と話せるのは最後かもしれない。

最悪の想像をしておいて、後で笑い話になればいいと思う。

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