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正しさやルールの暴走。正しさとしての平和は、いつだって争いの火種となる。

読んでいて苦しくなった。やめて!と叫びたくなった。
 
"正しさが暴走するこのインターネットは早急に滅ぶべきである|Pato"
https://ten-navi.com/dybe/4580/
 
タイトルはこうだけど、内容は
インターネットがどうという話ではなくて
正しさやルールの暴走が引き起こす
日常の中の悲しい出来事たちの話
 
 
正しさやルールの暴走、それはいつも
「パブリック」的な場所で起こってきた気がする
 
私もまた
暴走させてきたひとりであると同時に
正しさと乖離する内面との葛藤に
苦しんできたひとりでもある
 
インターネットはあくまでただのツールで
それ自体に良いも悪いもない
 
ただ、多くのことが「手軽」になり
いつでも「パブリック」と繋がれることで
暴走もたやすく起こるようになった。
そんな印象はある。
 
正しさとルールが暴走する世界を
どうやったら止められるんだろう
そうおもったら、なんだかやるせなくて
 
止めることが正しいのかどうか
それすらもわからないまま
泣きそうな気持ちになっている。
 

正しさの暴走が、争いを生むのだとおもう
 
誤解を恐れずに、正直に言えば
正しさとしての平和運動は
結果的に戦争を産み出しうるとおもっている
 

平和を目指すのは大切なことだけど
 
平和という「現象」が生まれるかどうかは
目標に設定できるようなものではないことを
知っておくことも大事なことで
 
声高に、正しさとしての「平和」を叫んでも
それは帳尻を合わせたくなる心理を刺激し
「平和らしさ」への要求となっていく
 
それが、正しさとしての「平和」が
いつだって争いの火種になる、ということ
  

そんなキレイな言葉はいいから
パブリック対応はもういいから
もっとドロドロしたものを
もっと個人的で、自分勝手な願いを
腹のそこから叫ぼうよ
 
あなたの中に、何があるの?
正しさなんていいから、それを
小さい声でいいから、外に出そうよ
 
 
それが結果的に
いまの自分に、自分たちの心に
平穏をもたらし
 
それが結果的に
互いの調和をもたらし
 
それが結果的に
未来の自分を、自分たちの心を
平和にするんじゃないのかな

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