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できることがない、というのは、相手のありのままを許容できる要素かもしれないと思った話

昨日の台風、神戸の実家がちょっと大変だった模様
さすがに気になって母に電話してみたところ
 
とりあえず理解できたことは
処置がいろいろ大変だったということのみで。
 
カンペキに把握してるはずの実家の間取りですが
もともとロジカルとは別の軸から成る母の話術では
いくら説明をきいてもどこがどうなってるのかが
私にとってはスッカリ迷宮入り。
 
え~わからん~?とおもったのだけど
東京にいるから何ができるわけでもないし
いま、私がわからないっていうことは
そんなに重要ポイントでもないような気がしたので
 
とにかく、大変だったことへの労いと
少しの情報共有しかできなかったのだけど
 
でも、それでよかったかも、と。
いやまぁ、そりゃ手伝えた方がよかっただろうけど
ひとりで対応して疲れてる母に必要なのは
「わからない」とか「もっとわかりやすく教えて」
なんていう言葉では少なくともないよなって
今朝、姉が連絡をくれたときに気がつきました。
 
もしこれが、私がどうにかできる感じだったら
なにかしなきゃ、と、もしかしたら疲れてる母を
質問者攻めにしたかもしれないなぁ、と思いまして。
やだよねぇ、自分の立場だったら。
 
できることがない、ということは
ベストではないかもしれないけど
相手の現状をそのまま許容できるという意味で
悪いことでもないかもね。
 
といってもまぁ
実家が大変なことには変わりないんだけど。
 
どうぞ、大変だった方々のところに
恙ない日常が、早く戻りますように。

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