見出し画像

阪神大震災から25年:これならあのとき死なずに残った意味も多少、あるかな、なんて

15歳の冬。
中学卒業と高校受験を控えた、3連休明けの朝。

激しく揺れた後、余震の続く中でおもったのは
なんで私の住んでる街で?ということ。

そして、それよりも強い疑問がわいたのは
クラスメイトの訃報を受けたときでした。

「なんで彼女は死んで、私は死ななかったのか?」

ほんとうにほんとうに、それがわからなくて。

後日聞いた話で、そのクラスメイトは、前日の夜
家で、将来の夢について家族と話していたそうで。
キラキラした目をしてたって

当時、私はあんまり人とうまく付き合えず
嫌われがちだったし、夢とかもなかったし

「私なんかが残るより、あの子が残ったほうが
 ぜったい世の中のためになっただろうに
 なんで神様は、私をこの世に残したの?」

なんてことを、その後何年も、おもいました。


でもね。そういうことも、あるんですよね。

世の中のために、いたほうが絶対いい人が
思いがけず死んでしまったり
なんの役にも立たなさそうな、嫌われ者が
いつまでも長生きしていたり

当時の感覚としては、私は後者の立場で
なんでかここまで生きてしまいました。


そういうことも、あるんですよね。
この経験については、この25年間
あらゆることを考え尽くしてきたけど
もうそれしか言いようがないなっておもってます。


震災よりしんどいと感じる経験もその後
実感としては正直、いくつもありました

そのたびに何度
「あのとき死んでたら良かった」と
おもったか知れない。
不謹慎と言われるかもしれないけど
ほんとうに本心でそうおもってたの。


そうして
「あのとき死んでたら良かった」と
しんどいことを引き合いに出しては
過去の死を思い続けていた自分が

いつのまにか
「3年後に生きてる保証はない」と
やりたいことをやるきっかけにしては
未来に死を活かすようになってる


これなら
あのとき死なずに残った意味も
多少、あるかな、なんて

 
40歳の冬。


#117 #阪神大震災 #25年 #死 #15歳 #40歳

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?