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知識は、人生を豊かにするためにある

これまで自分が得てきた知識(知恵?)に
「独立するほど調和する」というのがあり
 
そこからやってきた
いまの自分のチャレンジ課題として
 
先への予測から、いまの感情を独立させる
というのがあります。
 
例えば
すごく気に入らない現状が何かあるとして
そうだな、例えば
「近しい人が思い通りに動いてくれない」
ということにすごく不満を募らせてたとして
 
その人との間に起こる出来事のなかに
「よかったな」と思うことがあったとする
 
そうすると、私がよく陥るパターンとして
「これを喜んだら、相手がこのままでいいって
 思っちゃって変わってくれないままになる」
という予測が無意識のうちに立つんですね。
 
で、喜んだらいけない気がしてしまう
その喜びに、不安が混じってしまって
味わえなくなってしまうんですね。
 
ここを、独立させる、つまり
変わってくれないままかも、という不安と
いまはいまとして嬉しがることを、わける
というチャレンジ課題になります。
 
ここでわいてくる不安は、防衛反応
つまり、また落胆したり傷つくことから
自分を守るために構築した認知パターンで
 
だから、ものすごく勇気がいるんです。
保証のないリスクをとる、ということ
 
自分にとってみれば、不都合な現状を
「そのまま変わらなくていい」て
受け容れるに等しいわけだから。
 
なかなかスムーズに転換できなくて
よく悶絶しております。
勇気がいるし、シャクだし悔しいし…苦
 
それでもやってみようとおもえるのは
 
他のいろんな事例から
「独立するほど調和する」ということを
知っているから、に他なりません。
 
いまこの、喜んでいる自分の感情を
悲観的な予測とは独立させて感じることが
結果、より未来と調和するはずだよな、と
知識として理解してるから。
 
ここで私は
「喜んだらマズいことになる」と
「喜んだらより調和する」という
2通りの未来予測を得たことになり
 
そうすると、論点は
「相手をどう変えるか?」ではなく
「私がどちらを選択するのか?」に
変わっていることになります
 
これって、ちょっとした差異のようで
ものすごい違いなんですよね、実は。
 
だからつくづく、知識というのは
人生を豊かにするためにあるなぁと
思うのですよね。
 
実は、よく投稿の最後に書いてる
「明日も良い日でありますよーに◎」
というフレーズも
このチャレンジの一環だったりします。
 
やっぱり、書けない心境の日もあります
でも、そういうときでも
書いてもいいということは分かってる。
 
書けない、ではなく、書かない。
自分の選択であると自覚していることが
とても大切だとおもうから。
 
というわけで、今日は、書こうかな
書きたくない理由はいくらでもあるけど
独立するほど調和する、の知識をもとに
自ら、書くほうを選択しよかな
 
こうやってまたひとつ
未来に、新たな調和の可能性が生まれて
まだ見ぬ豊かさの種が巻かれたと信じて。
 
 
明日も良い日でありますよーに◎
 

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