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すばらしき世界

2020年公開 日本

オススメ度 7.9/10点中

この手のものをヤクザ映画と呼ぶべきなのか迷っている。本来ヤクザ映画とは仁義なき戦いに代表される切った張ったで血煙の上がる抗争物。最近で言うと真っ当なヤクザ映画(?)と呼べるべき正統派な映画は狐狼の血シリーズくらいだろうか。

ヤクザもしくはそれに準ずる者が主役にも関わらず抗争などが内容の主軸ではなくあくまで現代におけるヤクザの生き辛さを描く作品が多くなっている。これは言うまでもなく暴対法の影響なのだが映画の世界までもがその範疇にあるとは最初の頃は非常に驚いた。無論、今ではそれがスタンダードになりつつある。

ヤクザ映画なんて無茶苦茶でなんぼだろう。こんなリアルで格好悪く描いてどうするんだ?という疑問があった。いわゆる王道としてヒットした北野武監督のアウトレイジシリーズ。ヤクザがヤクザらしく、無茶苦茶やっている。ある種海外のマフィア映画に通じるものがある。血と理不尽に溢れた映画である。

しかしここ最近のヤクザ映画は違う。最初に衝撃を受けたのは「ヤクザと家族」綾野剛主演で他にも豪華キャストで彩られたこの映画は観る者に救いようの無い暗い影を落とす辛い内容であった。時代はヤクザから半グレに移り変わるけど結局のところ反社はロクな最期が待っていない。そんな内容である。

この、すばらしき世界もヤクザ映画とまではいかないが反社会的な人物の半生を事実をもとに書かれた小説「身分帳」を映画化したものである。主演は役所広司。元暴力団組員の殺人犯が刑期を終え出所するところから始まる。全体的に暴力的なシーンは少ないものの社会から逸れてしまった主人公に対する世間のある種暴力的なまでの風当たりが見ていて血を流すシーンよりキツい。誰かが彼に優しく接するほど「ああ、これで彼がこの人たちの好意を裏切って欲望に負けてしまった時、この笑顔がどんな表情に変わるのだろう」と想像しただけで胸が締め付けられる。

印象的なシーンは数多くあるが個人的に引っかかったのは長澤まさみ演じるテレビディレクターが「元殺人犯のおじさん」という呼び方をするところ。殺人犯に“元”という表現は適切なのだろうか?と思った。案の定、彼女が一番彼を社会の異物として見ているしそれが世間一般の彼に対する評価なのである。経緯どうであれ人を殺した者に“元”は無い。拭えないレッテルなのだ。ヤクザや反社という肩書きはいずれ消えても人を手にかけた事実は消えない。そう言った教訓めいたメッセージがそこかしこに散りばめられている。

日本代表する素晴らしい俳優の一人である役所広司が作品にピッタリと自らをはめ込んでおり、彼無くしてはこのクオリティは出せなかっただろうとまで思わせる。悲壮感と愛嬌を同時に所有するキャラクターはおいそれと作れるものではない。現実味をこれでもかと言わんばかりに感じさせる彼の作り込みによって、主人公の運命を観ている者は一喜一憂させられる。まるで自分も彼の傍らにいる様な錯覚を覚える。だからこそ辛い。彼を待っている運命と結末が。本当の意味で救いようの無い映画というのは、実際こういう物語なのかもしれない。

この映画を観るにあたってこの作品をもっと深掘りしたいと思った人がいるならば、原作である「身分帳」のモデルとなった人物の肉声を収録したラジオ番組がポッドキャストで配信されているのでそちらもオススメしたい。

あくまで個人的な感想だが深く潜れば潜るほど、こちらが勝手に受けた痛みの様な感情は少しだけ薄れる気がする。

個人的に一番好きだったシーンをあげるならば、冒頭で橋爪功演じる弁護士が出所後の身元引受人になり、主人公を迎えるシーン。すき焼きを振り撒いながら「私はね、こういうこと趣味でやってるから。何でも遠慮なく頼りなさい」と優しい言葉をかける。今までどこか粗野な表情を見せていた主人公がこの言葉で人目も憚らず嗚咽を漏らす。

このシーンを見て、どんな人間でも必ず誰かの優しさを必要としているんだなと思った。例えそれが殺人犯であってもである。

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